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経団連『2023年版経営労働政策特別委員会報告』の受け止め方(2)

2023年1月23日
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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2.賃金引上げの方法について

(手当、一時金などについて)
*経労委報告では「賃金引上げ」について、
・月例賃金(基本給)、諸手当、賞与・一時金(ボーナス)を柱として、多様な選択肢の中から自社の実情に適した方法の前向きな検討・実施を求めたい。
・(諸手当に関して)物価動向への対応としては、例えば、生活関連手当のうち、適切と思われる手当(生活補助手当、食事手当、地域手当等)の増額、物価動向への対応であることを明確にした手当(インフレ手当、物価対応手当等)の新設などが考えられる。
・(一時金に関して)物価動向への対応としては、賞与・一時金の支給時における特別加算(物価対応加算、生活支援分など)のほか、賞与・一時金とは異なるタイミングでの特別一時金の支給(年単位、半期・四半期単位、随時等)が考えられる。
などと記載しています。

*たとえば、
・5千円の手当が物価上昇で目減りしてしまうので、5,200円に増額する。
・一時金を(月数でなく)金額で決定している場合、100万円の一時金が物価上昇で目減りしてしまうので、104万円に増額する。
・4月の賃金改定までの賃金の目減り分を、臨時手当や一時金として支給する。
・物価水準が一時的に上昇したが、短期間で下落し、もとの水準に戻ったので、その間の目減り分を補填する。
というのであれば、可能であり、必要な対応だと思います。しかしながら、継続的な物価上昇が見込まれている場合、たとえば月30万円の賃金の目減り分の全額を、しかもそれが累積していく中で、将来にわたって一時金や手当で支払い続けるというのは現実的ではありません。 

(ベースアップでの対応)
*企業の利益は大きく変動するので、一時金に反映させるのが基本となりますが、生産性向上の成果配分については、生産性は継続的に向上していくものであることから、基本賃金に反映させるのが基本となります。基本賃金はいわゆる「恒常所得」ですから、その増加は勤労者の生活の安定をもたらし、消費拡大の効果も大きくなります。
 
「物価動向を重視した賃金引上げ」についても、継続的な物価上昇が見込まれる以上、基本賃金のベースアップとして実施し、加えて手当や一時金について、必要な対応を行うというのが基本です。この点については、経労委報告でも、
・物価上昇を考慮した基本給の引上げにあたっては、(中略)ベースアップ(賃金水準自体の引上げ、賃金表の書き換え)の目的・役割を再確認しながら、前向きに検討することが望まれる。
としています。
 
*なお、ベースアップは、必ずしも全員一律ではなく、労使で配分交渉を行うのが普通です。ただし物価上昇分については、生活防衛という観点からすれば、一律的な配分が望ましいと言えます。経労委報告でも、
・配分方法として、物価動向への対応の観点からは、全社員を対象とした一律配分(定額・定率)や、物価上昇の影響を強く受けている可能性の高い若年社員、子育て世代の社員、有期雇用等社員への重点配分を行うことが考えられる。
と指摘しています。ただし後者の場合、
・中高年層も、教育費の嵩む「子育て世代」であること。
・1990年代後半以降、中高年層の賃金水準が引き下げられてきたこと。

に留意する必要があります。 

(高齢社員)
*経労委報告では、
・均等・均衡待遇への対応、2025年に予定されている雇用保険の高年齢雇用継続給付の制度変更なども踏まえ、高齢社員の職務・役割や賃金水準の適正化を図らなければならない。その際、定年前後の賃金水準だけでなく、自社の賃金カーブ全体を再設計する必要がある場合も考えられる。
と指摘していますが、本来、入社から定年までの賃金は、その間の貢献の度合いに見合っているはずなので、定年後の「高齢社員の職務・役割や賃金水準の適正化」は「自社の賃金カーブ全体を再設計する」理由にはなりません。「高齢社員は雇っているだけで、企業に貢献していない」という潜在的な意識がなければ、このような発想にはならないと思います。

