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(浅井茂利著作集)2015年闘争のマクロ的意義

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1590(2015年5月25日)掲載
金属労協政策企画局次長 浅井茂利

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 2015年闘争では、多くの組合で賃上げを獲得しました。報道では、さかんに「過去最高」の賃上げというキャッチフレーズが見受けられましたが、1990年代以前の賃上げを知っている者にとっては、大変違和感のあるところです。定期昇給などの賃金構造維持分を除いた、いわゆる純ベア方式が主流になってからは過去最高ということなので、必ずしも間違いではないのでしょうが、誇張感は残ります。
 しかしながら、2015年闘争の賃上げ結果は、長く続いたベアゼロの時代から完全に脱し、マクロ的な物価と生産性の動向を踏まえて賃上げを行っていく時代への幕を開くという点で、「過去最高」という評価の適否に関わらず、その意義はきわめて大きいものだと思います。

大手、全体とも昨年を上回る成果

 金属労協の大手組合(集計登録53組合)の2015年闘争結果を見ると、昨2014年に今年の分も含めて妥結していた組合を除く37組合では、36組合が賃金構造維持分以外の賃上げ(以下、特記なき場合は「賃上げ」に賃金構造維持分を含まない)を獲得、その平均額は2,801円となっています。2014年闘争で賃上げを獲得したのは、52組合中49組合、平均1,737円ですので、賃上げ獲得組合の比率も、賃上げ額も、昨年を上回る結果となっています。
 また全組合を対象とする全体集計(4月22日時点)では、回答を引き出した1,777組合中1,181組合が賃上げを獲得、その平均額は1,804円となっています。昨年同時期の集計では、1,151組合、1,332円ですから、こちらも昨年を上回る成果となっています。

ベアゼロ時代からの決別

 春闘は、2000年代に入って以降、ベアゼロの時代が続いていました。景気のよい時には、500~1,000円程度の賃上げを獲得したこともありましたし、金属労協では2005年以降、大手が賃上げ要求を行わなくとも、中小では格差是正の観点から取り組むという方針をかかげ、かなりの成果をあげてきました。しかしながら基調としては、経営側の姿勢は「ベアゼロ、あっても千円まで」であったと言えるでしょう。厚生労働省が発表している「民間主要企業春季賃上げ要求・妥結状況」を見ても、賃金構造維持分を含む賃上げ率は、2002年から2013年まで、12年連続で2%を切る状況が続いてきました。
この間、戦後最長の景気拡大(2002年1月~2008年2月)の時期も含まれていたのに、ベアゼロの傾向が続いていたのは、昨年8月25日号の本欄で指摘しているように、
*グローバル経済下において、人件費の低い国々と国際競争を繰り広げている中で、賃上げなどできるはずがない、という固定観念が形成されたこと。
*消費者物価上昇率がマイナス傾向で推移したこと。
が理由であると思われます。
 2015年闘争における金属労協大手組合の賃上げ額平均2,801円、全体集計1,804円という数字を見ると、表面的にはベアゼロの時代から、完全に脱却しているように見えますが、それほどすっきりとは進展していないようです。
まず第一に、現時点で賃上げを獲得していないところが少なくない、ということがあります。4月22日時点の金属労協の全体集計では、回答引き出し組合中の賃上げ獲得組合の比率は66.5%となっており、昨年同時期の60.8%よりは増加しているものの、3分の1の組合で賃上げをまだ獲得できていません(賃上げ要求をしていないところを含む)。
 2000年代以降、長期にわたってベアゼロ時代が続いてきたわけですから、賃上げ再開に対する経営側の心理的ハードルは相当高いものと思われます。2014年闘争において、他の企業と一緒にハードルを越えてしまえばよかったのですが、いったん躊躇してしまうと、ハードルを乗り越えられないままになってしまう恐れがあります。この点については、何としても2016年闘争に持ちこさないようにしなければなりません。
 なお賃上げを実施する企業が多数派となる中で、賃上げを行わない企業では、企業体カや企業業績をその理由にしているはずです。2015年闘争では、前年に比べ企業業績のばらつきが大きくなっており、収益が悪化した企業も少なくないのは事実ですが、後述するように、マクロ的な物価と生産性の動向が賃上げの重要な決定要因となってくれば、企業体カや企業業績は、少なくとも、賃上げを実施しない理由にはならない、という点については、留意しておく必要があります。

「実力を超えた賃上げ」だったのか

 また報道などを見ると、2015年闘争で賃上げを実施した企業においても、経営側の一部には、「実力を超えた賃上げ」という声が見受けられるようです。
*労働分配率が低下を続けてきたこと。
*わが国の賃金水準は主要国で最低レベルであり、一方、新興国の賃金上昇も著しいこと。
*多くの企業で増収増益が続いていること。
などからすれば、「実力を超えた賃上げ」という判断は、根拠を持たないように思われます。あくまで筆者個人の憶測にすぎないのですか、一部の経営側の考える「実力」とは、経済環境や企業業績がどうであろうと、依然として「ベアゼロ、あっても千円まで」であって、これを超えれば「実力を超えた賃上げ」ということになるのではないかと思います。
 つまり、賃上げを実施している企業でも、ベアゼロという固定観念から、いまだ脱し切れていない可能性があるということです。

