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(浅井茂利著作集)自由貿易と国際労働運動

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1668(2021年11月25日)掲載
金属労協主査 浅井茂利

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  一般的に、自由貿易が一国の経済、そして世界経済の発展にとって不可欠な要素であるということは、コンセンサスになっています。しかしながら、国際労働運動においては、残念ながら必ずしもそうなっていません。日本やドイツ、北欧などの労働組合は自由貿易を支持していますが、反自由貿易的な姿勢で、自由貿易協定にも反対する組合のほうが多数派のように見受けられます。
 国際労働運動における反自由貿易的な傾向は、先進国の労働組合ばかりでなく、新興国、途上国の労働組合にも見られます。途上国経済を離陸させ、新興国、先進国へと発展させていくためには、自由貿易が不可欠なはずですが、なぜなのでしょうか。

先進国の労働組合における反自由貿易

 先進国の労働組合における反自由貿易的な傾向は、間違っているとは思いますが、無理からぬところもあります。自由貿易では、人件費の安い途上国、新興国から、商品が大量に流入してきますので、競合する商品を国内で作っている企業は、価格を引き下げざるを得なくなったり、シェアを失ったりするので、従業員の賃金に対し下押し圧力が高まるとともに、雇用の維持が危うくなるからです。
 しかしながら、たとえば、同じような経済水準にある先進国A国とB国で、A国は自由貿易を推進し、B国は保護主義的であるとします。A国には、途上国や新興国(たとえばC国)からの輸入が増加し、競合する商品を
生産している国内企業のシェアは失われることになるでしょう。しかしながら、そうした商品は、A国で生産しているものの中でも、比較的付加価値の低い分野のはずです。A国の企業は、低付加価値分野を失うので、付加価値の高い分野の開発や生産、販売を急がねばなりません。これが産業構造転換です。
 一方、保護主義的なB国の企業は、途上国、新興国からの輸入品に気を遣う必要がなく、あくせくしなくとも利益が確保できるので、A国に比べれば高付加価値分野開拓への意欲が削がれることになります。
 グローバル市場では、B国の企業もA国の企業と競争しているのだから、高付加価値分野の開拓競争では同じではないか、という見方があるかもしれません。しかしながらA国の企業は、低付加価値分野の自国生産をあきらめたとしても、途上国や新興国に生産拠点を移転させ、そうした商品の生産を続けようとするはずです。そうすると、A国への逆輸入が可能になるだけでなく、現地の市場を開拓することにもなります。A国からの輸出が難しかった他の先進国への輸出も拡大する可能性がありますから、A国の企業とB国の企業では、グローバル市場での存在感がまるで異なってくることになります。こうなると、高付加価値分野に関しても、グローバル市場における有利・不利が生じてくることは明らかです。
 もちろん可能性としては、
①A国の企業が、国内で高付加価値分野の開拓をしない。
②A国の企業が、高付加価値分野の生産も、人件費の低いC国に移してしまう。
③B国の企業も、国内市場からの利益に安住せず、C国に低付加価値分野の生産拠点を移転させる。
といったことも考えられます。
 しかしながら①の場合、そうした企業は当然じり貧になっていきますし、金融市場からも見放されるので、現実的な対応とは言えません。あくまで企業の持続的な発展を考えるのであれば、必然的に高付加価値分野の開拓に取り組まざるをえないはずです。
 ②のケースはかつて日本企業において現実に見られたことではありますが、先進国である本国に量産型のマザー工場を持ち、そこで生産技術を磨き上げることなくして競争力を確保できないことは、いまや明白になっていると言えるでしょう。
 ③のケースで、B国の企業がC国に生産拠点を構えようとする場合、B国からC国に機械や素材・部品を輸出しようとしても、A国の企業がA国から輸出する場合に比べ不利になるはずです。また、C国で生産したものをB国に逆輸入するためには、結局はC国の現地資本企業にも市場を開く必要が出てきます。
 産業の国際競争というのは、いわばゴールのない自転車競技のようなものだと思います。永遠に抜きつ、抜かれつを繰り返していくものだと覚悟しなくてはなりません。わかっているのは、走り続けなければ倒れる、あっという間に後方に置いていかれるということです。たとえ先進国であっても、それに胡坐をかくことなくつねに全力で疾走する、国際競争力を確保し、豊かであり続けるためにはそれしかありませんし、そうした企業の姿勢は、保護貿易の環境下で培うことはできません。

