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金融政策は失敗していない(2023年発表のものです。ご注意ください)

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1688(2023年7月25日)掲載
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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 黒田日銀総裁の退任、植田新総裁の就任から、本稿執筆時点ですでに2か月以上となっています。マスコミ報道などの影響で、黒田日銀の10年間は失敗であったかのようなイメージがありますが、とんでもない誤解です。またこうした評価は、再びデフレ容認政策を招き寄せる可能性もあり、きわめて危険です。植田日銀は金融政策の継続を強く打ち出しており、そうしたこともあって、日経平均株価はバブル崩壊後における最高値を更新する状況となっています。

金融政策を考える前提

 まずは、黒田日銀の金融政策がどのようなものであったかを、時系列で振り返ってみたいと思います。
 なお、ここで重要なポイントは、
*マネタリーベース
*日銀による長期国債の買い入れ(保有残高の増加)
*金融機関が日銀に保有する当座預金(日銀当座預金・・・日銀当預)
です。あらかじめ少し説明したいと思います。
 まず、マネタリーベースですが、これは、「日本銀行が世の中に直接的に供給するお金」のことで、具体的には、市中に出回っている現金(お札の発行高+コインの流通高)と日銀当預の残高の合計です。日銀が金融機関から国債を購入し、その代金を日銀当預の口座に入金すれば、金融機関が貸出を増やしたり、資金運用を拡大したりできる、というのが金融市場調節の本来の姿です。
 しかしながら、日銀当預はもともとゼロ金利だったのが、白川日銀時代の2008年10月、日銀当預の残高のうち、法律で預けることが義務づけられている分(所要準備)を超えて預けている分(超過準備)について、0.1%の金利を支払う(プラス金利)ことになりました。このため、金融機関は、国債を日銀に売却した代金で貸出や運用をしなくても、日銀当預に預けたままにしておけば、収益が確保できる状態となりました。日銀による金融機関からの国債購入という金融緩和の効果が著しく減殺されているわけです。低金利で収益の悪化した金融機関への補助金であるとともに、政府から求められて見かけ上は金融緩和を実施しても、実際には効果が出ないようにするための仕掛けだと思います。
 実はこれが、金融緩和を「異次元」の規模で行わなければならなかった真相だと思います。見かけ上の金融緩和はとんでもない規模なのですが、実際の規模は大きくありません。
 超過準備に対する金利支払いをやめればよいのですが、金融機関への補助金をやめるわけにはいかない、ということなのだろうと思います。なお、2016年1月に、一定の額を超える超過準備には、逆に、金融機関が0.1%の金利を支払う(マイナス金利)ことになり、超過準備拡大に一定の歯止めがかかりました。これによって、日銀当預には、ゼロ金利(所要準備)、プラス金利(超過準備の一定額まで)、マイナス金利(超過準備の一定額を超える分について)の3つが併存する状況となっています。

黒田日銀の金融政策の推移

 2013年以降の金融緩和政策を時系列で追うと、以下のようになります。
<2013年1月>(白川日銀)
*政権交代を受けて、「物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%とする」ことを決定。「デフレからの早期脱却と物価安定の下での持続的な経済成長の実現」に向けて、政府・日銀の政策連携について共同声明を発表。
<2013年3月>
*黒田日銀総裁就任
<2013年4月>
*「量的・質的金融緩和」の導入。2%の「物価安定の目標」を「2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現する」こと、金融市場調節の操作目標をマネタリーベースに変更し、年間約60~70兆円に相当するペースで増加するようにすること、長期国債の保有残高が年間約50兆円に相当するペースで増加するよう買入れを行うことを決定。
<2014年5月>
*「量的・質的金融緩和は所期の効果を発揮しており」と評価。
<2014年10月>
*マネタリーベースの増加額、および長期国債の保有残高の増加額を年間約80兆円ペースに拡大することを決定。
<2016年1月>
*金融機関が日銀に保有する日銀当預の残高のうち、一定の額を超える部分に0.1%のマイナス金利を適用することを決定。
<2016年9月>
*総括的な検証を行い、量的・質的金融緩和は、「経済・物価の好転をもたらし、物価の持続的な下落という意味でのデフレではなくなった」と評価。*マネタリーベースの増加ペースの方針(年間約80兆円)をとりやめ。長期金利の目標を示した「イールドカーブ・コントロール」を導入。「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」と改称。
<2020年4月>
*すでに有名無実となっていた長期国債の保有残高の増加ペースの方針(年間約80兆円)をとりやめ。
*コロナ禍に伴い企業を支援するために日銀から貸付を受けた金融機関に対し、日銀当預に対する0.1%のプラス金利支払い枠を拡大。

2013年末から2014年前半の消費者物価上昇率は1%台後半

 2%の物価目標の設定と量的・質的金融緩和の実施により、消費者物価指数(総合)は顕著な上昇傾向となりました。2013年3月の消費者物価上昇率(総合)は前年同月比▲0.9%でしたが、6月にはプラスに転じ、12月には1.6%、そして2014年5月には、(4月からの消費税率引き上げ分を除いて)1.7%に達しました。
 物価目標はあくまで2%であって、「2.0%」ではなかったのですから、2013年11月から2014年6月にかけて、消費者物価上昇率が1%台後半、すなわち四捨五入で2%に達したことを受けて、おおむね目標を達成したことをもっとはっきりとアピールしていれば、その後の展開も違っていたと思うのですが、大変残念なことでした。

