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(浅井茂利著作集)いわゆる第4次産業革命と勤労者、働き方

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1603(2016年6月25日)掲載
金属労協政策企画局長 浅井茂利

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 安倍内閣の成長戦略が、うまくいっていません。「日本再興戦略2016(素案)」に「民間企業の動きは、いまだ本格的なものとなっていない」と記載されているのですから、そのとおりなのでしょう。
 素案では、その原因として、人口減少や先進国経済の長期停滞、中国など新興国経済が勢いを失っていること、などを挙げていますが、
*人口減少はもともと分かっていたことである。
*欧米は緩やかな景気回復が続いている。
*中国以外のアジア経済も力強く成長している。
ので、成長戦略がうまくいっていない理由には当てはまりません。企業業績はそんなに悪くないのですから、仮に海外経済が不振だとしても、企業が長期的な観点に立った投資や改革を進めることは十分に可能です。海外経済と成長戦略の成否とは、無関係とは言いませんが、直接には結びつかないはずです。
 2015年9月25日号の本欄で指摘していますが、 「産業の新陳代謝」の名の下に、企業が新分野を開拓する際、新たに従業員を雇用し、それまで働いていた従業員は解雇して再教育を行い、再就職を図るというのが、これまでの「日本再興戦略」の描く典型的な姿でした。筆者はこうした現場から遊離した考え方を出発点にしていたことが、成長戦略がうまくいっていない原因ではないかと考えています。
 しかしながら「日本再興戦略2016(素案)」では、労働移動促進のような考え方は、前面に出てきていません。もちろん、素案にはさまざまな問題点があると思いますが、少なくともそうした点では、前進なのではないかと思います。
 本稿では、いわゆる「第4次産業革命」への対応を中心に、成長戦略と勤労者、働き方の関係について、考えてみたいと思います。

産業界における大きな動き

 いま、産業界全体を揺るがしている大きな動きがあります。ドイツではインダストリー4.0、アメリカではインダストリアル・インターネット、「日本再興戦略2016(素案)」では第4次産業革命と呼ばれているものです。東大の藤本隆宏教授は、 4.0というほどのものではなくて、せいぜい3.5あたりだとおっしゃっていますし、インターネットではなく、専用回線で結ぶ場合も多いだろうと思いますので、何と呼んだらいいかは難問なのですが、ここではとりあえず「第4次産業革命」という言葉を用いることにします。要は、事業所内・事業所間の機械や従業員、サプライヤー、ロジスティック部門、販売部門、アフターサービス部門、消費者の手許にある製品などすべてをネットワークで結び、データをやり取りし、またそこから得られるビッグデータをAI(人工知能)で分析することにより、生産の効率化、省エネルギー、製品やサービスの向上、基礎研究や技術開発、製品開発などに活用しようとするものです。
 あくまで筆者のイメージですが、ドイツのインダストリー4.0は、ジャストインタイムやカイゼンなどトヨタ生産方式をロボットとICT(情報通信技術)を使って実現する、というところから入っており、アメリカのインダストリアル・インターネットは、世界中に販売した製品の稼働状況をリアルタイムで掌握しているコマツの「スマートコンストラクション」の色彩が強いのではないかと思っています。ただし、ふもとの登山口が違っていたとしても、結局、どちらも同じ山頂に着くことになるでしょう。

新産業構造ビジョンでは、労働移動促進を踏襲

 「第4次産業革命」への対応をとりまとめた「新産業構造ビジョン(中間整理)」が2016年4月に発表されましたが、ここでは、これまでの再興戦略の柱である労働移動促進の考え方が、踏襲されていました。
*企業と労働者との効率的な関係は、旧来のいわゆるメンバーシップ型(企業への帰属を固定化して人材投資を行なっていく)一本槍から産業の特性やビジネスモデルに応じてメンバーシップ型とジョブ型(特定の職務による労働者の採用・配置)を最適に組み合わせたモデルに転換しつつある。
*産業構造の急速な転換に対応した円滑な就業構造の転換が進まないおそれがある。
*成長分野への円滑な労働移動が不可欠。
などという認識に立って、
*労働市場・雇用制度の柔軟性向上。
*外部労働市場の機能を高める。
*まずは在籍出向などのリスクの少ない労働移動の支援を通じた成功事例の創出から段階的に、労働市場の流動性を向上させていく。
といった施策が提唱されています。
 そして、「第4次産業革命」に対応したこのような変革が実行されない場合、2030年度には、2015年度に比べて735万人の雇用が失われると試算しています。
 2012年に発表された「日本の将来推計人口」によれば、そもそもこの間、生産年齢人口は909万人減少することになっているので、それとの整合性がよくわからないのですが、それは脇に置くとしても、労働移動の促進に関しては、次のような指摘ができると思います。

