見出し画像

株式会社明治機械製作所(倉吉市駄経寺町)

昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和52年7月25日号より、株式会社明治機械製作所をご紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、事業内容・方針、広告内容等記載内容は掲載当時のものです。



【事業所めぐり34】株式会社明治機械製作所(倉吉市駄経寺町)


自動車・単車用部品、農業機械用エンジンの鍛造専業メーカーとして、県内では特異な存在。

創業は昭和11年。斎木久寿前社長の個人会社として、スチーム・トラップなど鉄工製品の製造を開始した。敗戦後は、民間兵器製造工場として賠償工場指定を受けるなど苦難の時期を経験したが、昭和25年には本来の精密型鍛造および機械加工を再開。昭和32年資本金350万円の㈱明治機械製作所として発足した。30年代中期からは高度成長時代の波に乗って、同社の業績も急伸。受注の激増に対応するため、昭和35年には現在地に新工場を建設、同地に移転した。

44年、4500万円に増資。47年騒音公害対策として全国に先がけ「防音密閉鍛造工場」を完成。さらに48年資本金8000万円に増資したほか、49年同社出資の明治精工株式会社を三朝町小河内に設立。この間、中小企業庁から全国中小企業合理化モデル工場の指定を五度にわたって受けるなど、着実に地歩を築き上げてきた。

現在、月産1000㌧、100万個の鍛造品を生産。川崎重工、ダイハツ、三菱自動車への納入が75%を占めている。今年度の同社の年商目標は31億円。全国に600社ある鍛造専業メーカーの中では15位にランクインされている。

だが、この業界も48年以降は、供給過剰のため操業短縮を余儀なくされ、各社とも合理化対策に苦慮しているほどで、業界全体の景気は低滞気味。斎木社長は現状について「私のところでも、現在操業率は九割程度。しかし、国内需要が依然として横バイである反面、取引大手企業の輸出好調に支えられて、わが社の場合、調子は昨年から上向き加減」と、好転の兆しがうかがわれると分析。

また「日本の鍛造技術は世界的水準に達していますが、まだまだ改革の余地あり。私のところでは昨年、プロジェクト・チームを作って材料費節減のため努力した結果、3%の節減を逹成しました。今では投入材料に占める出荷重量の比率が76%で、かなり充実してきています」と、この長引く不況を乗り切るためにも、品質管理の徹底、コスト低減のため、なみなみならぬ努力を注いでいる。

さらに同社では、「誠実な仕事がそのまま業績となって現れる」という考え方から、「誠実をもって事に当たり、誠実をもって人に接する」ことを基本に、品質・技術・福祉などすぺての面での向上のため、意欲的な活動を続けている。(昭和52年7月25日号)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?