見出し画像

(浅井茂利著作集)本当は身近な労働分配率

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1570(2013年9月25日)掲載
金属労協政策企画局次長 浅井茂利

<情報のご利用に際してのご注意>
 本稿の内容および執筆者の肩書は、原稿執筆当時のものです。
 当会(一般社団法人成果配分調査会)は、提供する情報の内容に関し万全を期しておりますが、その正確性、完全性を保証するものではありません。この情報を利用したことにより利用者が被ったいかなる損害についても、当会および執筆者は一切責任を負いかねます。


 いよいよ来春闘の方針に関する議論が、本格化する時期となりました。リーマンショック以降、労働組合全体としてベースアップ、賃金改善を要求するという状況ではありませんでしたが、2013年6月には消費者物価上昇率がプラスに転じ、 2013年度の実質GDP成長率についても、政府・民間とも2.8%程度を想定(政府は内閣府試算、民間は40調査機関平均。いずれも2013年8月時点)している中で、労働組合がどのような取り組みを行うかが注目されています。
 本稿では、直接に春闘要求に関係するわけではありませんが、成長成果が適切に勤労者に配分されているかどうかを示す指標である労働分配率に関し、その重要性について、ご紹介してみたいと思います。

よくわからない労働分配率

 労働分配率という言葉自体は、よく知られていますし、低いとか下がったとか、話題になることも少なくありません。しかしながら、労働分配率の本当の意味合いは、何だかよくわからない、という場合が多いのではないでしょうか。
 ひとくちに労働分配率といっても、さまざまな算出方式があります。同じ期間について見ても、ある指標では労働分配率は低下しており、別の指標では上昇しているというような場合が普通にあるので、よくわからないのも当然です。
 労働分配率は、分母を付加価値、分子を人件費とする指標で、この定義については、どの方式でも共通しています。ちなみに付加価値というのは、一定の期間に産み出された商品やサービスの合計金額ですが、例えばA社がB社から商品を仕入れて販売した場合、A社の売り上げとB社の売り上げを足し合わせると、A社がB社から仕入れた分はダブルカウントになってしまうので、これは控除することになっています。付加価値は粗利に近い概念と言えるでしょう(ただし製造業の場合は、粗利+工場の人件費)。
 労働分配率が低下した場合、分母である付加価値の増加率に比べて、分子である人件費の増加率が少ないということですから、労働分配率は、付加価値の増加に見合った勤労者への成果配分がなされているかどうかの判断材料になります。
 それぞれの立場によって、労働分配率の用途はさまざまだと思いますが、労働組合にとって、あるいは労使関係における労働分配率の意味合いは、そうしたものだということです。

使えない労働分配率

 労働分配率には大きく分けて、財務省の法人企業統計を使って算出しているものと、内閣府の国民経済計算(GDP統計)を使っているものとがあります。財務省の法人企業統計は、企業の財務会計のデータを集計したものなので、詳細な数値を把握することができますが、それによるマイナス面もあります。
 第一に、年々の振れが大きいこと、第二には、法人企業統計で算出した業種平均の労働分配率と、「わが社」の数字とを比較することが可能なので、かえって本質的な議論がされにくいこと、があげられます。
 例えば「わが社」の労働分配率が業種平均より低い場合、賃金水準が低いのか、平均年齢が若いのか、人件費に計上されない間接雇用(派遣・請負)が多いのか、自動化が進んでいるのか、サービス体制が弱いのかは、労働分配率だけではわかりません。労働分配率が低いという事実をもとにして、「わが社」の問題点を深掘りしていくのならよいのですが、労働分配率など意味のない数字だ、ということになりがちです。逆に高い場合には、わが社の賃金水準は高すぎるというような、単純な話になってしまうかもしれません。労働組合にとっては、どちらにしろ「使えない指標」だということになります。
 たとえ同じ業種であっても、事業構造は各社それぞれですから、労働分配率もさまざま、労働分配率が異なる理由も色々です。したがって、労働分配率は同業他社との比較のような用途で使うというよりは、もっと大きなレベルで(つまり巨視的に)、日本経済全体として、成長成果に見合った勤労者への配分ができているのかとか、グローバルな市場競争の中で、日本企業の勤労者への配分は多いのか少ないのかとか、そういった判断をするために用いることが重要であると思います。
 そうであれば法人企業統計ベースの労働分配率よりも、GDP統計ベースの労働分配率のほうが目的に適っていると言えるのではないでしょうか。