新興国や途上国の場合

 新興国や途上国の場合、自由貿易によって、自国で生産した商品を先進国に売り込んでいくことができるわけですから、労働組合としては諸手を挙げて賛成するはずだと思うのですが、なかなかそうなっていません。
 その主要な原因は、先進国の企業の良質な商品が国内市場に流入し、現地資本の企業がシェアを失い、雇用が失われる、ということだと思います。
 しかしながら、先進国の企業はいつまでも輸出に頼っておらず、先述のとおり、途上国、新興国で現地生産を行っていくことになります。自由貿易のC国、保護主義のD国があった場合、先進国の企業がC国に進出しようとす
るのは明らかです。低付加価値分野の商品を生産する現地資本企業を守るために、保護主義をとり続けていては、外国資本を取り込むことができず、経済の発展は望めません。
 また、先進国の企業が途上国、新興国で現地生産を行えば、現地資本企業の生産している商品よりも良質な、従って付加価値の高い商品を生産するわけですから、現地資本企業で働くよりも高い賃金が得られることになります。
 自分の勤務していた会社が業績不振に陥り、他の会社に転職しなくてはならないとしたら、だれしも不安であり、苦痛であることは間違いありません。しかしながら、こうした産業構造転換を乗り越えていかなければ、途上国経済を離陸させ、持続的な発展軌道を描くことができないのもまた事実だと思います。
 もちろん現地資本企業も、先進国の企業に対抗し、競争力のある商品を供給できるようになれば、従業員は現地資本企業で働きながら、賃金の引き上げが可能となるわけです。
 財閥系企業の寡占状態にある経済では、人手不足であっても賃金上昇を抑制することが可能かもしれません。しかしながら、現地資本企業に先進国企業も加わって人材獲得競争が行われるようになれば、労働市場において適切な賃金決定が行われやすくなるはずです。

格差拡大の問題

 自由貿易、そしてグローバル化によって、格差が拡大した、という批判があります。格差が拡大しているのは事実だと思いますし、放置できない問題であり、格差縮小に向けて、労働運動の強化や政策努力を行っていかなければなりません。しかしながら筆者はまず、自由貿易やグローバル化によって、途上国、新興国の生活水準が底上げされていることを評価すべきだと思います。
 少し古くなりますが、 ILOアジア太平洋総局が2013年に発表した論文によれば、アジア太平洋地域では、1991年に極貧困層が約55%、貧困層が約25%、貧困に近い層が約14%を占めており、中間層以上は5%にすぎませんでした。しかしながら2012年には、極貧困層は約13%、貧困層は20%強に減少し、貧困に近い層(約28%)、中間層以上(約38%)に移行しています。まさに自由貿易、グローバル化の成果だと言えるでしょう。「底辺への競争」という言葉がありますが、少なくとも途上国、新興国ではそうなっていません。
 コロナ禍によって、貧困層の拡大が懸念されていますが、サービス業などの経済活動が抑制されていることだけでなく、グローバル経済が十分に機能できていないことも、その要因のひとつであろうと思われます。

