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 (浅井茂利著作集)企業間の付加価値の適正配分に向けた取り組み

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1598(2016年1月25日)掲載
金属労協政策企画局長 浅井茂利

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 金属労協では、2016年の春闘方針である「2016年闘争の推進」において、大手と中小、セットメーカーとサプライヤーなど、企業間の付加価値の適正配分の実現に向け、
*適正取引の確立
*バリューチェーンにおける「付加価値の適正循環」の構築
を掲げています。現実に何ができるのかは、さらに検討を深めていかなければなりませんが、今回はこれまでの取り組みとその基本的な考え方について、ご紹介したいと思います。

付加価値の適正配分に向けた政府の動向

 2015年4月2日に開催された「経済の好循環実現に向けた政労使会議」では、「価格転嫁や支援・協力についての取組策およびサービス業の生産性向上に向けた取組策」がとりまとめられ、
*経済界は、サプライチェーン全体で好循環が力強く回転するよう、取引先企業の仕入れ価格の上昇等を踏まえた価格転嫁や支援・協力に総合的に取り組む。
*政府は、産業界に対して、14業種に設けられた「下請取引ガイドライン」に沿って取引を行うよう徹底して要請する。
ことなどが打ち出されました。
 これに先立って経済産業省では、2014年10月、745の業界団体に対して価格転嫁に関する要請文書、下請法上の親事業者(約20万社)に対して取引適正化を要請する文書を発出、11~12月には、経団連、自工会や、270の業界団体、地方経済団体に対し、要請活動を展開するとともに、約2万9千社に対して、価格転嫁状況や取引対価決定時の協議状況について調査を実施しています。また下請法関連では、2014年10月~2015年3月に462社の大企業に立入検査を行い、減額、支払い遅延、買いたたきなどについて、394社に指導を行いました。
 CSRの展開などにより、下請取引の適正化が期待されていましたが、462社中394社への指導という現実には、愕然とするばかりです。産業の持続的な発展、とりわけ中小企業における「人への投資」、設備投資、研究開発投資にとって、付加価値の適正配分は不可欠な要件のはずですが、「政労使会議」に代わって2015年秋に始まった「未来投資に向けた官民対話」では、あまり取り上げられていないのは、大変残念なことです。

公取委の機能強化に向けた金属労協の取り組み

 金属労協では、これまでも「適正取引の確立」に取り組んできています。従来から行ってきた経済産業省(中小企業庁)への働きかけに加え、2014年からは、公正取引委員会(以下、公取委)に対しても要請活動を展開しています。「2015年政策・制度課題重点取り組み項目」では、「ものづくり産業を強化する『攻め』の産業政策」のひとつとして、「下請適正取引の確立」を掲げ、具体的には、
①「優越的地位の濫用」行為の抑止・早期是正の体制強化、下請法における刑事罰の強化、「下請適正取引等推進のためのガイドライン」の取り組み強化
②CSR会計の普及・促進
を主張しています。
 「優越的地位の濫用」に関しては、公取委では、2009年から「優越的地位濫用事件タスクフォース」を設置し、優越的地位の濫用にかかわる情報に接した場合には調査を行い、濫用行為の抑止・早期是正に努めることにしています。しかしながら、2010年度以降、「注意件数」は年間50件程度に止まっており、取り組みが停滞しているように見えます。しかも、注意事案のほとんどは、購入・利用強制、協賛金等の負担の要請、従業員等の派遣の要請など小売業、サービス業などに関するものとなっており、製造業関係は見受けられません。
 小売業やサービス業などへの納入に比べて、サプライヤーからセットメーカーへの納入の場合には、同じ部品については、お互い限られた数の企業との取引の場合が多く、それが公取委に対する相談や申告を困難にしている可能性があります。従って、サプライヤーからの相談や申告を待つことなく、公取委自ら、情報収集を強化していくことが不可欠です。
 独占禁止法では、「公正取引委員会は、この法律の規定に違反する事実又は独占的状態に該当する事実があると思料するときは、職権をもって適当な措置をとることができる」とされており、関係者からの申告だけでなく、公取委による職権探知も事件処理手続きの第一歩として認められているのですから、ぜひとも積極的にその職権を発揮して欲しいところです。
 一方、下請法は、製造委託、修理委託、情報成果物作成委託、役務提供委託を対象に、親事業者と下請事業者を資本金によって区分し、親事業者による受領拒否、下請代金の支払遅延・減額、返品、買いたたきなどの行為を規制することにより、親事業者の下請事業者に対する取引を公正にし、下請事業者の利益を保護しようとするものです。
 下請法では、親事業者の発注書面交付義務や書類保存義務といった手続規定に違反した場合には、刑事罰(罰金)が設けられているのですが、支払遅延、買いたたき、減額、割引困難手形の交付、利益提供要請、有償支給原材料の早期決済、購入等強制、受領拒否、不当やり直し、不当返品といった実体規定違反については、原状回復を求め、勧告・公表が行われるだけです。
 こうした法の制度設計は、大変奇妙に思われます。もし道路交通法で、免許不携帯は罰金だが、スピード違反や信号無視は注意されるだけであったなら、法の秩序は保たれません。支払遅延や買いたたきなどの行為は、書面の交付義務違反より軽い、という誤ったメッセージを伝えることになってしまいます。
 実体規定違反に関しては、下請法に則って勧告・公表が行われたあと、従わなければ、今度は独禁法上の優越的地位濫用事件として調査し、排除措置命令と課徴金納付命令という法的措置を行うという手順になりますが、製造業では、課徴金を課された事例はないようです。
 下請法では、勧告とともに会社名の公表が行われますが、さまざまな企業不祥事が報道される中で、会社名公表にどれだけの抑止効果があるのかはきわめて疑間です。独禁法で課される課徴金についても、取引額のわずか1%にすぎず、優越的地位の濫用によって得られる利益に比べれば、過少であることは否めません。
 公取委の体制が限られたものである以上、ある程度は、一罰百戒であることはやむをえないところであり、そうした観点に立って、刑事罰、法的措置の体系が再構築される必要があるのではないでしょうか。

