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なぜ春闘が必要なのか(1)

2022年10月3日
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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 春闘の季節がやってきました、と書くと驚く人が多いかもしれません。「春闘って春でしょ、まだ半年もあるじゃない」と思う人もいるでしょう。
 しかながら春闘では、要求する側=従業員・労働組合の側が、なぜその要求をするのか、しっかりと
*経済情勢や産業動向、企業業績などを分析し、
*要求の根拠を整理し、
*要求の論理的な説明を組み立て、
*具体的な要求内容で合意形成を図り、
意思を結集することが、会社による回答を要求内容に近づけていくために不可欠です。労働組合は民主的な組織ですから、こうした議論を重ねていくことになると、秋には準備を始める必要があります。
 最近は、賃上げや賃金水準について、「それぞれ企業ごとに支払い能力に応じて決めればいい」とか、もっと極端な場合には、「能力や成果に応じて個人ごとに決めればいい」などという「春闘不要論」もあります。しかしながら、日本経済の成長に相応しい賃上げ、日本の経済力に相応しい賃金水準を実現していくためには、やはり春闘が不可欠です。
 2014年に復活するまでの長い間、日本の労働組合は、春闘自体は継続していたものの、全体として賃上げに取り組むことができませんでした。経済実態からしてやむを得ないところもありましたが、この間に日本の賃金水準が低下してきたことからすれば、春闘によって労働組合全体として賃上げに取り組むことの必要性は、明白だと思います。

みんなで要求し、交渉しなければ賃上げは難しい

 最近、目についたテレビCMで、次のようなものがありました。

バイトの人「(ひとり言で)店長! 時給上げてください! だめだ、言えない・・・」
dipさん「(店長に)店長! 時給上げてください!」
バイトの人「あ! dipさん!」
dipさん「働く人のために時給アップをお願いしています。」
(資料出所:ディップ株式会社ホームページより、一般社団法人成果配分調査会で作成)

 カフェで働いているバイトの人は、人材紹介会社の営業であるdipさんのおかげで時給を上げてもらえることができましたが、このCMにあるとおり、従業員一人ひとりでは、会社に賃上げをしてもらうために声をあげることは難しく、「だめだ、言えない・・・」となってしまうのが普通です。従業員は会社の指揮命令の下で働いているわけですから、会社の立場のほうが圧倒的に強いのは明らかです。また、ひとりの従業員が退職しても、会社にとって売上や利益に影響が出るということは、普通は考えにくいですが、従業員のほうは、生活に必要な収入の道が閉ざされてしまいます。こうした点でも、従業員の立場は弱いものにならざるをえません。
 従業員一人ひとりでは、従業員と会社が交渉する上での立場(「交渉上の地歩」と言います)の強さが違いすぎるので、
*労働組合を作って、みんなで意見を揃え、みんなでまとまって要求する。
*これによって交渉上の地歩を強め、「労使対等」の状況の下で、会社と労働組合が団体交渉を行い、賃上げを実現する。
というのが、労働組合や団体交渉の機能ということになります。

産別ごとの運動が基本

 ただし、企業ごとに労働組合を作って団体交渉を行っても、会社から、「賃上げなんかしたら、うちはつぶれてしまうよ」とか、「うちはいま厳しいから、賃上げなんてできないよ」と言われたら、それで腰砕けになってしまうかもしれません。会社に対し根拠のある要求や主張、反論を行っていくためには、いろいろな企業の労働組合が、産業ごとに集まって組織を作り、その産業の状況について共有し、それぞれの賃金水準、労働時間やその他の労働諸条件の制度や実態について情報交換を行うことが不可欠です。こうした組織を、「産別(労働組合)」と言います。
 欧米などでは、労働者がそれぞれ産別に加入し、企業や事業所、地域にその支部がある、という仕組みが多いようですが、日本では、企業ごとに労働組合(企業別労働組合)を結成し、企業別労働組合が産別に加盟するのが一般的です。欧米では、企業別労働組合=御用組合(会社の言いなりになる労働組合)というイメージがありましたが、日本では、たとえ組織の基盤は企業別であったとしても、また団体交渉は個別企業ごとに行うにしても、運動の基盤はあくまで産別にある、という点については、欧米の労働組合と変わらないと思います。
 なお、企業別労働組合が産業ごとに集まるのは、やはり事業環境や仕事の内容、働き方が似かよっているほうが、要求や主張、反論などを揃えて会社に対する圧力を強めやすいということだと思います。会社から「うちはいま厳しい」と言われても、業界全体として厳しいのか、業界は好調でもわが社は厳しいのか、前者であれば、産別に集う労働組合全体で知恵を出し合うことができますし、後者であれば、「なぜうちだけそんなことになっているのか」と、原因や責任の所在を追及していくことが可能となります。他社と賃金を比べるにしても、同じような仕事の内容、働き方の人と比べなければ、合理的な比較とは言えないでしょう。

