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(浅井茂利著作集)円安をどう考える(2022年発表のものです。ご注意ください)

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1675(2022年6月25日)掲載
金属労協主査 浅井茂利

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 円安が進んできました。マスコミや有識者などの間では、これを「悪い円安」と指摘し、日銀はまだ金融緩和をやっているのか、といった論調が目立ちます。政府・日銀もそうした風潮に流されているところがありますが、冷静な分析と対応によって、わが国経済の舵取りを誤らないようにしなくてはなりません。 

マスコミや有識者の論調にはバイアスがかかっている

  円安の進行に対して、マスコミや有識者からは、これを「悪い円安」として、黒田日銀の金融政策の失敗を言い立てるような論調が目立ちます。
 しかしながら、黒田総裁の前の白川総裁の時代に、日銀から出される発表をそのままに記事を書いてきたマスコミにとって、2013年以降の黒田日銀の成功は、大変具合の悪いことでした。資源価格が高騰する中で、円安の影響を過大に喧伝し、「悪い円安」というキャッチコピーを押し立てて、黒田日銀の金融政策をここぞとばかりに攻撃する姿勢については、十分に検証していく必要があります。
 有識者も、概して反安倍政権の立場の人の声が大きく、金融政策についても、安倍政権=黒田日銀ということで、従来から、黒田日銀の金融政策に対し批判的な傾向が見られました。マスコミや有識者の論調には、このようなバイアスがかかっていることを前提に、冷静な分析と対応を図っていく必要があると思います。 

日本経済にとって円安は有利なことである

 経済の強い国の通貨が高くなる、というのは事実です。わが国の通貨「円」も、終戦後の占領下、1ドル=360円から出発し、長期にわたる国民の努力の積み重ねにより、購買力平価(各国の物価水準から算出した理論的な為替レート)で1ドル=97円(2021年)というところまで、やってきたわけです。円高になれば、より少ない「円」で海外から多くのモノやサービスを購入できるわけですから、一見、こんなに結構なことはないように思われます。
 しかしながら、経済の強い国の通貨が高くなるからといって、通貨を高くすると経済が強くなるわけではありません。病気が治れば退院しますが、退院すれば病気が治るわけではありません。病気が治っていないのに退院すれば、病気は悪化するばかりです。
 基本的に為替相場は、購買力平価近辺にあるのが自然な姿だと思います。購買力平価は前述のように、各国の物価水準から算出した理論的な為替レートで、たとえば、米国で1ドルのものが日本で100円だとすれば、1ドル=100円になります。とはいえ、為替はあくまで「相場」ですので、短期的には、国と国との金融政策の違いにより、変動することが避けられません(後述)。
 現在は「悪い円安」批判が強いですが、通貨が高いほうが有利なのか、安いほうがよいのかは、その国の経済構造によって異なるのだと思います。少なくとも日本は、依然として、輸入した資源に付加価値を付けて完成品として輸出する加工貿易立国であり、輸出企業の利益や投資、輸出企業が支払った人件費などが広く国内全体に波及するという経済構造が、以前より弱まっているとの指摘はあるものの、いまでも機能しています。円はドルのような基軸通貨ではないので、輸出でドルを稼ぐか、海外から借金をするか以外に輸入をすることはできません。「稼ぐに追いつく貧乏なし」という言葉があるように、たとえ輸入には不利であったとしても、「稼ぐ」ほうを優先すべきであり、円安か円高かと問われれば、輸出企業の利益の拡大や、輸出価格の引き下げを通じて輸出数量の拡大に寄与する円安が望ましいのは明らかです。ただし2013年以降の円高是正・円安では、輸出企業が目先の利益確保を優先し、輸出先での現地価格を引き下げていないために競争力回復につながらず、円安が輸出数量の拡大に寄与していないという問題を孕んでいます。
 またわが国は、わが国が保有する海外資産のほうが、外国の保有する日本国内の資産よりも大きい純債権国であり、海外資産から受け取る利子や配当金は、海外に支払う利子や配当金よりも大きいわけですから、この点からも円安が有利ということになります。

資源の国内価格高騰は国際価格の高騰によるものであり、円安は主因ではない

 資源の国際価格の高騰は、当初はコロナ収束への流れの中での世界的な需要拡大の結果として発生してきたわけですが、現時点では、ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、自由にして民主的な体制の国々と専制的な体制の国々との経済の分断(デカップリング)による供給ショックが主因となっています。円安は、資源の国内価格をさらに高めていることにはなりますが、主因ではありませんので、たとえ円安が解消されたとしても、資源価格を抑制する効果は限定的です。
 マスコミなども、デカップリングによる資源価格高騰は批判できないし、批判してもどうにもならないので、そのはけ口として、円安や円安の要因である金融政策に対する批判を強めているということがあると思います。
 しかしながら、いささか逆説的ですが、資源の国内価格が高騰しているにも関わらず、消費者物価上昇率が一定程度で抑えられているのは、むしろ円安の効果である、という側面があるのではないでしょうか。
 わが国では、消費者物価上昇率が高まっているとはいえ、それでも2.5%(2022年4月の全国・総合・前年同月比)に止まっています。資源の国内価格は高騰していますが、円安によって企業業績が好調なため、コスト増を企業が吸収し、製品価格の引き上げを抑えていることが、消費者物価上昇率の抑制につながっているものと思われます。日本経済新聞によれば、東証プライム上場企業(製造業)の経常損益は、2022年3月期実績が前年比55.6%増、2023年3月期予想(2022年3月期決算発表時点)がマイナス4.1%ですから、少なくとも上場企業には、吸収余力が十分あると言えるでしょう。
 消費者物価上昇率の抑制は、広く国民全体に波及しますので、企業の利益の国民への配分とみなすこともできます。「生産性運動三原則」では、「生産性向上の諸成果は、経営者、労働者および消費者に、国民経済の実情に応じて公正に分配されるものとする」とされていますが、まさに「消費者への分配」ということになります。
 ただし、企業のサプライチェーンの中で、取引上の立場が弱いために日頃から円安による利益を享受できていないような下請企業に対し、資源の国内価格高騰によるコスト増の負担を押し付けているとしたら、これはきわめて重大な問題です。政府も、「労務費、原材料費、エネルギーコストの上昇を取引価格に反映しない取引」に対し、優越的地位の濫用規制や下請法による対策を強化しています。 

