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(浅井茂利著作集)科学技術・イノベーションにおける研究力強化をどう進めていくか

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1662(2021年5月25日)掲載
金属労協政策企画局主査 浅井茂利

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 2021年3月、「第6期科学技術・イノベーション基本計画」が閣議決定されました。現在が「世界秩序の再編の始まり」であり、「科学技術・イノベーションは、激化する国家間の覇権争いの中核となっている」との認識に立って、「我が国も新たな世界秩序・ルール作りにおいて主導的な役割を果たすことが求められている」として、新冷戦への対応を前面に打ち出している点については、きわめて重要な提起です。
 しかしながら、焦点であるわが国の「研究力」の強化に関しては、依然として、「ポスドク1万人計画」の呪縛に捕らわれ、その失敗を糊塗し続けているのではないか、と考えざるをえません。
 わが国の科学技術政策の特徴は、1990年代半ば以降における、予算面・人材面での、研究開発における企業軽視ではないかと思います。たしかに、 「失われた20年」の間、企業がコスト削減に追われ、研究開発力が削がれ
てきたために、それならばアカデミア(大学・大学院)や公的機関に頑張ってもらおうということがあったのかもしれませんが、それが結果的にわが国全体としての研究力の弱体化につながっていないか、よく検証していく必要があると思います。
 おりしも、2050年カーボンニュートラルの政府方針を受けて、カーボンニュートラル達成に必要な、とくに重要なプロジェクトについては、官民で野心的かつ具体的目標を共有した上で、目標達成に挑戦することをコミットした企業に対して、技術開発から実証・社会実装まで一気通貫で支援する「グリーンイノベーション基金」が2兆円規模で創設されました。カーボンニュートラルに止まらず、DX(デジタル・トランスフォーメーション)や新冷戦への対応など、まさにわが国の命運を決する科学技術課題が山積している状況においては、カーボンニュートラル以外の分野に関しても、企業支援のための同様の基金を創設する必要があると思います。

第6期基本計画では新冷戦対応が前面に

 新型コロナ対応の経験を通じて、わが国におけるDX推進の遅れが浮き彫りとなりました。加えて2020年10月には、日本政府が二の足を踏んでいた2050年カーボンニュートラルが、菅総理によって宣言されることになりま
した。 2021年1月にはバイデン政権が発足しましたが、以降、米国は中国に対する対決姿勢をさらに強めるところとなっています。
 わが国は、まさにDXとカーボンニュートラル、そして新冷戦への対応という、大変革の嵐の真只中にあります。
 新冷戦の下では、わが国企業の中国市場における活動は縮小せざるをえませんが、一方で中国企業も、 「自由で開かれた」グローバル市場における活動が制限されることになります。過去の経緯にとらわれず、日本企業として冷徹に判断すれば、後者のメリットが前者のデメリットを上回ることは明らかです。
 先月号の本欄でも触れたとおり、中国企業に代わって、グローバル市場における研究開発、および素材・部品・最終製品供給の両面で主導的な役割を取り戻していくことができるよう、政府も企業も腹を括っていかなくてはなりません。
 その点、今回の第6期基本計画では、
*現在の世界は、中国の台頭と激しい米中対立の先鋭化等の変化によって混迷の度を深めている。そのような地政学的変化がもたらす新しい世界秩序の模索は、顕在化した国家間の競争であり、自国存続のために国際連携を再構築しようとする新たな「連携」への流れである。
*科学技術・イノベーションは、激化する国家間の覇権争いの中核となっている。米中をはじめとする主要国は、先端的な基礎研究とその成果の実用化にしのぎを削り、その果実を、安全保障上の脅威等への対応のための有効な対応策として位置付け、感染症の世界的流行、国際テロ・サイバー攻撃、激甚化する大規模自然災害への対応も含め活用する取組を進めている。また、こうした中、技術流出問題も顕在化しており、各国ともこれを防ぐ取組を強化している。
*現在、世界各国は国家と世界の秩序に関する模索の時代にあり、我が国も新たな世界秩序・ルール作りにおいて主導的な役割を果たすことが求められている。
として、わが国のとるべき姿勢を鮮明に示していることは、きわめて重要だと思います。
 新冷戦への対応については、新冷戦の開始宣言(2018年10月)後、2年以上経過しているにもかかわらず。企業の気迷い状態が続いており、いまだに中国での、あるいは中国企業と連携した研究開発などという記事が紙面に登場していますが、日本企業として一刻も早く腹を括ることが、 「自由で開かれた」グローバル市場における競争力確保につながるものと思われます。