2014年夏の景気減速で物価上昇率も鈍化

 せっかく「四捨五入すれば2%」に達していた消費者物価上昇率ですが、2014年夏の景気減速を受けて、11月以降はゼロ%台前半(消費税率引き上げ分を除く)となってしまいました。
 2014年夏の景気減速は、一般的には4月の消費税率引き上げの影響と考えられているようですが、景気ウォッチャー調査で見ると、3月の57.9から、4月に41.6に急激に落ち込んでいたのが、5月45.1、6月47.7、7月51.3と急速に回復していました。8月になって急に消費税率引き上げで景気が減速した、というのはとても奇妙だと思います。
 この8月は、お盆の時期に雨が続いたという事情もあるのですが、筆者はこの時期、マネタリーベースの増加ペースがやや鈍化したことが影響しているのではないかと考えています。2014年3月には、マネタリーベースは前年同月に比べ74兆円増加していましたが、その後、増加幅がやや縮小傾向となり、9月には、64兆円となっていました。
 あくまで憶測にすぎませんが、日銀は、消費税率を引き上げるような経済の変動があらかじめ予想される場合、資金供給をやや多めにし、そのあとこれを元に戻すわけですが、この時は元に戻すのが早かったということではないかと思います。 

2%目標は未達成も、デフレ脱却に大きな成果

 黒田日銀はこのあと、ロシアのウクライナ侵攻をきっかけとした資源・エネルギー価格の高騰によるコストプッシュインフレを除けば、2%の消費者物価上昇率目標を達成することはできませんでした。しかしながら、少なくともデフレ脱却という点では、大きな成果をあげたと思います。
 たとえば松下総裁から黒田総裁まで、最近5代の日銀総裁の在任期間(黒田総裁は2021年度までの9年間)における消費者物価指数の動向を見てみると、速水総裁は100.6から98.0に年率0.5%下落、白川総裁は98.1から年率0.3%下落したのに対し、黒田総裁は96.7から100.2に年率0.4%上昇しています。速水総裁、白川総裁とも、5年間中4年間で消費者物価上昇率がマイナスでしたが、黒田総裁は9年間中でマイナスは2年間に止まっており、しかもその2年間は▲0.1%(2016年度)、▲0.2%(2020年度)と最小限に止まっています。
 日本を除く主要先進国と韓国の計7か国について、最近50年間の消費者物価上昇率を見ると、7×50の350年間で、マイナスになったのは4年間だけです。速水・白川両総裁時代のデフレ容認政策がいかに異常だったかということになります。

GDPは拡大、雇用情勢は大きく改善

 実質GDPについて見ても、白川総裁の5年間では1.8%減少してしまいましたが、黒田総裁の10年間では5.9%と小幅ではあるものの増加しており、パフォーマンスの違いは明らかです。白川総裁の時にはリーマンショックと東日本大震災がありましたが、黒田総裁の時もコロナ禍がありました。欧米から始まったリーマンショックで、日本のほうがむしろ打撃が大きかったのは、やはり金融緩和が足りなかったためと思われます。
 雇用情勢を見ても、白川日銀時代は、完全失業者数が255万人(2007年度)から280万人(2012年度)に増加、完全失業率は3.8%から4.3%に、0.5ポイント上昇しました。
 これに対し黒田日銀では、完全失業者は280万人(2012年度)から、5年後の2017年度には184万人に96万人減少、10年後の2022年度も178万人となっています。完全失業率も同じく2012年度4.3%から、2017年度2.7%、2022年度2.6%と推移しています。
 生産年齢人口の減少が一層進んでいるのは事実ですが、それにしても就業者が145万人減少した白川日銀と、5年間で294万人、10年間で442万人増加した黒田日銀との違いは明白です。

今後の金融政策

 マスコミ報道では、黒田日銀の金融緩和を失敗と決めつけ、金融政策の転換を求める声が目立ちますが、本当に日本経済全体のことを考えているのか、大変疑問です。
 マネタリーベースで見れば、実は、黒田日銀は早くから金融緩和の縮小を進めており、それが2%を達成できなかった要因でもあると思うのですが、とくに2022年9月以降は、前年に比べ減少しています。今回のコストプッシュインフレに対し、消費者物価上昇率7~8%が普通のEU諸国、ようやく4%程度まで鈍化してきた米国に比べ、低いレベルで推移しているのは、そのためであろうと思います。円安が行き過ぎていることは事実ですが、これも日本企業の高収益に寄与し、景気底支えの役割を果たしてきました。
 直近では、輸入物価指数は2023年4月より前年同月比で下落に転じており、国内企業物価指数も上昇率が鈍化しています。しかしながら消費者物価指数については、「生鮮食品及びエネルギーを除く総合」で前年同月比の上昇率が拡大を続けている状況にあります。資源・エネルギー価格の上昇という海外要因をきっかけにデフレマインドが払拭され、国内要因での物価上昇に転じてきている可能性があります。消費者物価上昇率を目標の2%程度に止めるため、日銀としてこれまで以上に難しい舵取りを迫られる可能性がありますが、たとえ金融政策が目に見えるはっきりしたかたちで変更されたとしても、それは黒田日銀の金融政策の修正や転換ではなく、継続であるということを、再びデフレ容認政策が登場することのないよう、声を大にして主張したいと思います。

 


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