円安是正を図るため金融引き締めを行ったらどうなるか

 為替相場の変動要因はひとつではありませんが、少なくとも短期的には、国と国との金融政策の違いが主要な要因となります。金融引き締め方向の金融政策を採っている国の通貨が高く、金融緩和方向の国の通貨は安くなります。以前、「有事の円高」という言葉がありましたが、これは、国際的な有事が発生した際、米国やユーロ圏、英国などでは、有事が経済危機につながることを回避するため、迅速に金融緩和を行うのに対し、日本ではあまり金融緩和を行わない、あるいは金融緩和の度合いが小さい傾向があるので、日本の金融政策は、米国などに対して相対的に金融引き締め方向に位置することになり、円高になるということです。日本経済が世界から信頼されているので「円」が買われるなどというのは妄想で、むしろその逆ということかもしれません。
 今回の場合は、米国などが金融引き締めに転じているのに対し、日本はまだ「金融緩和の縮小」の段階ですから、日本の金融政策は米国などに対して金融緩和方向に位置しており、このため円安が進んでいるわけです。
 現時点で重要なことは、円安を是正するために金融政策をどうすべきか、ということではなく、わが国経済にとって適切な金融政策が行われているかどうかということであり、適切な金融政策の結果としての円安であれば、たとえ資源の国内価格をさらに引き上げることになっても、甘受すべきだと思います。
 適切な金融政策かどうかの判断は難しいのですが、日米経済のパフォーマンスを比較することにより、どのような金融政策を実施すべきかを判断することはできると思います。
 日本経済を見ると、2021年度の実質GDP成長率の実績が2.1%、2022年度の成長率は、日本で最も優秀な経済予測機関である第一生命経済研究所の予測で1.8%となっています。消費者物価上昇率は2021年度の実績で0.1%、直近の2022年4月の前年同月比は2.5%です。ちなみに、2021年10~12月期のGDPギャップ、すなわち
(実際のGDP-潜在GDP)/潜在GDP
はマイナス3.1%で、これは、わが国経済が大幅な需要不足であることを意味しています。
 一方、米国経済は、2021年の実質GDP成長率が5.7%、2022年の予測が2.8%、2021年の消費者物価上昇率が4.7%で、2022年4月の前年同月比の上昇率が8.3%となっています。米国経済で最も重視されている非農業部門雇用者の対前月増減数は、2022年4月にプラス42.8万人となっており、最近1年間では2番目に少ないとはいえ、通常ペース(プラス20万人)に比べれば2倍という状況です。
 日米の経済実態の違いは明らかであり、米国が金融引き締めに転じ、日本が金融緩和を続けているのは当然のことなのではないでしょうか。
 前述のように、資源の国際価格の高騰は、現時点では、デカップリングによる供給ショックが主因となっています。
 米国では、資源の供給ショックと需要拡大が併存しているので、金融引き締めによる需要抑制が適切な政策となります。しかしながら日本の場合は、そもそも需要不足が続いていますので、金融引き締めに転じることによってさらに需要を冷やすのは、無謀な政策と言わざるを得ません。金融引き締めは円安を是正し、消費者物価上昇率を抑制することにはなりますが、その代償は、企業の利益の減少、働く者の雇用と収入の喪失、その結果としての個人消費、設備投資の縮小、そして輸出価格の上昇による輸出の減少です。

円安是正が近いのではないか

 1970年代前半に変動相場制が採用されて以来、現実の為替相場が購買力平価を20%以上離れるということはあまりありません。2021年の購買力平価は1ドル=97円ですから、ここから20%の乖離は、円安方向では1ドル=116円です。あくまで経験則ではありますが、120円台は不自然な水準ということになりますので、早晩、揺り戻しが来るものと筆者は見ています。日本経済新聞によれば、2022年5月の市場関係者への調査では、むこう6カ月程度の間に、円が下落すると答えた割合は、1年ぶりの低水準となっており、「米国の景気減速を背景に円安・ドル高が目先一服するとの見方が増えつつある」と指摘しています。
 また資源の国際価格ですが、今後も引き続き上昇し続けるのかどうかは大変疑問です。ウクライナの戦況次第というところはありますが、デカップリングはもはや既成事実となっており、資源価格が再び急激に上昇するためには、新たな材料が必要です。
 また、電気料金やガソリン代、灯油代などが急騰すれば、家計ではその他のモノやサービスに対する消費を抑えざるを得ませんので、その他のモノやサービスには、価格の下押し圧力がかかり、物価抑制要因となってきます。
 米国経済も、2022年1~3月期の実質GDP成長率(前期比)がマイナス1.4%となっており、消費者物価上昇率にも頭打ちの兆しが見られます。米国がいつまで金融引き締めを続けるのかは、慎重に見極めていく必要があります。もし、米国が金融引き締めを取り止めた時に、日本が金融引き締めに突入していたら、急激な円高に見舞われることを覚悟しなければなりません。


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