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(浅井茂利著作集)言い訳が目立つ経労委報告

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1623(2018年2月25日)掲載
金属労協政策企画局主査 浅井茂利

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 今年の経団連『2018年版経営労働政策特別委員会報告』では、「3%の賃金引上げ」が盛り込まれていることが話題となっています。しかしながら詳細を見ると、「3%」とは言っても、結局はこれまでと同様、賞与・一時金の増額など「年収ベースの賃金引上げを基本」とし、基本賃金の引き上げに関しては、収益が高水準で推移している企業や中期的に収益体質が改善した企業に限定する姿勢を崩していません。むしろ、
*実質賃金伸び悩みは物価上昇のため。
*個人消費伸び悩みは社会保険料のため。
*労働分配率低下は景気拡大のため。
と言い訳に終始しているように見受けられます。いま経営者団体に求められているのは、ベースアップをしない理由探しではなく、「デフレからの完全な脱却と経済の好循環のさらなる拡大」に向け、企業が役割を果たしていくための、旗振り役を勤めることではないかと思います。

労働分配率の低下について

 経労委報告では、
*マクロの労働分配率は、近年、低下している。
*マクロの労働分配率は、短期的には景気変動に大きく左右される。分子である人件費は安定的に推移する一方、分母の付加価値額は景気動向によって大きく変動するため、結果的に労働分配率は景気変動と逆相関の動きを示す。
*近年、マクロの労働分配率が低下している大きな要因は、2013年以降の緩やかな景気拡大と好調な世界経済に支えられ、企業の総付加価値額が増加しているためである。
と主張しています。しかしながら、
*わが国では、①所定外賃金の比率が高い、②一時金の比率が高い、ことにより、人件費全体では下方硬直性は見られず、変動的となっている。
*景気後退期には、利益確保のため、景気の落ち込み以上に人件費を抑制・削減する傾向がある。
ことから、景気後退期にも労働分配率は下がり続けており、一般的な傾向はあてはまらないと言えます。むしろ人件費全体の下方硬直性を確保していくことが、個人消費による景気の底支えに寄与し、需要減による実質生産性低下を防ぐことになる、と考えるべきだと思います。

実質賃金の伸び悩み

 経労委報告では、実質賃金の伸び悩みについて、「実質賃金は名目賃金を消費者物価指数で除して算出されるものであり、その動きを見る際は、名目賃金と消費者物価指数のそれぞれの動向に留意する必要がある」として、物価の上昇傾向が実質賃金伸び悩みの要因であることを示唆しています。
 金属労協の今回の賃上げ要求方針は、「マクロの実質生産性向上の成果を、実質賃金の引き上げとして、着実に反映させていく」という考え方に立っていますので、消費者物価が上昇している場合には、賃上げとして実質生産性向上分に加え、物価上昇分を確保しなければなりません。労働分配率は分母(付加価値)、分子(人件費)とも名目ですので、分母の付加価値が、物価上昇により膨らんでいるのなら、分子の人件費も物価上昇を反映させないと、分母に比べて相対的に小さくなってしまい、労働分配率が低下してしまうからです。

可処分所得の伸び

 経労委報告では、「4年連続の賃金引上げが実現したものの」、「社会保険料負担の増加による賃金引上げ効果の減殺は消費マインドに直接的な影響を与えている」と主張しています。
 総務省統計局「家計調査」により、勤労者世帯(二人以上の世帯)の可処分所得を見ると、2016年には、いまだリーマンショック前の水準に回復していない状況にあります。公的年金保険料が、2017年度まで毎年引き上げられていたこともあり、可処分所得の増加は、実収入の増加に比べて小さい傾向にあったことは否定できません。
 しかしながら、税・社会保険料を差し引く前の実収入そのものが、いまだリーマンショック前に達していない状況があります。社会保障制度に関しては、その持続可能性確保のため、給付と負担の抜本的な見直しを行っていくことが必要だと思われますが、それだけに押し付けることなく、賃上げによって、実収入の拡大を図っていかなくてはなりません。
 2019年10月には、消費税率が引き上げられることになりますが、基本賃金の引き上げにより、勤労者の税・社会保険料の負担能力を高めていくことが不可欠です。また、公的年金の給付額を調整する「マクロ経済スライド」は、現役世代の可処分所得の増加や消費者物価の上昇によって、給付額が引き上げられる場合に、その範囲内で行われることになっているので、賃上げによって可処分所得の増加を図り、またデフレ脱却を確実なものとしていくことは、公的年金制度の持続可能性確保につながり、将来の負担増を抑制することにもなります。

