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根拠のあるベースアップ・・・随時更新

2023年12月12日
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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根拠のあるベースアップの必要性

 物価上昇率がゼロ%台に止まり、ベースアップも1%に満たないような状況であれば、春闘であまりベースアップの根拠にこだわる必要はなかったかもしれません。しかしながら、消費者物価上昇率が2%、3%という状況では、ベースアップの根拠を明確に示していかないと、2023年の賃上げと同様、ベースアップが物価上昇をカバーできない状況が続くことになりかねません。
 日本で働く勤労者には、
*日本経済の成長に相応しい生活水準の向上を享受する権利
*日本の経済力に相応しい生活を送る権利
があるはずです。政労使で合意している「生産性運動三原則」は、
①雇用の維持拡大
②労使の協力と協議
③成果の公正な分配
からなっていますが、このうち「成果の公正な分配」については、「生産性向上の諸成果は、経営者、労働者および消費者に、国民経済の実情に応じて公正に分配されるものとする」とされています。個別企業の支払い能力ではなく、国民経済すなわちマクロ経済の実情に応じた成果配分が求められているわけです。(なおここで「経営者」とは、取締役や執行役員というよりは、幅広く経営側すなわち企業そのものと株主を含めたものと解釈されています)

生産性運動三原則を具体化する「経済整合性論」

 前号「賃金の社会的相場形成」で触れているように、賃金水準やベースアップは、
①国民経済、すなわちマクロ経済の状況に即して形成される世間相場の幅の中で、
②産業の状況や個別企業の事情を一定程度反映して、
決定されている
のが現実です。これが「社会的相場形成」であり、自社の体力や業績といった「支払い能力」は、無関係ではないものの、あくまで「世間相場」という掌の上での「支払い能力」です。
 生産性運動三原則における「国民経済の実情に応じた公正な分配」を具体化する考え方が、宮田義二鉄鋼労連委員長(金属労協議長)が1974年に提唱した「経済整合性論」です。
*前年要求や前年獲得実績を出発点にした賃上げ要求から、
*実質生産性の向上に見合った実質賃金の引き上げへ、

というもので、高度成長期には、労働組合は前年の賃上げ要求や前年獲得実績をもとに、それを上回る要求を行っていましたが、第1次石油危機を経て、こうした要求からの転換を図ったものです。提唱後、すでに半世紀を経過しようとしていますが、2014年に賃上げが再開されて以降、1%ないし2%の賃上げ要求を続けてきたのが、顕著な物価上昇によって前例踏襲型の要求が通用しない状況となっており、経済整合性論の今日的な意義はきわめて大きいと言えます。
 経団連の『2023年版経労委報告』でも「経済整合性論」について紹介し、1981年の春季労使交渉について、「マクロ経済動向と賃金引上げの整合性を重視した『経済整合性論』による賃金決定を図るべく、労使双方が意識的に対応した」として、これを高く評価しています。
 1990年代後半以降、わが国では「実質生産性の向上に見合った実質賃金の引き上げ」が行われておらず、その乖離はきわめて大きなものとなっています。2012年末以降の景気回復期で見れば、実質人件費の伸びが実質生産性の向上に追いつく局面も見られましたが、最近では再び、実質人件費が低下するところとなっています。

賃金水準低迷の要因

 わが国の賃金水準低迷の要因としては、
①同一価値労働同一賃金が確立されないまま、正社員の仕事が非正規雇用に置き換わった。
②成果主義賃金制度の導入による中高年層の賃金水準の低下。
③デフレ経済下でのベアゼロ。
があげられます。
 1989年にベルリンの壁が崩壊し、米ソ冷戦が終結、経済のグローバル化・市場経済化が進みましたが、新興国・途上国との競争激化によって、日本企業では国内人件費の割高感が強まり、人件費の削減・変動費化への圧力が高まりました。そうした中で、
*一部の幹部社員以外の専門職、一般職、技能職などを非正規雇用とする雇用ポートフォリオ
*職務内容や職務階層に応じた複線型の賃金管理を行い、成果・業績によって格差を拡大させるラッパ型賃金管理
を打ち出したのが、1995年の旧日経連の報告書『新時代の「日本的経営」』で、これを契機として、正社員の仕事の非正規雇用への置き換えと成果主義賃金制度の導入が進みました。「役員を除く雇用者」に占める「非正規の職員・従業員」の割合は、1995年に20.9%だったのが、2000年には26.0%に上昇、2022年には36.9%に達しています。「同一価値労働同一賃金」が確立されないままの非正規雇用への置き換えは、日本全体の賃金水準を押し下げる方向に作用することになりました。
 また成果主義賃金制度は、一定の水準を超えて昇級・昇格する従業員を大幅に絞り込む仕組みであり、結果的に中高年層の平均賃金水準が低下してしまいました。厚生労働省「賃金構造基本統計調査」で中高年層の直入者の所定内賃金について、1995年と2022年とを比べてみると、高卒・大卒とも40代前半が4万円程度、40代後半が7万円程度、50代前半では高卒が約10万円、大卒が約8万円減少しています。

