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奇妙な「解雇規制緩和」論議

2024年9月24日
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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 自民党総裁選において、主要な論点のひとつとなったこともあり、解雇規制の緩和がにわかにクローズアップされています。
 想定される具体的な解雇規制緩和の姿は、
①解雇権濫用法理、整理解雇の四要件の緩和
②解雇の金銭解決の制度整備
ということになると思います。
 解雇規制の緩和によって、雇用の流動化を図り、成長分野に人材を移動させて成長力を高める、とか、企業が安心して人を雇えるようになるため、正社員が増加して、賃金も上がりやすくなる、とか言われることがありますが、これらはあくまで空想の世界の、あるいは、欺瞞のロジックと言わざるを得ないと思います。

解雇規制緩和によって、わが国のイノベーションはむしろ阻害される

 解雇規制を緩和して、雇用の流動化を図り、成長分野に人材を移動させてわが国の成長力を高める、などということが言われますが、解雇規制の緩和と、雇用の流動化や成長分野への人材の移動とはまったく別の問題です。成長分野において、職場がブラックな状態であればそれを解消し、成長分野に相応しい適切な賃金・労働諸条件を提供していけば、自ずと人材は成長分野に集まるはずで、それが市場経済原理というものです。解雇規制の緩和によって、人材を押し出すかたちで無理やり成長分野に誘導しようとすれば、ブラックな状態の解消や賃金・労働諸条件の向上に水を差すことになりかねません。
 吉村典久・関西学院大学教授は、
*起業によって「新たな事業、産業を」という期待は実現していない。
*既存企業の事業部門の分離独立で誕生した会社群が産業構造転換を担い、各産業分野の先駆者となってきた。
と指摘しています。(「『親企業超える子会社』再興を」2024年9月24日、日本経済新聞朝刊)
 また藤本隆宏・東大名誉教授も、
*日本は産業の新陳代謝が遅れているから、労働力の流動化をやって人を動かしましょう、という議論があるが、現場を見ていない人が言っていると思う。
*中小企業や大企業の生産子会社の社長・工場長が、従業員全員を食わしていくためにジタバタする、これがプロセス・イノベーションとプロダクト・イノベーションをもたらし、産業構造転換を起こしてきた。
と主張しています。(「日本のものづくり産業の将来像と『ものづくりカイゼン国民運動』の意義」金属労協『JCM』2015年秋号)
 解雇規制の緩和がわが国におけるイノベーションを阻害し、その成長力に決定的な打撃を与えることは必至と言わざるを得ません。解雇規制緩和を主張する者は、同時にリスキリングの必要性を強調していますが、リスキリングは本来、民間企業における「ジタバタ」の一環として行われるべきものであって、解雇を前提としたリスキリングに政府が資金を提供するような性格のものではありません。「人材会社栄えて万骨枯る」ということにならないようにする必要があります。

解雇規制緩和で労働者の立場はさらに弱められ、消費はより節約的になる

 また、解雇規制の緩和によって、企業は安心して人を雇えるようになるため、正社員が増加して、賃金も上がりやすくなる、というようなことも言われています。
 しかしながら、
*解雇規制の緩和によって、労働市場における労働者の立場がさらに弱くなり、交渉力が低下する。このため、むしろ賃上げを阻害することになりかねない。
*解雇規制緩和が行われれば、正社員とはいっても、会社は安易な解雇に走りやすくなり、結局、従業員にとって離職を迫られる危険性は、非正規雇用(採用の手続きや採用後に適用される賃金・処遇制度が簡略で、安易に解雇されてしまう傾向のある「略式雇用」)と大差のないものとなる。労働者は将来不安から節約的な行動をとらざるを得ず、わが国経済は、需要不足・供給力過剰の状態に戻らざるを得ない。

ということになると思います。

内閣府『平成29年版経済財政白書』P.55の指摘
 近年、若者の消費に対する意欲が低下していると指摘されている。恒常所得仮説に基づくと、家計は、将来の賃金の変化を踏まえて生涯に稼ぐ所得を予想し、それに基づいて今期の最適な消費水準を決定する。(中略)賃金カーブのフラット化が進む局面では、若年層は生涯所得を低く見積もるため、結婚や出産といった将来のライフイベントや老後に備えて貯蓄する動機が強まる。さらに、若年層が、終身雇用を前提とせず、将来離職する蓋然性を高く見積もっている場合、予想生涯所得に対する不確実性が高くなり、予備的貯蓄動機から現在の支出を抑えようとする。

