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(浅井茂利著作集)外見は変化も中身は変わらない経労委報告

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1611(2017年2月25日)掲載
金属労協政策企画局長 浅井茂利

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 1月には、2017年春闘における経営側の方針として、経団連の「経営労働政策特別委員会報告」が発表されました。
 経済情勢・企業業績の見方、賃金引き上げや働き方改革の必要性など、大枠の考え方は、労働組合と認識をほぼ同じくしているように見えます。しかしながらその中身を見ると、
*賃金引き上げは「年収ベース」。ベアを行う場合は重点的な実施。
*大手と中小の格差是正は、中小企業経営者の理解を得られない。
*「同一労働同一賃金」は自社の判断で。
といったように、現実の対応がこれまでと変化しているようには見えません。昨年のように強面ではないものの、外面は政府や世論におもねているが、中身は何も変わらない方針と言えます。

従来同様、賃金引き上げは年収ベースで

 経労委報告では、「経済の好循環を力強く回すという社会的要請を引き続き重視」し、「3年間続けてきた経済界の取組みをさらに進めるため、賃金引上げのモメンタム(勢い)を2017年も継続していく必要がある」と指摘しています。ここだけを読むと、あたかも労働組合の方針のように見えますが、現実はもちろん甘くありません。
*賃金の引き上げ方法は定昇やベアのみならず、諸手当の見直し、賞与・一時金のアップなど多様な選択肢が考えられる。
*ベアは、企業の継続的な労働生産性の向上や付加価値の増大などを踏まえ、必要に応じて不定期に実施するもの。特定の年齢層や資格などに重点配分。
といった具合に、ベアに対する姿勢は従来と変わっていません。
 今回、経労委報告では、経済情勢・企業業績に関し、経営側としては、かなり明るい認識を示しています。これは、ベアより一時金と主張しているのに、経済情勢や企業業績を悲観的に分析していると、つじつまが合わなくなってしまうからではないかと思います。
 一時金については、組合員の努力に報いるため、適正な配分を確保していかなくてはならないのは当然ですが、企業の短期的な業績を反映するという性格もありますので、「社会的要請」に応えるための勤労者への配分増の手段としては、適切ではないと思います。

賃上げと消費

 2017年闘争の焦点は、なぜ2014年以降、3年間の賃上げにも関わらず、消費の回復が遅れているのか、ということだと思います。経労委報告では、
*人口減少という構造的問題と社会保険料負担の高まりによって生じている「将来不安」が賃金引き上げの効果を減殺している。
*こうした「将来不安」の払拭がないまま、4年連続で賃金引き上げを図っても、期待される効果は限定的となる。
として、もっぱら社会保障に責任を押し付けています。
 経労委報告でも、「企業においても、社員の生活防衛的なマインドを変えるべく可能な限りの対処を図る」としている点は、企業としての矜持を示したものと言えます。しかしながら、「可能な限りの対処」の中身と言えば、残念ながら
*新たな消費喚起策として、本年2月24日から毎月最終金曜日に実施予定の「プレミアムフライデー」。
*業績の短期的な変動に柔軟に対応しやすい賞与・一時金の増額。
を掲げるに止まっています。

消費回復には恒常所得の引き上げが何より重要

 先月号でも指摘したとおり、消費拡大に必要なのは、恒常的な所得の増加と生涯所得の見通しの向上です。生涯にわたって、その時々に必要な所得が得られるという前提なしに、勤労者が安心して消費支出を拡大させることはできません。
 この点については、昨年もご紹介しましたが、厚労省『平成27年版労働経済自書』において、
*所定内給与が1%増加した場合にマクロの個人消費を0.59%増加させる影響がある一方、所定外給与が1%増加した場合は0.09%増、特別給与が1%増加した場合は0.13%増の影響しかない。
*賃金の支払い形態によって消費への反応は異なっており、ベアに伴う所定内給与の増加など恒常的な賃金上昇が期待される場合には、消費に対して大きな影響がある。
*企業収益を労働者へと分配する際に、賃金面においてはベアに伴う所定内給与の増加が重要。
と指摘されているのですから、賃金引き上げは一時金で、と言うのであれば、この点について、経労委でコメントすべきだと思うのですが。残念ながら、とくに見当たりません。
 ちなみに、経労委報告では、
*多くの企業が賃金引き上げを継続しているものの、社会保険料負担の増大によりその効果が減殺されている。
*2015年度の現金給与総額は、継続的な賃金引き上げ前の2012年度と比較して約2.1%増(約10.8万円増)であるのに対し、社会保険料は約8.3%増(約5.8万円増)と、賃金の伸びを大きく上回っている。
と主張しています。
 「継続的な賃金引き上げ前」と比較するのなら、普通は2013年度と比較するのではないでしょうか。2013年度は大部分の勤労者にとってベアは行われず、しかし社会保険料率は引き上げられているわけですから、2012年度と2015年度を比較すると、社会保険料の負担が重くなってしまうのは当たり前です。金属労協では、マクロレベルで2013年度と2015年度の比較を行いましたが、この間に「賃金・俸給」が6.0兆円増加したのに対し、社会保険料の従業員負担増は2.3兆円です。賃上げ分の3分の1というのも重いですが、それでも半分以上持って行かれてしまう計算と比べると、ずいぶん印象が違います。
 もっとも、賃上げが目減りしてしまうのも事実なので、消費拡大への効果という点で効率性のよいベアを行うべきだと言えるでしょう。
 いずれにしても、経団連のこのような姿勢こそ、「社員の生活防衛的なマインド」を招いてしまう際たるものなのではないでしょうか。

