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賃上げの参考書(8)市場経済原理の下での適切な賃金・労働諸条件決定に向けて③

2024年6月4日
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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<概要>

*労働市場における労働力の売り手と買い手の対等性を確保し、商品・サービス市場、金融市場、労働市場の対等性を確保するためには、労働組合の組織化とともに、企業別労働組合(単組)が産業別労働組合(産別)に加盟すること、労働組合が争議権を背景に交渉していること、労働基準法などの労働法制や労働行政によって賃金・労働諸条件、職場環境などが底支えされていること、がきわめて重要である。

*企業における通常の業務遂行では、労働者(従業員)は経営側の指揮命令に従っており、人事権も経営側にあるため、労働組合がないと労働側は労使交渉において対等の立場に立つことができないが、同業他社の単組と密接な連携を持たない孤立した単組では、労働組合組織化の効果は限定的で、情報やリスクの非対称性を解消することも困難であるが、こうした単組の弱さを補完するのが産別である。

*たとえば春闘において、産別の要求基準に基づいて要求を提出し、交渉すると、①要求の客観性・合理性・正当性が高まる、②実際の交渉は個社ごとに行われるにしても、日本の経済力に相応しい賃金水準、経済情勢に見合った賃上げ、社会的な賃金・労働諸条件改善の必要性、産業全体の状況を踏まえた賃金水準や賃上げのあり方など、まずはマクロ的な観点が交渉の出発点となる、③産業内の競争条件に対し、中立的な要求になる、という効果がある。

*ナショナルセンター、大産別、産別、単組でそれぞれ重層的に情勢分析と議論を積み重ねてきた結果の要求、ひいては組織労働者全体の意思を結集した要求となるので、単組が自分たちだけで組み立てた要求よりも客観性・合理性・正当性が高まっており、要求の「重み」が増し、経営側に対する圧力が高まる。

*経営側は、同業他社よりも人件費コスト増が大きいことによる競争力低下を恐れるが、産業内で同じ要求をし、回答が得られれば、人件費コスト増によって産業内の競争条件が変化することがない。同業他社よりも低い賃金水準にすることによって競争力を確保しようとする、低賃金競争の防止にもつながる。

*労働組合と経営側との情報の非対称性への対処という点でも、産別を通じた産業動向の分析、産業内の各社・各単組における賃金・労働諸条件の制度や実態、労使交渉の状況などといった情報の共有は、単組の活動にとって非常に大きな力になっている。近年、経営側からの圧力により、労働組合同士での情報共有を避けようとする傾向も見られるが、労働組合の弱体化につながるものである。

*リスクの非対称性についても、たとえば労使交渉が難航している場合、産別から人的・資金的支援が行われたり、産別が世論形成を図ったりする。経営側から人員整理を提案されたような場合には、産別は当該の単組に対し、特別な支援体制を組み、必要な場合には、政府、地方自治体なども巻き込んだ対策を講じていくはずである。

*争議行為は、単組委員長や執行部も含めて、通常の業務遂行では労働者(従業員)は経営側の指揮命令に従っており、人事権も経営側にあるという、経営側に対する労働組合の「立場」の脆弱性を補完し、市場経済原理の下で労使対等を確保するためにきわめて重要なツールである。いつでも争議行為に入れるという意思や力を経営側に示しておくことが、経営側から適正な回答を引き出すための圧力となる。 

*本当に必要性があって、慎重な検討を重ねた上で決行した争議行為であるならば、たとえ成功しなかったとしても、その後の春闘において、争議行為に入らざるを得ないような回答をあらかじめ阻止する効果が、間違いなくある。

*厚生労働省「令和5年労働組合基礎調査」によれば、連合に加盟する組合員が労働者の1割、そうではない労働者が9割ということになる。仮に、労働者の1割に相当する組合員の交渉では労使対等が確保されていると仮定して、その交渉結果が他の9割に波及すればよいが、9割の状況に1割が引っ張られるということも考えられる。これを避けるためには、労働基準法や最低賃金法、労働安全衛生法などの労働法制や労働行政によって、9割の労働者の賃金・労働諸条件、職場環境の底支えをすることが不可欠である。

*経団連は2024年1月、「労使自治を軸とした労働法制に関する提言」を発表し、過半数労働組合がある企業や、「労使協創協議制」を利用した労働時間規制の適用除外の拡大を提案しているが、労使対等の交渉が確保されるためには、過半数組合が存在するだけでは不十分で、まずはその組合が産別に加盟していなくてはならない。また、労使協創協議制においては、従業員側が産別の指導を受けておらず、争議権を背景としていないので、労使対等の協議を期待することはできず、労使交渉の代わりとはならない。

*市場経済を有効に機能させるために必要な方策は、見掛け倒しの「労使自治」ではなく、労使対等の下で決定された賃金・労働諸条件を、決定に参加していない同地域・同種の労働者にも適用する「労働協約の地域的拡張適用」(注)の要件を緩和し、広く一般化を図ることである。

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