3.法定最低賃金について 

(地域別最低賃金)
*経労委報告では、地域別最低賃金の影響率(改定後の最低賃金額を下回っており、改定によって引き上げる必要のある賃金で働いている労働者の割合)が、近年は10%超が続いていることを問題視しています。しかしながら経労委報告でも、
・(雇用者1人当たり賃金が)OECD加盟34ヵ国中24位に低迷し、グローバルレベルでの人材獲得において、わが国の競争力は低下している。
・女性と高齢者の労働参加の進展と、それに伴う有期雇用・パートタイムの構成比の上昇は、わが国全体の平均賃金を押し下げる要因となっている。
と指摘しており、法定最低賃金の引き上げは急務です。「グローバルレベルでの人材獲得」については、現状で法定最低賃金近くの賃金水準で働いている者が多い技能実習生や特定技能外国人も当然含まれます。また、日本の地域別最低賃金は、フルタイム労働者賃金の平均や中位数に対する比率が、国際的に見て低い傾向にあり、影響率の高さは、むしろ地域別最低賃金引き上げの必要性の高さを示すもの、と言えます。
 
*経労委報告では、
・多くの中小企業では労働組合や労使協議機関がなく、また、有期雇用等労働者が自身の処遇に対する要望を企業に伝える機会が得にくいなど、
・そこで働く社員が賃金など自身の処遇に対する要望を企業に伝え、交渉する仕組みが制度的に整っていないことも課題といえる。
と指摘しています。地域別最低賃金近くの賃金水準で働いている労働者の多さは、まさに「多くの中小企業では労働組合や労使協議機関がなく」、「有期雇用等労働者が自身の処遇に対する要望を企業に伝える機会が得にくい」ため、労使対等の下で賃金交渉が行われておらず、労働市場において、適正な労働力の価格決定が行われにくいことの反映と言えます。
 
*経労委報告では、地域別最低賃金の審議において、使用者側委員の「全員反対」で結審している事例が多い状況を受けて、
・公労使三者構成による審議会において、そのうちの一方が「全員反対」で結審した地域が大勢を占める状況が複数年度にわたって常態化した場合には、目安制度とあわせて、「審議会方式」による決定方式自体の見直しを検討せざるを得ないとの危機感を関係者間で共有すべきである。
と主張しています。三者の合意形成に努力する必要はありますが、もし、使用者側の「全員反対」を回避するために配慮が行われるとすれば、使用者側の容認する範囲でしか地域別最低賃金を引き上げることができず、事実上、地域別最低賃金額を使用者側が決定することになりますので、とくに注意する必要があります。ちなみに、日本も批准しているILO条約第26号(1928年)では、最低賃金決定制度の運用方法について、
・関係のある使用者及び労働者は、国内法令で定める方法により、国内法令で定める程度において最低賃金決定制度の運用に参与する。もつとも、その使用者と労働者とは、いかなる場合にも、等しい人数で、かつ、平等の条件によつて参与するものとする。
とされているわけですから、経労委報告の記載も、これを遵守したものである必要があります。
 
*前述のように、
・多くの中小企業では労働組合や労使協議機関がなく、また、有期雇用等労働者が自身の処遇に対する要望を企業に伝える機会が得にくい
ために適正な労働力の価格決定が行われにくいわけですから、このような「市場の失敗」の状況の下では、最低賃金審議会において「春季労使交渉・協議」を補完することが不可欠です。経団連は積極的な法定最低賃金の引き上げに向けて、各都道府県最低賃金審議会の使用者側委員に対し、指導力を発揮する必要があります。

(特定最低賃金)
*特定の産業で働く人々に対し、労使が合意した場合に地域別最低賃金を超える水準の法定最低賃金を設定する「特定最低賃金」については、経団連ではかつて、地域別最低賃金に屋上屋を架すものと批判し、その制度廃止を主張していました。しかしながら、2023年の経労委報告では、
・現時点で本当に必要な特定最低賃金を関係者間で確認し、当該特定最低賃金は適正な水準で存続させる。
としており、はじめて「存続」を打ち出したことは重要な変更であると言えます。
 
*特定最低賃金において、その引き上げが地域別最低賃金の引き上げを下回るものに抑制され、このため地域別最低賃金に追い越されて無効となる事例が見られます。これがさらに増加すると、当該の特定最低賃金の廃止のみならず、特定最低賃金制度そのものの存廃にかかわる懸念がありました。しかしながら、経団連として特定最低賃金制度の「存続」を認めた以上、各都道府県最低賃金審議会の使用者側委員としても、特定最低賃金の引き上げを地域別最低賃金に対しことさらに抑制する必要はなく、各都道府県の各産業ごとに、改めて特定最低賃金のあるべき水準を検討すべきであると思います。なおその際には、
・「労働組合や労使協議機関」があって、賃金を「交渉する仕組み」が機能している企業の労使や、労働組合団体や経営者団体の専門家で産業を熟知している者が検討する。
・地域別最低賃金に追い越されたために、現時点で無効となっている特定最低賃金についても、改めてその復活に向けて検討する。

必要があります。


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