自由貿易協定に対する誤解

 2020年11月、 ASEAN10カ国、および日・中・韓・豪・NZの合計15カ国が参加するRCEP(地域的な包括的経済連携協定)が署名され、参加国は国内手続きを進めています。
 これに対し、いくつかの国際産業別労働組合組織(GUF)のアジア太平洋地域の組織が、「アジア太平洋地域の労働組合はRCEP協定を非難する」という声明を共同で発表していますが、誤解に基づく記載もあり、総じ
て残念な中身となっています。
 RCEPについては、独裁国家、人権抑圧国家を含む自由貿易協定であるために中核的労働基準が含まれておらず、不満な部分があるのは事実です。ただそれはそれとして、誤解に基づく批判は避けなくてはなりません。
 非難声明では、まず第一にRCEP交渉が秘密裏に進められてきたことを批判していますが、言うまでもなく、外交交渉は妥協の積み重ねです。たとえば、 aの問題についてはA国が譲り、bの問題についてはB国が譲ったとします。交渉の途中で、もしこれが明らかになっていれば、A国のaの利害関係者は大反対するでしょうし、B国のbの利害関係者も同様です。すべてセットで結論を出してから公表されるからこそ、これらの利害関係者も、受け入れざるをえない状況となっているわけです。秘密裡の交渉でなければまとまる可能性はありません。
 非難声明は第二に、 TPP11よりもRCEPのほうが「内容が薄められて」いるから、TPP11のような経済統合が失敗したことは明らかだ、と指摘しています。
 しかしながら、RCEPの自由化のレベルが低いのは、独裁国家、人権抑圧国家、そしてまだ経済水準が後発開発途上国レベルにある国々を含む協定であることからすれば、やむをえないところだと思います。途上国ではTPPのような99%の関税撤廃などできない、という意味ではなく、国内政治的に受け入れが困難だということです。
 第三には、「RCEPは(途上国の)政策余地の喪失につながる」としていることです。
 おそらく、
*国内規格が貿易の不必要な障害とならないようにするための手続き、透明性確保の義務などを規定する。
*他の参加国のサービス事業者に対し、自国の同種のサービス事業者に与える待遇よりも不利でない待遇を与える内国民待遇義務。
などのようなことを指しているのではないか
と思います。(政府調達については、とくに中身のある内容となっていません)
 しかしながら、そもそも鎖国経済体制ではなく、グローバル経済の下で経済活動を行っていこうとするのであれば、国際ルールに従い、それと異なるルールには透明性が求められるのは当然のことです。国内の事業者も外国の事業者も対等に扱うということは、グローバル経済へのいわば参加資格です。

ISDS条項について

 現時点ではRCEPには盛り込まれていないので、非難声明でも触れていませんが、ISDS条項も、国際労働運動において評判の悪い仕組みです。
 ISDS条項とは、「投資家と投資受入国との問で投資紛争が起きた場合、投資家が当該投資紛争を国際仲裁を通じて解決するもの」ですが、 TPP11では参加国政府が、
*内国民待遇や最恵国待遇、投資財産に対する公正衡平待遇や十分な保護・保障を行わなかった場合。
*特定措置の履行要求(現地調達、技術移転等)の原則禁止、正当な補償等を伴わない収用の禁止、などに違反した場合。
に投資紛争解決国際センター(ICSID)、国連国際商取引法委員会(UNCITRAL)、国際商業会議所(ICC)などに仲裁判断を求めることになっており、濫訴抑制の規定も盛り込まれています。
 ISDS条項は、GAFAのような先進国の巨大企業が、自国民を守ろうとする途上国政府を訴える、という弱い者いじめのイメージで語られることが多いのですが、むしろ、国内の財閥と組んで不当な利益を得ようとする政
府が、海外企業の活動を妨害しようとするのに対しどう対抗するか、という文脈でとらえるべきだと思います。ISDS条項の存在は、
*外国政府に対抗することが不可能な中小企業、先進国政府に対抗することが困難な途上国、新興国の企業が泣き寝入りとならないよう、有効な対抗手段を与える。
*政府の腐敗を抑止し、政府や財閥による国民への搾取を防ぎ、国民生活の向上に寄与する。
という効果があるのではないかと思います。

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