 わが国の労働市場は、国際的に比較して解雇規制が緩い(後述)だけでなく、人件費の中で所定外賃金や一時金の比率が高く、人件費が景気の変動に対しきわめて柔軟、という特徴があります。景気変動のリスクを主に労働者が負い、会社は、不況期には人件費を削減することによって利益を捻出するシステムとなっているわけです。
 もし万が一、これ以上解雇規制を緩和するのであれば、労働者の生活の安定のためには、最低限、
*所定外労働が、実際上ほとんど行われないような働き方に改革する。
*現在支払われている所定外賃金や一時金については、そのほとんどを基本賃金に繰り入れる。
といった見直しが行われなければなりません。

わが国の解雇規制はOECD諸国の中で緩いほうに属している

 わが国の解雇規制は国際的に見て厳しいというような見方が流布されていますが、しかしながら実際には、「解雇の自由を墨守している米国を除けば、要するに解雇にはそれ相当の正当な理由が必要であるとの、多くの先進諸国の労働法で採用されてる通常の解雇ルール」(菅野和夫・山川隆一『労働法第十三版』2024年、弘文堂)にすぎません。
 むしろ、2019年にOECDが調査した結果によれば、わが国の解雇規制の厳しさは、加盟国の37か国中の27番目(すなわち、緩いほうから11番目)となっており、先進国の中で緩いほうに属しています。また、わが国では「不当解雇について申立てをする期間制限」が明文化されておらず、これについて労働者保護の程度が最高ランクとされていますが、実際には「信義誠実の原則」の制限を受けるので、これを除けば、さらに順位は低くなるかもしれません。
 消費者庁の公益通報者保護制度検討会では2024年7月、「主要先進国の労働法制に関する比較表」をとりまとめていますので、ドイツ、フランス、英国、日本の普通解雇および整理解雇の要件を紹介したいと思います。

ドイツ
<普通解雇の要件>
「社会的に正当な事由」が必要。①から③のいずれかに該当しなければ、 「社会的に正当な事由」なしとして不公正解雇に該当。
①労働者の一身上の事情に関する事由
②労働者の行為・態度に関する事由
③緊急の経営上の必要性
 上記①~③の存否について次の4段階の審査
ⅰ. 解雇事由それ自体の存否
ⅱ. 解雇事由の将来にわたっての存否(将来予測の原則)
ⅲ. 解雇のみによって除去が可能か(最後の手段の原則)
ⅳ. 解雇による使用者側の利益と労働者側の利益の比較考量
<整理解雇の要件>
①雇用機会が失われること
②配転の可能性がないこと(当該従業員のポジションより低いポジションでも提案することが必要)
③社会的に適切な人選(社会的選択)であること
フランス
<普通解雇の要件>
「現実かつ重大な事由」があること
 「現実の事由」:以下の3要素を中心に判断
①客観的事由であり、使用者の好き嫌いから独立したものであること
②現に存在するものであること
③正確なものであること
 「重大な事由」:一定の重大さを備える事由であり、企業に損害を与えることなくして労働を継続することを不可能にする程度の事由
<整理解雇の要件>
「現実かつ重大な事由」があり、
①職業訓練・適応措置の実施や再配置等あらゆる努力が実施された、あるいは企業内もしくは企業の属するグループ内でその労働者の再配置が実現できないこと
②経済的事由の重大性があること(「注文または取引高の顕著な低下」等の要素を考慮。企業の規模に応じて判断基準が異なる)
③被解雇者の選定基準が適正であること(家族の有無や在職年数等を考慮)
英 国
<普通解雇の要件>
使用者が解雇理由を立証し、下記のいずれかに該当するかどうかで判断される
①仕事に必要な能力又は資格
②労働者の行為
③労働者の退職
④労働者が余剰人員であること
⑤法律上の義務・制限により職務継続が不可能であること
⑥その他の解雇を正当づける実質的な理由がある場合
<整理解雇の要件>
①人員削減の必要性(会社が倒産しそう・著しい赤字といったところまでは立証不要)
②解雇回避努力(「その人に適した仕事」を探せば足りる)
③人選の合理性(勤務成績によって行うのが通常)
日 本
普通解雇の要件>
解雇権濫用法理に基づき、
①客観的合理性(労働能力の欠如や規律違反行為の存在等)
②社会相当性(労働者側の情状、他の労働者への対応例の比較等)
による判断
<整理解雇の要件>
①人員削減の必要性
②解雇回避努力
③人選の合理性
④手段の妥当性

