これまでのこと、これからのこと

発表がありました通り、株式会社BABEL LABELのWriters’ room所属となりました。肩書としては脚本家になりましたが、まだまだ一人前までの道のりは長い、といったところです。精進します。
いい機会ですので、これまでの道のりでも思い返してみようかな~と思い、書いています。

これまでのこと

私は大学卒業→社会人6年半(2社)→NOW!で、脚本自体を始めたのは2019年になります。
元々落研出身で、卒業して社会人になってからも、カフェやバーで落語をしたり、廃れてしまった落語を復活させるプロジェクト・素人落語集団「のら」を立ち上げたり、地元で楽しく落語ライフを送っておりました。仕事もやだし、もっと楽しいことしたいぜ!と新卒3年目で上京し、テアトロコント(多分ガクヅケの回)のチラシに入っていた映画美学校の脚本コースへ入学しました。
美学校では、自分たちで映画撮ったり、演劇やったり、ストリップ劇場に遊びに行ったりと、通信の脚本学校ではできない、リアルならではの楽しいことを沢山しました。青春の生きのばし的で、上京してあまり友人がいなかった私にとっての週一のオアシスでした。
同時期にご飯を食べていくためにベンチャーめの企業で割りとハードめに仕事をしていました。子会社立ち上げたりとか、あんまなさそうな経験沢山させてもらったので良かったですね。能力的には、ここでの仕事が天職っぽかったかも。あとこの会社で働いて一番良かったのは、飲み会の店決めるのがうまくなったことです。変?一般的でない?仕事でした。

学校へは通ってましたが、がっしり働いてたので脚本はそんなに書けてないです。ただ、学内の賞をもらったり、初めて外に応募した作品がNHKの賞の最終まで残ったりしました!やっぴー✌✌
全て偶然、町屋良平さんの言葉を借りると、「世間の雰囲気や注目していることが、自分の興味とたまたま合致した」だけですが、ここのトレンド感を意識的に捕らえられるともっといい結果につながるかもと漠然と思っています。

25歳で脚本をはじめた時には、「27歳まで何にもならなかったらやめる」と言っていたのですが、27歳が終わるときに「やっぱやめらんないよね~」と普通に延長しました。どうせ作ることはやめられないし、やめる必要もなかったと今では思っています。ただ、新卒の会社を辞める時に「無理だからやめた方がいい」「会社に残ったほうが幸せだ」「脚本家なんてなれないし食べていけないだろ」と言ってきた人の顔は全員覚えているし許してません。もしこれを読んでくれている人たちが同じようなことを言われたら私に教えてください。君たちは何にだってなれるし、遅すぎることはない。

これからのこと

前述の通り、映画、ドラマ、その他コンテンツをはじめとして面白いものを創り出していきます。仕事という枠組み感はなく(仕事だが)、楽しいことを年がら年中やっていく感じです!
実力とかじゃなく、運と行動だけでここまで来たのでここから先めちゃくちゃ頑張るぞ~~~~
基本的に忙しい時以外は全然遊びたいので、お友達の皆さんはぜひよろしくお願いします!!!沖縄と佐渡島行きたい!

おわり!

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