 さらに1999年度から7年間、2009年度から4年間、消費者物価上昇率がマイナスになったこともあり、1999年度から2013年度までの15年にわたり、定昇込み賃上げ率が、定昇相当と考えられる1.7%以下となりました(厚生労働省「賃金引上げ等の実態に関する調査」)。物価下落の状況でも、企業は増益を確保する必要があり、それが非正規雇用への置き換えや成果主義賃金制度による人件費の削減をさらに加速させたものと考えられます。

経済整合性論を数式化した「逆生産性基準原理」

 経済整合性論、すなわち「実質生産性の向上に見合った実質賃金の引き上げ」を数式化したのが、「逆生産性基準原理」です。
ベースアップ率=就業者1人あたり実質GDP成長率+消費者物価上昇率
というもので、短時間勤務で働く人が増えているので、労働時間あたり賃金で考えると、
ベースアップ率
=就業者の労働時間あたり実質GDP成長率+消費者物価上昇率

ということになります。「逆生産性基準原理」については、『平成27年版労働経済白書』において、「標準的な経済理論が想定する世界と等しいもの」と評価されており、世界最大の単組であるIGメタル(ドイツ金属労組)も同様の考え方で賃上げ要求を行っています。

 ちなみに、「就業者の労働時間あたり実質GDP成長率」は、2023年度の経済予測および4~9月実績のデータから算出すると1.2%、2023年7~9月期時点の潜在成長率から算出すると0.7%となっています。

わが国の労働分配率

 GDP統計ベースの労働分配率である
雇用者の労働時間あたり名目人件費÷就業者の労働時間あたり名目GDP
は、長期にわたって低下傾向を辿ってきました。2015年度を底として、やや回復する状況も見られましたが、2021年度以降、再び低下傾向となっています。逆生産性基準原理に沿ったベースアップを行うと、この労働分配率の分子と分母が、ほぼ同じような率で変化することになるので、労働分配率が一定になるという点でも、逆生産性基準原理は公正な分配の姿を示していると言えます。逆生産性基準原理に沿ったベースアップだけでは、理屈上は、労働分配率の回復が果たせないということになりますが、正社員の仕事の非正規雇用への置き換えと成果主義賃金制度の導入によって生じた賃金水準の低下を是正していくことにより、労働分配率も回復していくことが期待できます。

 労働分配率「雇用者の労働時間あたり名目人件費÷就業者の労働時間あたり名目GDP」を国際比較すると、2021年には、日本の59.5%に対し、フランス68.9%、韓国68.1%、ドイツ66.2%、英国64.9%などとなっており、日本は、「カナダを除く主要先進6か国+韓国」の計7か国中、最低となっています。日本は、労働時間あたり名目GDPは7か国中6位ですが、労働時間あたり人件費は7か国中の最低となっています。すなわち、日本の付加価値生産性は国際的に見て低いのだけれども、それ以上に人件費が低いために、労働分配率が最低となっていることになります。賃金を引き上げるには生産性の向上が必要ですが、生産性に比べて人件費が低く、その結果、労働分配率が低いのであれば、まずは人件費を引き上げることにより、高賃金・高生産性をめざすことが必要です。
 一方、米国の労働分配率は59.6%で、日本に次いで低い水準となっていますが、これは労働時間あたり名目GDPが他の国々に比べ大幅に高いにも関わらず、労働時間あたり人件費がドイツ、フランス並みに止まっているためで、日本の労働分配率の低さとは、まったく原因が異なっています。


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