解雇の金銭解決の論点

 次に、いわゆる解雇の金銭解決ですが、現行においても、「労働者が裁判で勝訴し、無効な解雇であると認められた場合に、労働者の請求によって使用者が一定の金銭を支払い、当該支払によって労働契約が終了する」(「新しい資本主義の グランドデザイン及び実行計画2024年改訂版」)ということが禁止されているわけではありません。現在の論議は、この「一定の金銭」について、市場経済原理に則った労使の対等な交渉で合意される金額よりも、はるかに低い金額の基準を設け、従業員に有無を言わせず受け入れさせる仕組みの導入です。
 もちろん、そんな金額では「労働者の請求」が行われるはずがありませんので、近い将来、「労働者の請求によって」という限定が取り払われ、「労使いずれかの請求によって」に拡大されることは、仕組み上、自明です。そうなると、
①会社側による不当解雇
②裁判で会社側敗訴
③会社から金銭解決の請求と基準に従った解決金の提示
④解決金の支払いと解雇
というプロセスを経れば自由に解雇できるわけですから、実際上は、①、②の手順を省略して、③、④のプロセスだけで解雇できることになる、ということになります。もはや「解雇規制の緩和」ではなく、「金銭による解雇の自由化」となるわけです。

人件費の削減・変動費化に迫られていた状況は180度変わっている

 わが国産業・企業の競争力が減退し、企業の持続可能性が損なわれてきているのは誰の目にも明らかだと思いますが、その根本的な原因は、グローバル経済化による熾烈な国際競争そのものではなく、グローバル経済化を口実にして、
*雇用の非正社員化(略式雇用化)
*いわゆる成果主義賃金制度の導入による中高年層の賃金水準引き下げ
などにより、人件費の削減・変動費化が進められ、従業員の活力、エンゲージメント(仕事に対するポジティブで充実した心理状態)を削いできたことによる、と言えるのではないでしょうか。
 これは企業が悪い、経営者が無能というよりも、その背景として、
①日銀から市中への資金供給を引き締め気味にすることにより、企業に人員整理や賃金引き下げを促し、スリムな企業体質を構築して、競争力を高めようとする「清算主義」に則った金融政策が展開されていた。
株主資本主義の伸張による短期的な利益率重視経営の風潮。
という状況があり、多くの企業や経営者にとって、これに抗うことが困難だったという事情があると思います。

 しかしながら、今や事態は180度変化しています。①については、2013年以降、量的・質的金融緩和が実施され、最近こそ、消費者物価上昇率が日銀の目標2%を上回る3%近くで推移していることから、金融引き締めに転じているものの、2024年8月7日、内田副総裁は「社会において失業に対する抵抗感が強い以上、一時的な倒産と失業増を経て次のステージの回復を期す、という米国流の変革プロセスは現実的ではない」と明言しています。もはや「清算主義」に戻ることはないことを宣言したもの、と言えます。

 ②についても、株主資本主義からステークホルダー資本主義への流れが明白となっています。エンゲージメント重視経営、人権デュー・ディリジェンスの普及・義務化、日本における2023年以降のベースアップの動きなどは、その一環です。

 解雇規制の緩和という発想は、あくまで清算主義と株主資本主義の影響によって、人件費の削減・変動費化を進めなくてはならなかった時代の残滓にすぎません。慢性的な人手不足によって人材の「囲い込み」こそが課題となっている現在、もはや時代錯誤もはなはだしいと言わざるをえません。このような時に解雇規制の緩和を行うことは、政策的に企業をミスリードすることにつながり、この点からも、わが国の成長力を損なうことになります。

 

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