GDP統計ベースの労働分配率

 内閣府のGDP統計では、名目雇用者報酬 ÷ 名目国民所得という指標を、労働分配率として紹介しています。ちなみに「雇用者報酬」には、賃金や一時金だけでなく、社会保険料の負担や福利厚生費も含まれています。
 この指標の問題点としては、分母に自営業者の産み出した付加価値が含まれているので、自営業者の廃業が進むと、傾向的に労働分配率が上昇してしまう、ということがあります。
 例えば、自営業の酒屋さんが廃業し、スーパーに就職して酒を売るようになったとします。お客さんは酒屋さんが廃業すれば、スーパーで買い物をするので、労働分配率の分母である付加価値の金額は、日本全体としては変わりません。一方、酒屋さんの収入は、酒屋さんだった時は雇用者報酬には入りませんが、スーパーに就職すれば、雇用者報酬に算入されます。
 経済が発展するにつれて、自営業者は減少する傾向があるので、名目雇用者報酬 ÷ 名目国民所得という指標は、上昇のバイアスがかかっているということになります。
 賃金が上昇したわけでもないのに、自営業者やその跡継ぎがサラリーマンになるだけで、この労働分配率は上昇してしまうのです。
 こうしたバイアスは、分母・分子を1人あたりにする、すなわち、分母は「就業者1人あたり」、分子は「雇用者1人あたり」にすることで、解消することができます。
 分母の「国民所得」ですが、日本全体の付加価値を表すデータとしては、国民所得よりもGDPのほうがなじみがあります。また、国民所得は名目GDPに比べ、建物や設備の減価償却(GDP統計では固定資本減耗という)の分が差し引かれているという違いがあります。減価償却は、建物や設備を使用して劣化した分の金額ですが、言い換えれば、建物や設備を現状維持するための再生産費用ということになります。労働力の再生産費用(日々の食費や、次世代の労働力を育てる養育費など)は、雇用者報酬の中に含まれているのですから、建物や設備の再生産費用も、分母の付加価値の中に含まれているほうがよいと思います。こうしたことから、
雇用者1人あたり名目雇用者報酬 ÷ 就業者1人あたり名目GDP
という指標が、日本経済全体として、勤労者への成長成果の配分が適正であるかどうかを判断するのに適した指標と言えるのではないでしょうか。

生産性と賃金の関係を示す労働分配率

 1人あたりの付加価値というのは、まさに生産性そのものです。①失業の防止、②労使の協力、③公正な配分、が「生産性三原則」ですが、労働分配率の分母・分子を1人あたりにすることによって、労働分配率が生産性向上の公正な配分を示す指標であることが、より明確になります。生産性の上昇に見合って、1人あたりの人件費が引き上げられると、分母と分子が同じ比率で増加することになるので労働分配率は変化しない、というところが、この労働分配率の分かりやすいところです。

生産性と賃金の関係を示す労働分配率

 わが国の労働分配率の動向を見てみると、1970年代~80年代初頭には70%台だったのが、1980年代に大きく低下しました。その後、「失われた20年」の前半期(90年代)には、60%台半ばで推移していましたが、2000年代初頭の景気回復の際に再び大きく低下し、以降は60%を挟んだ動きとなっています。2008年度にはリーマンショックのために、2011年度には東日本大震災の影響により、労働分配率はいったん上昇していますが、ごくわずかな上昇となっています。

 80年代には、わが国の内需不足・外需依存体質が国際的に大きな批判を浴びていました。労働分配率の低下が内需不足・外需依存の要因であった可能性は、否定できません。事実アメリカ政府は、日本の製造業の賃金水準の低さが、日米の貿易不均衡をもたらしているとの判断に立って、為替の円高誘導により、強制的に日米賃金水準の格差解消を図りました。これが1985年のプラザ合意です。
 日本はプラザ合意による円高不況に対処するため、大幅な金融緩和を行いましたが、これが行き過ぎてバブル経済が発生、その解消のための金融引き締めが、「失われた20年」の端緒となりました。
 2000年代初頭には小泉内閣の下で、再び大幅な量的金融緩和が行われ、長期にわたる景気回復を実現しましたが、勤労者への成果配分を欠いていたため、もっぱら円安に依存した、実感なき好況となってしまいました。賃上げは景気の後追いになるので、景気回復の初期には労働分配率はいったん低下しますが、2000年代には、結局低下したままとなりました。
 グローバル競争の激化で賃金が上げられない、ということがよく言われましたが、労働分配率の分母である付加価値は確保されていたわけですから、この理屈は成り立ちません。
 賃金には下方硬直性があるため、不況時には労働分配率は上昇する、というのが普通ですが、日本では所定外賃金や一時金の占める割合が大きく、また非正社員の比率が大きくなってきているため、人件費調整は容易となっています。したがって、不況でも労働分配率はあまり上昇しません。リーマンショックの時ですら、2007年度から2008年度に2.1ポイント上昇しただけで、その後の2年間でほぼリーマンショック前の水準に戻ってしまっています。

労働分配率は円滑な市場経済のバロメーター

 いま安倍政権の下で、大幅な量的金融緩和が行われていますが、前回(2000年代前半)の轍を踏まず、実感ある、力強い成長軌道を確立できるかどうかは、ひとえに勤労者に対する適正な配分が実現されるかどうかにかかっています。
 市場には、モノやサービスを売買する財市場、おカネのやり取りをする金融市場、そして労働市場がありますが、それぞれが独立して機能しているわけではありません。もし労働市場において、勤労者に対する配分が過少であれば、財市場では内需不足、金融市場では貯蓄過剰という歪みが生じ、外需依存や財政赤字の拡大という弊害をもたらすことになります。労働分配率をチェックすることによって、こうした歪みを察知することは非常に重要です。労働分配率は、まさに市場経済が円滑に運営されているかどうかのバロメーターであると言えるでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?