発信する意味

2019年9月17日から、ツイッターを始めました。

発信するって難しいし恥ずかしい。僕は今まで怖くてずっと匿名を使っていました。

詩を書いたり、自分の決意を思う存分に書けていたのは「匿名」だったからというのが大きいと思います。でも、今回は本人としてツイッターを始めたのには僕なりの理由と決心があります。

それは「人はありのままで愛おしいしそのままで居ていい」ということを体現したい。その強い想いから来ています。

僕が匿名を使うことで守りたかったことは、「自分の考えを否定されること」でした。匿名を使っていれば安心な気がしていたんです。でも実際は「人はありのままで愛おしいしそのままで居ていい」んです。

何よりもそのことを体現していくには、自分がありのままでいていい。恐れずに自分を全部出してみることだと考えたんです。僕が匿名を使うことは僕の心の中に「そのままではいけないんだ」ということを表していることと一緒だと思いました。

僕はずっと心の中に、

・世界は敵だ。

・人は自分を操作しようとしている。

という思い込みがありました。

だから、自分の好きなものは人には知られたくなかったし、ほめられることも、気にかけてくれることも嫌いでした。それは、それによって自分を操作しようとしている、自分を思い通りにさせようとしていると思ってしまうからです。

僕の母親は統合失調症です。僕が小学2年生の時くらいから母の様子が変わってきました。家にあるすべてのものに名前を書き始めたのです。今は使わないおもちゃや本まで。そして毎朝念仏を唱え始めました。

だんだん母親の言動はエスカレートしてマンションの隣の住人に「うちの家族を殺すな」とどなりこみに行ったり、父親に「浮気してんじゃねえ」と声を荒げたりしていました。

さらに行動がエスカレートすると、家の夕食が毎晩、超豪華になり親戚中に豪華なお中元が届きました。僕と兄の学費を全部使い果たしてしまったのです。それによって僕は危うく大学を休学になりそうになり兄は休学になってしまいました。

そんな様子を見て、幼少期の優しくて料理のうまかった母親は壊れてしまったのだと感じてしまいました。人の心は壊れてしまう、病気や何かによって操作されてしまうものなんだと無意識に思い込んでしまうようになってしまいました。

でも、深層心理学を学んだり、尊敬する人のセッションを受ける中で、自分の無意識のフィルターに気づくことができました。

そして自分の願いに気づくことができました、人はありのままでいいし、安心の中で過ごすことの大切さを多くの人に知ってもらいたい。人は不完全かもしれないし、自分自身を嫌いになったり、人を許せなかったり、落ち込んだりしてしまうときもある。でも自分が自分を理解してあげること。今は自分を許せなくても、許せない自分がいるということを理解すること。それだけで心は軽くなるし、焦りや脅迫観念は緩まります。

許せなくてもいい。自分を嫌ってしまってもいい。今はそう思ってしまっていると理解する。それが自己愛なんだと思います。

僕はずっと殻に閉じこもっていたけれど、恐怖で震えていたものを勇気を振りしぼって出してみると、世界は敵なんかじゃなかったし、どの人も僕の過去を聞いて責めることはなかった。むしろ優しく包み込んでくれました。だから今度は、僕が誰かの居場所になりたい。安全基地は、人が本当に安心することで外側に興味が向けられるようになることを説明するための心理学的用語です。外に一歩踏み出すための勇気をもらえる場所、安心をもらえる場所、歩く安全基地を体現していきたいと思っています。


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