粗略な格差是正批判

 経労委報告では、連合が「大手追従・大手準拠からの転換」を打ち出したにもかかわらず、大手と中小の格差是正をめざすことは矛盾しており、中小企業の経営者の理解は得られにくい、と主張しています。
 表面上の言葉尻をとらえて批判しているだけなので、上げ幅での大手準拠から脱し、賃金水準での格差是正をめざすということですよ、と言えばいいだけのことだと思います。連合の思いは、大手の賃上げ額を超えることを困難視してきたすべての労使の認識を改め、企業規模によらず、必要な格差是正が行われる環境を創り出すことにあるわけですから、何の矛盾もありません。
 大企業と中小企業を比べると、労働分配率(人件費÷付加価値)は中小企業の方が高い傾向にあります。
 しかしながら一方で、中小企業は大企業に比べ、労働装備率が圧倒的に低い状況にあります。労働装備率とは、従業員1人あたりの企業設備の金額ですから、中小企業は人手に頼った事業活動を行っているということになり、それであれば、労働分配率が高くて当然だと思います。

同一労働同一賃金の実効性が骨抜きになりかねない

 2016年12月には、政府の「同一労働同一賃金ガイドライン案」が発表されたわけですが、経労委報告はこれに対しても、骨抜きを狙っているようです。
 労働組合としても「ガイドライン案」には色々問題があり、今後、労働組合も加わって、もっとよいものにしていかなくてはならないと思いますが、経労委報告のように、「さまざまな要素を総合的に勘案し、自社にとって同一と評価される場合に同じ賃金を支払う」というようなことでは、結局、現状の格差を正当化するだけになってしまいます。
 また、政府の「ガイドライン案」が、「正規雇用労働者と非正規雇用労働者との間で、待遇差が存在する場合に、いかなる待遇差が不合理なものであり、いかなる待遇差は不合理なものでないのかを示した」ものですから、ガイドラインを満たしているかどうかの説明責任は企業にあると思いますが、経労委報告では、勤労者のほうが「不合理性」を立証しなくてはならない現行の仕組み(労働契約法)の維持を狙っているようです。

「働き方改革」なのに「高度プロフェッショナル制度」の創設

 経団連では、「働き方・休み方改革」を推進していますが、今回の経労委報告でも、「不必要な残業の削減による長時間労働の撲滅」、「年休の100%取得」を主張している点については、重要だと思います。
 しかしながら一方で、ホワイトカラーには、要した時間と成果が必ずしも比例せず、厳格な労働時間管理が馴染まない仕事が増加していることから、いわゆるホワイトカラー・エグゼンプション制度に相当する「高度プロフェッショナル制度」の創設を主張していることは、ワーク・ライフ・バランスをめざす「働き方・休み方改革」とは逆行しているように思われます。過労死事件がこれだけ大きくクローズアップされている中では、なおさらです。
 「高度プロフェッショナル制度」は、一部では、「脱時間給制度」などという呼び方も喧伝されていますが、高度プロフェッショナルな仕事に従事している者で時間給が適用されている者は少ないわけで、やはり「残業代ゼロ制度」の方が、実態を的確に表しています。
 仮にホワイトカラーの業務が「要した時間と成果が必ずしも比例しない」としても、地道な作業に時間を費やすことなく、成果を得ることなどできません。いくら立派な企画書を作っても、通らなければ成果にはならないかもしれません。
 その点では、「要した時間と成果が必ずしも比例」しにくいとは言えます。しかしながら、そもそも企画書を作らなければ、成果にはつながらないし、企画書づくりにはそれなりの時間が必要でしょう。企業として、企画書のページ数制限、プレゼンソフトの禁止、などといった取り決めを徹底すればある程度、時間は節約できるでしょうが、そのような外見ではなく、やはり中身の充実こそ企画書の命であり、そのためのデータの収集と分析、ロジックの組み立て、そして成文化には、ある程度、時間を必要とし、その質は時間に比例するものだと言えるのではないでしょうか。もし仮に、成果と賃金が見合っていなかったとすれば、それは所定外賃金の問題ではなく、評価の問題だと思います。また、柔軟な働き方であればあるだけ、「厳格な労働時間管理」を欠かすことはできないし、厳格な労働時間管理ができれば、所定外賃金を支払うことに問題はないはずです。

経労委報告は「失われた20年」から脱するべき

 結局、今年の経労委報告も、「失われた20年」の間の固定観念から脱し切れていないということなのではないでしょうか。
 景気は昨年秋以降、明らかに回復しています。賃上げにとって重石となっていた中国など新興国との人件費コストも、単位労働コスト(付加価値あたり人件費)では、新興国における急激な人件費上昇と生産性の格差により、すでに逆転しています。来年2018年には、組織統合前の旧・日経連の発足以来70年目にあたります。来年の経労委報告は、発足時のスローガン「経営者よ 正しく強かれ」の気概を取り戻し、労働組合と正々堂々と論戦のできるものにして欲しいと思います。

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