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(浅井茂利著作集)労働移動支援助成金見直しをきっかけに労働法制・労働行政の改定は出直しを

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1595(2015年10月25日)掲載
金属労協政策企画局長 浅井茂利

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 先月号の本欄では、従業員のリストラで人材会社に支援を依頼すると、企業が助成金を受け取れる「労働移動支援助成金」が、
*2013年度当初予算では1億8,600万円だったが、「日本再興戦略」に基づき、2015年度予算では、実に349億4,400万円が計上されている。
*これに対して執行額は、2014年度実績で5億9,200万円、執行率2%、しかも支給先上位10社で執行額の40%を占める、といういびつな状態にある。
ことをご紹介しました。
 9月に入ると、各府省から2016年度予算の概算要求が出されましたが、労働移動支援助成金は153億5,300万円で、前年度予算比56.1%の削減とされています。2014年度実績に比べれば26倍ですから、まだまだ多すぎると思いますが、それでも見直しの第一歩のように見受けられます。
 労働移動支援助成金は、安倍内閣の成長戦略の目玉のひとつですが、これをきっかけとして、成長戦略に盛り込まれた労働法制・労働行政の改定について、根本的な出直しを行っていくことが必要なのではないでしょうか。

成長戦略で「成長分野」を示しても、効果は期待薄

 安倍内閣では、「日本再興戦略」と銘打った成長戦略を「第三の矢」として掲げています。2013年、14年、15年と、これまで3回にわたり策定されています(今年は「日本再興戦略改訂2015」)が、成果が出ていないという声が多いようです。
 一般的に、政府の成長戦略で多いパターンは、「これからの成長分野はここです」というのを示して、その分野における研究開発や設備投資を促すための減税や補助金を設けたり、政府系研究機関に金をつぎ込んだりするというものです。しかしながら、研究開発や設備投資などというものは、乏しい費用を色々と工夫しながら使ってこそ、よい知恵が生まれ、成果が上がるのではないかと思います。ニューヨーク・パリ間無着陸飛行一番乗りを果たしたチャールズ・リンドバーグは、予算が15,000ドルしかなかったので、愛機スピリット・オブ・セントルイスは、操縦士が一睡もできない一人乗り、エンジンひとつにすべてをかける単発機、燃料節約のため前方に窓がなく前が見えない、という常識はずれのものでした。リンドバーグは、エンジン3つの三発機でもひとつ故障すれば生きて還れない、と判断していましたが、もし予算が豊富であったなら、何も考えずに三発機を発注していたことでしょう。予算が少なかったために、むしろリスクを少なくすることができたのです。これに対して、リンドバーグと同様、無着陸飛行に挑戦し、スピード不足で滑走路から離陸できずに炎上したフォンク大尉の飛行機は、4人乗りでキャビンは革張り、ベッドも備え付けられていたということです。
 成長分野にしても、既知の分野がほとんどで、「なるほど、そういう分野があったのか」などというものは、なかなか見つからないのが普通です。成長戦略で示されるような分野には、放っておいても投資が行われるはずですし、逆に成長戦略の中には入っていないけれど、実は有望な分野への投資が抑制されてしまったら、元も子もありません。
 安倍内閣の日本再興戦略も、基本的には成長分野にカネを注ぐというパターンを踏襲していますので、その点で、成果が出てこなくても、それで普通ということなのです。
 ただし日本再興戦略は、そうした「カネ目」の政策ばかりではありません。その点はよいのですが、問題は、「カネ目ではない」政策の目玉が、労働法制・労働行政の改定だということにあります。