世間相場、賃金の社会性

 「うちは労働組合はないし、要求も交渉もしないけど、賃上げは行われているよ」という企業ももちろん多いと思います。労働組合の組織率(雇われている人の中で、労働組合に加入している人の割合)は、2021年の調査(厚生労働省「令和3年労働組合基礎調査」)で16.9%ですから、そういう企業、そういう人のほうが多いかもしれません。
 「賃上げ要求なんかなくても、できるだけ賃上げをしっかり行って、できるだけ高い賃金を払って、従業員の生活水準をよくしていくんだ、労働組合なんていらないよ」という企業もあるとは思います。しかしながら、どちらかと言えば、
*みんなが賃上げしているから、
*賃上げしないと社員のやる気が失われてしまうから、
*ほかの企業より賃金水準が低くなってしまうと、採用が難しくなったり、従業員もやめてしまから、
などという理由で賃上げせざるをえない、ということなのではないでしょうか。
 賃上げや賃金水準には、「だいたいこれくらいのところが普通なんじゃないの」という「世間相場」があります。これが「賃金の社会性」です。
 「うちの会社は世間相場なんて関係ない、わが社の賃金はわが社で決めるんだ」と言っている会社があるかもしれませんが、それははっきり言って、強がりなのか、道理をわきまえていないのか、そのどちらかか、両方です。どのような企業であっても、世間相場、賃金の社会性の呪縛(?)から逃れることは不可能です。本当に経営状況が厳しくて、賃上げのできない企業、賃金水準の極端に低い企業でも、会社は、それでいいとは思っていないはずです。
 市場経済原理の下では、価格は「市場で決まっている価格」に収斂され、
あまりかけ離れた値付けをすることはできません。これが「一物一価」の
法則であり、労働市場における労働力の価格(賃金)も例外ではありません。もしこれを否定するのなら、それはILO(国際労働機関)が「労働は、商品ではない」と言っていることの悪用になると思います。企業は、労働力をせめて商品なみに大事に取り扱うべきだと思います。
 経済誌「プレジデント」の「プレジデントオンライン」では、全上場企業の「平均年収ランキング」を作成していますが、2021年度の製造業で、もっとも年収が高いのは電気機器製造業A社の1,751.7万円、もっとも低いのはガラス・土石製品製造業B社の304.3万円です。A社の年収はB社の5.8倍ということになりますが、企業の規模や業績、体力の違いは5.8倍などという差ではありません。売上高は586倍、経常利益は5万342倍の違いがあり、売上高経常利益率は83倍(66.5%対0.8%)となっています。純資産は2千870倍の違いです。(いずれも単独決算での比較)
 年収の5.8倍の違いというのが、大変大きな格差であることは間違いありません。しかしながら、企業の規模、業績、体力にこれだけの違いがあるのに、それでも5.8倍の違いに止まっているのは、まさに世間相場、賃金の社会性ということだと思います。経団連は「自社の支払い能力」を強調していますが、そうした考え方は、市場経済原理に反するものと言わざるを得ません。