従業員解雇のための助成金を利用した企業は少なかった

 企業の新陳代謝を促すための労働移動促進という、これまでの再興戦略を象徴する施策が、企業がリストラを行う際、対象者の再就職支援を人材会社に委託すると、企業が助成金を受け取れる「労働移動支援助成金・再就職支援奨励金」です。
 2015年10月25日号の本欄で紹介しているように、2013年度予算では5.68億円だったのが、2014年度予算では85.19億円に拡大されました。しかしながら、政府が助成金をつけてまでリストラを促進しようとしたのに、実際の利用はごくわずかで、2014年度の執行率は7%に止まりました。
 企業が生み出す付加価値の源泉は、従業員の現場力です。インダストリー4.0でも、「成功をもたらす決定的要因が人間であることには今後も変わりがない」とされています。インダストリアル・インターネットは、「働く人の能力を増強し、作業効率を大幅に改善し、優れた成果と生産性の向上をもたらします。労働者は、チャールズ・チャップリンの『モダン・タイムス』のようにインダストリアル・インターネットの新しいインテリジェントな機械と競争するのではなく、『アイアン・マン』のように、これらの機械を活用して競争するのです」と解説されています。
 大企業であろうが中小企業であろうが、従業員は安定した雇用を望んでいるはずですから、それを裏切るような企業が成長できるはずがありません。リストラ助成金が機能しないのは、当たり前のことです。
 また先述の藤本教授は、「雇用を守るためにジタバタすることこそ、プロセス・イノベーションとプロダクト・イノベーションの原動力であり、産業の新陳代謝の源である。成長戦略は、良い現場がジタバタする自由を与えることがその第一歩である」と指摘しています。M&Aでどこかの企業やどこかの部門を買ってきて、成長分野に進出しようとしても、成功はなかなか難しいと思います。

労働移動促進は「失われた20年」の発想である

 「新産業構造ビジョン(中間整理)」では、企業と労働者の関係が、メンバーシップ型一本槍から、メンバーシップ型とジョブ型の組み合わせに転換してきていると記載されています。情勢認識としては、まったくそのとおりだと思いますが、今後も続くのかどうかは、もう一度考えてみる必要があります。こうした転換は、1995年に旧日経連が提唱した「雇用のポートフォリオ」、すなわち正社員は幹部社員のみ、技能職、一般職、専門職は非正規労働という考え方を具体化したものです。これは、バブルが崩壊する一方で、共産圏の市場経済化、発展途上国や新興国の台頭によるグローバル競争の激化という状況の下、人件費コストの抑制・変動費化を意図したものでした。
 グローバル競争はますます激しくなっていますが、「第4次産業革命」に対応し、また、新たな成長分野で国際競争に打ち勝っていくためには、人件費コストの安さを競うような競争を行なっている場合ではありません。マクロ経済的にも、デフレ脱却と経済の好循環をめざしているわけですから、「失われた20年」対応型の企業行動は、根本から見直していく必要があります。

第4次産業革命対応の教育訓練は企業が主体である

 「第4次産業革命」を推進する上では、勤労者に対する教育訓練が不可欠となりますが、労働移動を前提にしたシステムでは、企業内での教育訓練はやりにくくなってしまいます。
 労働移動を前提にすると、勤労者がいったん労働市場から退出し、公的機関で教育を受けるとか、公的資金を得て民間の教育機関で教育訓練を受けるということになります。
 こうしたやり方では、昨今の人手不足に対応することは困難です。民間企業の現場のニーズに即した教育訓練が行なわれるかどうかも疑問ですし、財政負担は膨大なものとなってしまいます。そして何よりも、いったん企業を離れることにより、本人の生活基盤が損なわれてしまうという根本的な問題があります。
 インダストリー4.0では、
*インダストリー4.0は、生産に従事する社員に受け入れられる必要があるが、その前提は、社員にとってフレキシビリティが増し、社員の独創性や学習能力を支援するような労働条件である。
 インダストリアル・インターネットでも、
*企業は新しいソフトウェア、分析ツール、モバイル技術を活用するためのトレーニングを提供し、働く人のスキル、効率、仕事に対する満足度およびキャリアを短期間で向上させることが重要な役割になる。
*働く人々が職場の急速な変化に対応するためには、教育システムによって新しいスキルを身に付け、会社が投資したトレーニングによって短期間で新技術を習得し、場合によっては新しい職務に合わせて再教育を受ける必要がある。
と指摘していますが、当然のことだと思います。

「日本再興戦略(素案)2016」では労働移動促進は前面に出ていない

 「新産業構造ビジョン(中間整理)」から1カ月も経たないうちに発表された「日本再興戦略2016(素案)」では、リストラを奨励するような労働移動の促進は見受けられません。手放しで安心できるわけではありませんが、少なくとも、まっとうな成長戦略に向けた第一歩と言えるのではないでしょうか。
 筆者は、けっして労働移動が増加すること自体を否定しているわけではありません。賃金・労働諸条件のよい企業、成長分野の企業、そうしたところへの労働移動は望ましいものであり、必要なものだと思います。そうではなくて、新陳代謝のために従業員を解雇するという発想を否定しているのです。
 インダストリー4.0やインダストリアル・インターネットにおける勤労者や働き方に関する考え方を見ても、勤労者の役割の重要性、雇用の質や生活水準の向上をめざすものであることが繰り返し強調されています。日本では、「日本再興戦略2016(素案)」に基づき設置される「第4次産業革命人材育成推進会議」などの場で検討が進められるのだろうと思いますが、労働組合として、「第4次産業革命」における雇用、賃金・処遇、働き方などに関し、早急に検討し、積極的に発言していかなくてはなりません。

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