わが国の「研究力」の現状認識

 DX、カーボンニュートラル、新冷戦に対応するための、わが国の命運を決する科学技術課題が山積していますが、残念ながら、わが国の「研究力」は相当弱体化しているようです。
 科学技術振興機構の「研究開発の俯瞰報告書(2017年)に基づく科学技術力の国際比較」では、「従来から欧米と距離があると考えられるライフサイエンス・臨床医学分野や情報科学技術分野は依然として差が縮まらず、欧米と熾烈なトップ争いをしていると考えられてきた環境・エネルギー分野やナノテクノロジー・材料分野においても徐々に差を広げられつつあり、力負けしてきている」と指摘しています。
 第6期基本計画においても、
*論文数などに関し、諸外国と比較して、相対的・長期的に、地位が低下してきている。また、論文の質と関係する被引用数Top10%補正論文数ランキングが大きく落ち込んでおり、研究分野別に見ても全ての分野でランキングを落としている。
*国際共著論文数からも、世界の研究ネットワークの中で我が国の地位が相対的に低下し、国際頭脳循環の流れに出遅れている。
*優秀な学生が、経済的な側面やキャリアパスへの不安、期待にそわない教育研究環境等の理由から、博士後期課程への進学を断念する状況があり、博士後期課程への進学率が減少している。
*研究の多様性向上の観点から、女性研究者の活躍が期待されているが、全研究者に占める女性研究者の割合は諸外国に比べ低い水準にある。
といった現状認識が示されています。

研究力弱体化の原因は何か

 研究力の弱体化という問題点が確認された場合、なぜ弱体化したのか、その要因分析が行われ、要因分析に基づいて対策が立案されるというのが通常の手順だと思います。ところが第6期基本計画では、なぜか要因分析なしで、現状認識のあと、ただちに対策が示されています。政府は、EBPM (証拠に基づく政策立案)に力を注いでいますが、これに真っ向から反するものと言わざるを得ません。
 研究力弱体化の原因については、実は、財務省の財政制度等審議会「令和3年度予算の編成等に関する建議」において、分析が行われています。建議では、①研究の硬直性、②研究の閉鎖性、③若手研究者の活躍機会の不足、
④産学連携の弱さ、を挙げており、なかでも、
*研究の硬直性については、主要な競争的研究費である科研費(科学研究費助成事業)が、審査区分別の応募課題数と応募経費額に応じて配分額が決まる仕組みになっており、これが学問分野別のシェアを固定化させる一因となっている。
*若手研究者の活躍機会の不足については、若手研究者は、シニアの研究者に比して相対的に質の高い論文を多く発表しているにもかかわらず、定年延長等により、国立大学の本務教員については、シニア層が増加し若手の割合は低下傾向にある。これまで大学は教員の業績評価を任期・雇用の判断にほとんど活用してきておらず、近年改善が見られるものの、その割合はまだ低い。このため、若手研究者とシニアの研究者とがフェアに競争できる環境が整っていない。
*これまで「ポスドク1万人計画」等に多額の財源を投じてきたが、博士人材が不安定な身分に長い期間留まる傾向が生じ、博士課程進学へのネガティブイメージの増加・固定化につながってきた。優秀な学生を博士課程に継続的に確保するためには、アカデミズムに限らず、民間企業や公務員・教員への就職など多様なキャリアパスを確保することが重要であるものの、民間企業から博士人材に期待される能力・スキルと博士課程における教育研究を通じて育成される人材像とのギャップが、博士人材の民間企業への就職が低調な背景となっている。
などといった具体的な問題点が指摘されています。
 第6期基本計画では、なぜ研究力弱体化の要因分析が行われていないのか、その答えは、おそらく第1期以降の基本計画と、それを具体化した政策そのものが、研究力弱体化の原因のひとつとなっているからなのではないか、と考えざるを得ません。