マクロ経済の観点からの賃上げ

 2014年闘争は久方ぶりの賃上げだったので、連合を先頭に、とにかく1%の要求基準を掲げ、取り組みを行いました。
 その点では、賃上げ再開2年目の2015年闘争では、要求根拠がより重視されたのではないかと思います。労使交渉では、経営側からもマクロ経済の観点からの賃上げの必要性について、言及があったようです。
 一般的に賃金は企業業績を反映するものという風に考えがちですが、市場経済原理からすれば、
*労働市場および商品・サービス市場における競争条件を揃えるという観点。
*労働力の再生産の費用を確保するという観点。
から、賃金水準は一定程度の幅で収斂しなくてはなりません。
 このため、毎年の賃上げについても、マクロの経済情勢、とりわけ物価(消費者物価上昇率)と生産性(就業者1人あたり実質GDP成長率)の動向が、重要な決定要因となっていることが必要です。
 賃上げが物価上昇に追いついていかなければ、労働の再生産費用を確保できなくなってしまいますし、生産性の上昇に追いついていかなければ、商品・サービス市場が需要不足・供給過剰になってしまうからです。
 消費者物価上昇率に関しては、2015年闘争では、そもそも賃上げ要求が過年度(2014年度)物価上昇率の予測値を下回っていることについて、一部で批判があったのは事実です。しかしながら一方で、2014年度におけるマクロの生産性上昇率がマイナスになるということの影響も考慮する必要があります。
 2015年闘争における金属労協の要求基準「6,000円以上」は、率ではほぼ「2%以上」に相当します。2015年2月に閣議決定された政府経済見通しでは、2014年度の消費者物価上昇率は3.2%ですが、就業者1人あたり実質GDP成長率はマイナス1.0%となっており、かつての「逆生産性基準原理」(注:2014年8月25日号の本欄参照)によれば「3.2%-1.0%=2.2%」ということになります。
 金属労協では、2015年闘争の要求基準について、こうしたフォーミュラ(公式)をあてはめて策定したわけではありません。しかしながら、「日本経済や生産性の動向、物価動向をはじめとする勤労者生活の動向、金属産業の動向などを総合的に勘案」したことにより、結果的にほぼ同一になったということは言えます。
 労働組合であるからには、今回のような局面では、消費者物価上昇率をより重視して要求すべきであるという考え方も、非常に納得性のあるものですが、一方で、マクロ的な物価と生産性の動向をともに考慮した要求となったことは、要求根拠としての重みを増したことになるのではないかと思います。
 2015年闘争の過年度である2014年度については、4月の消費税率引き上げの影響もあり、マイナス成長となることが避けられませんが、こうした特別な要因がなければ、プラス成長が続いていくことが期待されます。物価もデフレを脱却し、プラスが続いていくとすれば、物価と生産性の動向をともに考慮して、賃上げ要求基準を策定するという意味合いは、今後、大変大きくなっていくのではないでしょうか。

非正規労働者、未組織労働者の取り組みも前進

 2015年闘争では非正規労働者、未組織労働者の賃上げの取り組みが進んだということも、特筆すべき点です。4月2日時点の連合の発表を見ると、150件を超える非正規労働者の賃上げが公表されています。また、要求自体は組合員たる非正規労働者の賃上げであっても、その成果は組合員だけでなく、組合未加入の非正規労働者に対しても及んでいるという点については、きわめて重要な効果であろうと思います。
 また、非正規労働者、未組織労働者の賃金水準に影響の大きい企業別最低賃金については、金属労協の集計登録組合のうち24組合で引き上げが行われています。
 賃上げ要求組合37に比べ、一見少ないように見えますが、これは要求・回答のかたちでなく、賃上げ回答を踏まえて労使協議などで決定されるところが含まれていないためで、結果的には、ほとんどの組合で企業内最低賃金が引き上げられるものと期待しています。電機連合の中闘組合で2,000円の引き上げを獲得したこともあり、24組合の引き上げ額の平均は2,004円となっています。賃上げ額の平均2,801円よりは少ないものの、ベースとなる賃金水準の違いを考慮すれば、企業内最低賃金の引き上げは、賃上げを上回る成果をあげているということになるだろうと思います。

平成の経済整合性論

 2015年闘争は、「日本経済や生産性の動向、物価動向をはじめとする勤労者生活の動向、金属産業の動向」という要求根拠を押し立てて、「経済の好循環、実質生活の維持と底上げ、人への投資」を実現するために賃上げ要求を行いましたが、これこそ「平成の経済整合性論」であるという見方があります。
 「経済整合性論」というと、賃上げ抑制論であるかのような誤解がありますが、本来の趣旨は、「実質的に、しかも経済成長に見合って」賃上げを行おうとするものです。
 1970年代初頭のように、賃上げを「対前年度の要求、あるいは対前年度の獲得実績プラスアルファ」で要求していた時代には、経済整合性論が賃金抑制の方向に作用し、狂乱インフレの収束に寄与したわけですが、一方、今日のように、ベアゼロの固定観念が残る中では、経済整合性論は積極的な賃上げの方向に作用し、景気回復とデフレ脱却を確実なものとすることに寄与するだろうと思います。70年代にしても、平成にしても、マクロ的な物価と生産性の動向を踏まえた賃上げこそが、健全な経済活動の基盤であるということ、これが、「平成の経済整合性論」の意味合いです。


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