消費拡大と賃上げ

 個々人の消費拡大にとって必要なのは、恒常的な所得の増加と生涯所得の見通しの向上です。生涯にわたって、その時々に必要な所得が得られるという前提なしに、勤労者が安心して消費支出を拡大させることはできません。政府に対し、社会保障制度の持続可能性確保を求めていくとともに、企業としては、継続的に基本賃金の引き上げを行っていく以外にはありません。一時金の増額は、恒常的所得および生涯所得の両面で、基本賃金の引き上げに比べ、消費拡大効果が著しく少ないことは否定できません。
 厚生労働省の『平成27年版労働経済白書』でも、
*所定内給与が1%増加した場合にマクロの個人消費を0.59%増加させる影響がある一方で、所定外給与が1%増加した場合は0.09%増、特別給与が1%増加した場合は0.13%増の影響しかない。
*賃金上昇の中身が所定内給与であった場合、家計は積極的に消費を増やすものの、賞与等の特別給与の増加による場合は消費への影響が限定的。
*ベースアップに伴う所定内給与の増加など恒常的な賃金上昇が期待される場合には、消費に対して大きな影響がある。
*企業収益を労働者へと分配する際に、賃金面においてはいわゆるベースアップに伴う所定内給与の増加が重要。
と指摘しています。しかしながら経労委報告では、これに対して何も反応していません。
 また、いわゆる成果主義賃金制度の下で、中高年世代に対しては、定期昇給や賃上げが行われない場合があります。子どもの教育費や親の介護費用など、ライフステージにおいて支出が最もかさむ時期に、定期昇給や賃上げが行われなければ、これらの支出を賄うことが困難になるばかりでなく、若年世代も将来の収入に不安をいだき、消費抑制を強めることになり、出産を控えるということも、考えられます。
 内閣府の『平成29年版経済財政白書』では「賃金カーブのフラット化が進む局面では、若年層は生涯所得を低く見積もるため、結婚や出産といった将来のライフイベントや老後に備えて貯蓄する動機が強まる」と指摘していますが、これに対しても、対策を示していません。
 経団連の榊原会長は、2017年10月の経済財政諮問会議において、「消費性向の高い子育て世代への重点配分ということも労使で知恵を出して考えていくべきである」と発言しています。消費性向の高い中高年世代への配分がおろそかにされてはならないのは明らかです。
 経労委報告では、「個人消費活性化に向けた『3%の賃金引上げ』との社会的期待を意識」するとは記載していますが、「3%」の中身は、「基本給の一律的な引上げや、特定層への重点配分、賞与・一時金の増額、諸手当の改定・見直しなど、様々な手法の組み合わせ」による「年収ベースの賃金引上げ」であり、基本賃金の引き上げは、「収益が拡大あるいは高水準で推移している企業や、中期的に収益体質が改善した企業」に限定され、さらに、「実施した年度だけではなく、翌年度以降も長期にわたり継続して増額分を含めた人件費・原資の確保が見込める収益体質・財務状況にあるかを検討・確認しておかなければならない」ときわめて高いハードルを設けています。基本賃金の引き上げには、相変わらずきわめて消極的と判断せざるをえません。

中小企業における賃金格差是正

 経労委報告では、大手と中小の賃金格差是正のための連合の取り組みに対し、「大手企業と中小企業の賃金水準における格差是正を目的に『総額10,500円以上を目安』という、多くの中小企業の実態から大きく乖離した金額を2015年から掲げ続けていることは、目安額とはいえ、(大手追従・大手準拠などの構造を転換するという方針に対し)主張の一貫性を欠いている」と批判、「大手や中小という企業規模の枠にとらわれることなく」、すなわち、大手であろうが中小であろうが関係なく、「賃金などの処遇改善」のためには、収益拡大が必要であると主張しています。
 しかしながら、「大手追従・大手準拠からの転換」が必要なのは、賃金の上げ幅です。言うまでもなく、上げ幅で「大手追従・大手準拠」を行っていれば、賃金水準の格差は永久に縮小しません。従って、大手と中小の賃金水準格差是正に向けて目安を掲げていることは、「大手追従・大手準拠からの転換」と何ら矛盾しません。
 「大手や中小という企業規模の枠」によって生じ、拡大を続けてきた賃金格差を是正するためには、格差の実態を直視し、格差に焦点を当てた取り組みが不可欠です。まずは自社の賃金水準に関して、社会的および産業内における位置づけを確認し、格差是正が必要な場合は、産別方針に基づき、積極的に取り組んでいく必要があります。

賃金の社会的水準、賃上げの社会的相場

 経労委報告では、「様々な考慮要素を勘案しながら、適切な総額人件費管理の下、自社の支払能力を踏まえ、労働組合等との協議を経た上で賃金を決定」するのを「賃金決定における大原則」としていますが、ここで重要なことは、賃金の社会的水準ということです。大手企業であろうが、中小企業であろうが、日本で働く者の賃金水準は、日本の経済力に相応しいものでなくてはなりません。いかなる超優良企業も、平均的な水準の数倍を超える基本賃金を支払うことは難しいことからしても、「自社の支払能力」を踏まえた賃金決定は、あくまで一定の社会的水準の範囲の中でのものだということを再確認する必要があります。
 この点については、毎年の賃上げ交渉も同様です。賃上げは、マクロ経済レベルでの付加価値の向上を反映した適正な成果配分としての、一定の社会的相場の範囲の中で、産業・企業動向、職場や賃金・労働諸条件の実態など、さまざまな要素を勘案しつつ、決定されるべきものと言えます。
 政労使で確認された「生産性運動に関する三原則(生産性三原則)」のひとつは「成果の公正配分」ですが、具体的には、「生産性向上の諸成果は、経営者、労働者および消費者に、国民経済の実情に応じて公正に分配されるものとする」と定義されています。国民経済、すなわちマクロ経済の実情に即した適正な成果配分は、生産性運動における大前提となっています。生産性向上は経済成長の源泉と言えますが、適正な成果配分がなければ、経済成長にはつながりません。そして同時に、適正な成果配分こそ、一層の生産性向上を促す源泉であると言えます。

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