日本経済の成長に相応しい生活水準の向上、日本の経済力に相応しい生活水準

 生産性を向上させるに際しての成果配分のあり方について、政労使で確認してきた考え方として、日本生産性本部の「生産性運動三原則」というものがあります。
①雇用の維持拡大
②労使の協力と協議
③成果の公正な分配
です。
 このうち、「成果の公正な分配」については、「生産性向上の諸成果は、経営者、労働者および消費者に、国民経済の実情に応じて公正に分配されるものとする」とされています。生産性運動三原則は1955年に確認されたもので、大変古いものではありますが、現在でも、そして雇われて働くという形態が存在する限り、将来にわたって通用する永遠の原則だと思います。ただし、表現が少し古臭いので、たとえば「経営者」は、現在では、株主や経営者、そして企業の純資産と考えればよいと思います。
 ここで重要なのは、「生産性向上の諸成果」は、企業の業績や体力、支払い能力に応じてではなく、「国民経済の実情」すなわちマクロ経済の実情に応じて分配される、とされていることです。日本で働く労働者である以上、*日本経済の成長に相応しい生活水準の向上を享受する権利
*日本の経済力に相応しい生活を送る権利
があります。そのためには、それを実現する賃上げ、賃金水準が必要であり、これこそが、まさに賃金の世間相場、社会性ということになります。
 個別企業ごとの賃上げや賃金水準は、マクロ経済の状況に即して形成される社会的な賃上げ相場、社会的な賃金水準の中で、産業の状況や個別企業の事情を一定程度反映して決定されていく、というのが自然な姿であり、実態でもあります。 

社会的な賃上げ相場、社会的な賃金水準はみんなで作っていくものである

 それでは、社会的な賃上げ相場や賃金水準は、どのように形成されていくのでしょうか。
 ひとことで言えば、それは「みんなで作っていく」ということだと思います。当たり前のように思われるかもしれませんが、決して当たり前ではありません。以前は、たとえば賃上げに関しては、大きな産業の大手企業の賃上げ回答を見て、「あそこがあのくらいだったら、うちの状況からすればこれくらいだろう」ということで決定されていたこともありました。社会的な賃上げ相場は、大きな産業の大手企業が作っていたわけで、こうしたやり方をパターンセッター方式と言います。ドイツでも、まず特定の州において産別と経営者団体が交渉し、他の州ではその結果に準拠して決定する、というパターンセッター方式が採られています。
 ただし、パターンセッター方式においても、賃金の社会性ということからすれば、パターンセッター企業が自分たちの都合だけで決められるわけではありません。以前は1月くらいになると、パターンセッター企業の賃上げ回答の予想記事が新聞に掲載されていました。それはその会社が、そうした情報を流すことによって社内や世間一般の反応を確認する、という意味合いがあったのだろうと思います。結局、パターンセッター企業では、日本全体の会社と労働組合、古い言葉を使えば、総資本と総労働を代表して、団体交渉を行っていたということになります。
 しかしながら現在は、そうした状況は変わってきています。パターンセッター方式が必ずしも間違いというわけではありませんが、日本の場合、大手に準拠する賃上げでは、中小企業はどうしても大手企業よりも小さな賃上げになってしまうので、その積み重ねによって格差が拡大してしまう傾向が見られました。そうした反省から、労働組合の側でも「大手追従・大手準拠」からの脱却を図っており、賃上げ回答も、中小企業が大手企業を上回ることがめずらしくなくなってきています。もちろんこれは、世間相場や賃金の社会性を否定するものではありません。大きな産業の大企業の労使に相場形成を委ねるのではなく、中小企業も含めて、みんなで相場を作っていく、ということなのだと思います。これに伴って、大手企業の賃上げ回答の予想記事も、3月中旬の回答日の数日前でなければ目にすることができないようになりました。
 ここでとくに強調したいのは、労働組合がなく、団体交渉を行っていない企業でも、労働組合があって、団体交渉を行っている企業によって形成された社会的な賃上げ相場、社会的な賃金水準の範囲内で賃金決定が行われている、ということです。なるべく多くの会社が、そしてなるべく多くの従業員が、受け身ではなく、賃上げや賃金水準の社会的相場形成に参加してほしいと思います。

*この記事に関しては、みなさまからのご質問・ご意見などを踏まえ、補強していきます。
*この記事に関するバックデータは、会員向けの記事において、随時、提供していきます。

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