適正取引推進マニュアルやCSR会計の活用

 当然のことですが、適正取引の確立に関しては、公正取引委員会のような「お上」頼みであってはいけません。公取委が何もしなくてもできている、という状態が一番よいわけです。この点で、金属労協は産業・企業自らの取り組みとして、
*適正取引推進マニュアル
*CSR会計
の作成や活用を主張しています。
 「適正取引推進マニュアル」とは、大手企業やセットメーカーが、サプライヤーとの取引において、とくに補給品の価格決定、型保管費用の負担、配送費用の負担、原材料価格等の価格転嫁などといった、サプライヤーの側が不満を持ちやすい事例に関して、あらかじめ具体的な対処方針を明らかにしておく、というものです。従来、
*メーカー側がサプライヤーに求める行動規範
*サプライヤーへの対応に関するメーカー側の理念や基本方針
については、多くの企業が作成し、公表されていますが、メーカー側が取引の具体的な行動において自ら守るべきマニュアルについては、「その多くは、法令遵守なかんずく下請法の遵守に関する内容にとどまっている」と指摘(中小企業庁)されてきました。本来、企業が自ら作成した「マニュアル」には、「お上」から押し付けられたのではない、自発的に約束したという重みがあるわけですから、その実効性が大いに期待できるわけで、法令遵守を超えた適正取引の確立、さらには適正配分実現の観点に立ったマニュアルの作成と活用が望まれます。業界団体が共通のマニュアルを作成しているところでは、それを利用し、不十分な点は自社で補強する、というやり方もあります。
 一方、CSR会計とは、企業の財務諸表の会計数値を組み替えることにより、収益(売上高+営業外収益)や売上高のうち、どれだけが企業の外部(取引先)などに支出されたか、そしてその残余部分である付加価値が、どのようにステークホルダー(従業員、役員、株主、政府、地域、環境、内部留保、その他)に配分されたかを数値として具体的に算出し、公表するものです。一社だけのCSR会計を見ても、そういうものか、と思うだけですが、こうした動きが広がり、さまざまな産業・企業におけるCSR会計を比較・分析することが可能となれば、他の業界や同業他社と比べて、取引先、従業員、役員、株主などに対する支払いや内部留保、地域・社会に対する貢献が多いのか、少ないのかを比べることができます。もし、他の業界や同業他社と比べて多い、あるいは少ない場合、それについて、合理的な説明ができればよし、そうでなければ、企業行動を見つめ直すことによって、企業の抱える潜在的リスクを認識し、持続可能性の確保を図るための対応を促すことが期待されます。

「付加価値の適正循環」の考え方

 「2016年闘争の推進」では、こうした従来の取り組みに加え、「付加価値の適正循環」構築の取り組みを打ち出しました。
 バリューチェーンにおいて、資源、素材、部品、組み立て、卸、小売、輸送、アフターサービスなどといった各プロセスの企業が、それぞれ適正に付加価値を確保し、それを「人への投資」、設備投資、研究開発投資に用いることにより、強固な国内事業基盤と企業の持続可能性の確保を図る、という考え方です。
 とはいえ、具体的に何ができるのかは、これから各産業ごとに、それぞれ検討していかなくてはなりません。まずはサプライヤーをはじめとする、セットメーカー以外の企業において、「人への投資」、設備投資、研究開発投資がきちんとできているのかどうか、メーカー側がチェックを行っていくということが、第一歩になるのではないでしょうか。
 個別企業が個別企業のチェックを行うということが望ましいのですが、それが難しければ、少なくとも業種ごと、できればなるべく小さな業種ごとに、「人への投資」、設備投資、研究開発投資ができているのかどうか、当該の業界団体や産業別労働組合などがチェックを行い、その状況に関して、公正取引委員会も参画し、サプライヤーの業界団体とメーカー側の業界団体とが、協議の場を持つということが考えられるのではないかと思います。
 グローバル経済の下で、サプライチェーン、バリューチューン全体の競争力が、日本のものづくり産業の「強み」であると言われています。IoTやインダストリー4.0などといった動きにより、工場内や工場間の機械同士、あるいは流通と生産、消費者が保有する商品とそれを生産した企業とがICTで結ばれ、情報のやりとりをするようになればバリューチェーン全体の競争力強化が、これまで以上に重要となってくることは間違いありません。もし仮にバリューチェーンに対して適正な配分がなされず、その結果、バリューチェーンにおいて適正な投資が行われなければ、それはメーカーにとって、タコが自分の足を食べているのと同じことである、ということなのだろうと思います。

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