ポスドク1万人計画の惨状

 筆者がこのように考えるのも、財政審の建議で指摘されているように、ポスドク1万人計画の惨状があり、ポスドク1万人計画こそ、今日まで6期にわたる基本計画のルーツであると考えるからです。
 ポスドク1万人計画とは、若手研究者層の養成、拡充に向け、関係省庁においてポストドクターに対する支援制度を推進するというもので、1996年から始まった「第1期科学技術基本計画」に盛り込まれました。ポストドクターをはじめとする若手研究者を支援するということだけであれば何の問題もなく、どんどんやっていけばよいことだと思うのですが、財政審の建議が指摘するように、不安定な状態に留め置かれるポストドクターが増加し、これにより博士課程への進学がネガティブにとらえられ、かえって進学率が低下するという状況を発生させてしまいました。理学・工学系の大学院博士課程入学者数は、1996年度には4,945人でしたが、これが2004年度には5,293人にいったんは拡大したものの、その後漸減し、2019年度には3,655人に減少しています。
 理学・工学系の博士号取得者数は、1996年度に4,726人だったのが、2006年度に5,846人に増加したものの、2017年度には4,654人に減少しています。  2020年4月25日号の本欄で触れているように、企業などで研究に従事し
ながら、大学院の行う博士論文の審査に合格し、博士課程修了者と同等以上の学力を有することが確認された者を「論文博士」とする仕組みの廃止を文部科学省が意図していることが、その背景にあると思いますが、それだけでなく、大学院博士課程を修了した課程博士の数で見ても、2007年度の5,011人から、2017年度には4,360人に減少しています。
 加えて1990年代半ば以降には、企業に対する政府の研究開発支援が、相対的に縮小されるという事態も生じました。政府の科学技術予算は、対GDP比で見て、わが国はとくに少ないというわけではないのですが、政府負担研究開発費の支出先の割合(企業、大学、公的機関、非営利団体)を見ると、企業に対する支出は、米国17.6%(2018年)、英国19.9%(2016年)、フランス16.1% (2017年)、ドイツ7.9%(2017年)となっているのに対し、日本は4.4%(2018年度・OECD推計)と極端に低い状況となっています。 1998年度には7.6%を占めていたのですが、これも徐々に低下してきました。

企業の研究開発を支援し、企業の研究人材を重視する政策を

 第6期基本計画では、研究力強化のための対策として、
*博士後期課程学生に対する経済的支援
*博士号取得者の企業での採用等の促進
*外部資金を活用した若手研究者へのポスト提供
*産業界への産学連携活動への参画の促進
などが掲げられています。これらの個別政策自体は、何ら異論をはさむ筋合いのものではありません。しかしながら、失敗が明白であったポスドク1万人計画が依然、通奏低音として流れており、アカデミア中心、企業による研究開発軽視の姿勢が見え隠れしていることについては、違和感を感ぜざるを得ません。
*技術開発から実証・社会実装まで一気通貫で企業を支援する「グリーンイノベーション基金」と同様の基金を、科学技術のさまざまな分野を対象として創設すること。
*論文博士の仕組みを再評価し、その積極的拡大を図ること。
によって、予算・人材の両面で、企業による研究開発の支援を強化していくべきであると思います。

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