5周遅れ


だいたいいつもみんなから5周くらいは遅れている。

何が、とかじゃなくてぜんぶ。何もかも。この世のほとんどのこと。


中高時代みんなが恋愛話をしているのを見ては「惚れた腫れたはもう聞き飽きたなあそんなにおもしろいのかい」などと思っていたし(もちろん羨望もある、だがしかし興味がないものはないのである)、桜が咲く頃にお花見をしている人を見ては「桜見るよりおいしいごはん食べるほうが幸せだし、少なくとも外にいるよりは家で寝ていたほうがよくない?」と本気で思っていたし、器なんて全部プラスチックがいいと本気で思っていた(これは私が割れ物が割れるのが苦手というのがかなりあるけど)。

けど、みんながその惚れた腫れたを経た上で人生を共にする相手を決めて人生を進めているのを見てさすがに「私は何をしているんだろうか」と思い始めたし(?)、確かにいつもの景色がピンクに染まるのはきれいだなと思うし、気に入った器でごはんを食べる豊かさにも気づいた。


やっぱりいつもみんなから5周は遅れている。


無駄に拗らせていてしばらく斜に構えているくせに、最終的に戻ってくるんですよね。みんなと同じ着地点に。じゃあみんなみたいに最初からまっすぐ来られればいいのに、私は来られないんですよね。


そんな自分のことを情けないなと思う反面、0°と360°は違うし360°と720°も違うよなあとは思う。仮に自分と同じ着地点に来るまでに1,2周多く歩いてきた人がいたら、その人に対しては「私が見ていない景色を見てきたんだろうなあ」と思う。


それを自分にも当てはめていきたいなという気持ちもありつつ、自分に当てはめてもいいのだろうかという気持ちもある。でも、自分にだけ当てはめないのも変な気がする。当てはめてもいいのだろうか。その方が前向きに生きていけそうな気はするけど、自分なんかが前向きに生きていいのだろうかという気持ちもあるんですよね。自分に常に罪か何かを背負わせたくなる。理由はわからない。


今度は何に気づくのだろうか  みんながずっと前から、最初から当たり前のように気づいていたことに気づくことがまだまだあると思う  「結局カレンダー勤務がいい」とか言い始めるのかもしれない。でもそれはそれでいいよね、一旦嫌だなってなったのちのだからね。


そう考えれば自分に当てはめてもいいのかもしれないなあ

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