日本再興戦略の目玉だった労働移動支援助成金

 2013年6月の日本再興戦略では、「雇用制度改革・人材力の強化」の一番目として、「行き過ぎた雇用維持型から労働移動支援型への政策転換(失業なき労働移動の実現)」を掲げています。先月号でも触れていますが、日本再興戦略の柱は「産業の新陳代謝の促進」です。産業・企業における構造転換は、つねに行われるべきものですが、再興戦略では、「成長分野への人材の移動を加速する」ことで、これを実現しようとしています。たとえば企業が新分野を開拓しようとする際、新たに従業員を雇用し、それまで働いていた従業員は解雇して再教育を行い、再就職を図るというのが、再興戦略の思い描く典型的な姿です。
 この姿を実現するための象徴的な政策が、「カネ目」ではありますが、「労働移動支援助成金の抜本的拡充」です。2013年の再興戦略で打ち出された具体策は、
①雇用調整助成金(2012年度実績額約1,134億円)から労働移動支援助成金(2012年度実績額2.4億円)に大胆に資金をシフトさせることにより、2015年度までに予算規模を逆転させる。
②労働移動支援助成金の対象企業を中小企業だけでなく大企業に拡大する。
③送り出し企業が民間人材ビジネスの訓練を活用した場合の助成措置を創設する。
④支給時期を支援委託時と再就職実現時の2段階にする。
⑤受け入れ企業の行う訓練(OJTを含む)への助成措置を創設する。
⑥キャリアチェンジを伴う労働移動を成功させるためのキャリアコンサルティング技法の開発等を推進する。
が掲げられています。
 労働移動支援助成金は、もともと「事業規模の縮小等に伴い離職を余儀なくされる労働者等に対して、その再就職を実現するための支援を民間の職業紹介事業者に委託して行う事業主に対して助成するもの」です。従来は、中小企業事業主のみに、そして再就職実現時のみに支給されていました。
 具体策の①については、先月号でご紹介したとおり、2013年度当初予算では1億8,600万円だったのが、補正予算で3億8,200万円の上積みがなされ、2014年度予算では実に301億3,300万円、2015年度には349億4,400万円に増額されました。
 しかしながら、執行額は2013年度に2億300万円(執行率36%)、2014年度が5億9,200万円(同2%)という状態で、しかも2014年度実績で見ると、支給先上位10社で執行額の40%を占めるという、いびつな状態となっています。
 ②については、2014年3月1日の制度改定により、中小企業事業主以外についても支給されることになりました。中小企業事業主には人材会社への委託費用の3分の2(45歳以上は5分の4)が支給されるのに対し、中小企業事業主以外には、2分の1(同3分の2)となっています。多くの部門を持ち、社内での配置転換が比較的容易な大企業に対しても支給する必要があるのかどうかは、きわめて疑問ですが、縮小する部門の従業員は解雇、という再興戦略の基本的な考え方に立てば、おかしくないわけです。
 ③については、再就職支援の一部として、訓練・グループワークの実施を人材会社に委託した場合、支給額が加算されることになりました。訓練は再就職支援の重要な要素ではないかと思いますが、労働移動支援助成金の制度上は、再就職支援では訓練を行わないのが基本、ということになります。 
 「グループワーク」とは何をするのかわかりにくいですが、要は、再就職支援を受けている求職者同士で情報交換をする、ということです。人材会社が実施し、解雇を行う事業主が費用を負担していることが要件ですが、なぜ公的資金で助成しなくてほならないのか、理解に苦しむ仕組みです。
 ④については、10万円を再就職支援委託時に支給し、残りを再就職実現時に支給することになりました。「失業なき労働移動」「成長分野への人材の移動」という再興戦略の掲げるスローガンが、単なるきれいごとであることを示す以外には、何の意味もない制度改定と言わざるを得ません。
 ⑤については、リストラ対象となった(正確には、労働移動支援助成金受給の前提となる再就職援助計画の対象となった)労働者を受け入れた企業が訓練を行った場合、賃金助成や訓練経費助成(Off-JTの場合)、訓練実施助成(OJTの場合)を支給するというものです。これにより、労働移動支援助成金は、解雇する企業への助成金(再就職支援奨励金)と、受け入れる企業への助成金(受入れ人材育成支援奨励金)の二本立てとなりました。
 受け入れる企業への支援は、大変結構なことだと思いますが、果たして企業側のニーズがあるのかどうか、ということになると思います。
 なお2014年の制度改定では、このほか、リストラ対象者に求職活動のための有給休暇を付与した企業への助成が新設されています。(人材会社への支援委託がなくても受給可能。再就職実現時のみ)

2016年度概算要求での見直し

 2015年度予算では、再就職支援奨励金が84億2,800万円、受入れ人材育成支援奨励金265億1,700万円が計上されていますが、2014年度の執行額は、再就職支援奨励金が5億9,000万円、受入れ人材育成支援奨励金がわずか162.1万円(対象の労働者は11名)にすぎません。
 こうした状況を受けて、政府の行っている事業に無駄がないか、制度の改革が必要ではないかをチェックする「行政事業レビュー」において、「執行実績が低調なため、積算を見直し、予算額を縮減すること」との所見が示されました。このため2016年度予算の概算要求は、再就職支援奨励金が40億7千万円(前年度予算比51.7%減)、受入れ人材育成支援奨励金が88億5千万円(同66.6%減)に削減されることになりました。
 なお概算要求ではこのほか、キャリアチェンジを希望する中高年人材を受け入れて、年齢にかかわりなく活用する企業に支援を行う「キャリア希望実現支援助成金」の新設が盛り込まれ、概算要求額23億9,400万円が計上されています。
 労働移動支援助成金は、建前では、企業に対する支援を通じて、勤労者の雇用を確保しようとするものですが、現実には、人材会社を育成するための事業になっていると判断せざるを得ません。労働移動支援助成金は、いわゆる雇用保険二事業ですが、費用は全額企業の拠出だから、税金が使われていないから、どのように使われてもかまわない、ということにはならないと思います。本来であれば、保険料を支払っている一般企業や経営者団体から怒りの声が上がってもおかしくないと思いますが、経営側にとっては、「雇用の流動化」の雰囲気づくりのほうが大事なのかもしれません。

労働法制・労働行政の改定は根本的に出直しを

 このように魑魅魍魎の労働移動支援助成金ではありますが、2016年度予算の概算要求は、これまで日本再興戦略に縛られ、実態とかけ離れた政策となっていたのを、軌道修正する第一歩であると言えるでしょう。
 通常国会では、労働関係の多くの法案が国会に提出されましたが、労働者派遣法改正案は成立したものの、労働時間規制や割増賃金の適用除外を可能にする労働基準法改正案、外国人技能実習生の受け入れ期間の延長と受け入れ人数枠の拡大を図る「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律案」については、継続審議となっています。
 労働移動支援助成金が代表的な事例であるように、安倍内閣の進めている労働法制・労働行政の改定は、現場の実態に即したものではなく、また、新陳代謝 → 企業の収益改善 → 国民への還元 → 消費の増大 → 新たな投資、という好循環の実現に寄与するものともなっていません。労働移動支援助成金見直しをきっかけとして、もう一度根本的に出直しを図るべきではないでしょうか。

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