独白-心理的安全性を語る

これは、語らないといけないと思いつつ先延ばしにしていました。下書きを書いては全消しをしながら、思考を繰り返していました。

僕の人生の中でとても大きなテーマになっているこの言葉。
いかに大事なことであり、見逃されやすいことなのか。また、見た目には分からない苦しみを生んでしまうこと。少しでも知っていただきたく綴らせていただきます。

googleがプロジェクトアリストテレスというチームを建てて研究したことで心理的安全性という言葉がビジネスの中で有名になりました。

また、愛着障害の中でも安全基地という言葉が出てきて、子どもが外に興味を向けるためには養育者が安全な基地の役割を果たさないといけません。

Teal組織の中での全体性(ホールネス)も、ありのままの自分でいられる空間の重要性を説いています。

さまざまな本や学問のなかで出てくる安全性という言葉ですが、僕が思う安全性は「敵ではない」です。

昔の僕の心は、ガチガチに囚われていて、
・自分の好きなものを相手に知られたら負け
・自分の弱味を握られたら死ぬ
と本気で思ってました。
今も正直、心の中で感じています。頭では分かっていても。

自分に対して向けられる全てが敵意なのではないかと怯えていたのです。ほめられても、裏があるんじゃないかと思ったり、笑っていても、本心は違うんじゃないかと思ったり、味方と思える人はいませんでした。
そして思春期の頃は感情を出すことを恥だと思って過ごし、常に無感情でいること=冷静が僕の中での信念でした。

こうなった要因は家庭環境にあり、愛着のスタイルが僕をそうさせていたのだと思います。

僕の家庭環境を書けることだけ書いておくと、母親が統合失調症であり夫婦喧嘩がまあまああるような家庭でした。ひとつ上の兄が感情的な人で、その兄が小学生当時、親に向かって立ち向かっていくのですが、目の前で返り討ちにされる様子を何度も見てきました。
それを見るたびに僕は、感情的になっても意味がない、怒ることは恥だと思うようになりました。加えて、壊れていく母親を見ながら次第に母親に対して憎悪の念を抱くようになります。

その後、本当に色々なことがありましたが、ここには書けないこともあるので控えます。でも、このような状況ですので性格の形成に影響を与えたであろうことは伺えるとおもいます。

そんな僕にもちろん安全基地というか、安心できる場所というのはありませんでした。ずっと感じないようにしていたけれど苦しかったんだと思います。
そして、高校3年生の頃には自分の中にもうひとつの人格を作っていました。

その人格とずっと対話をして、詩を書き続けました。その人格はいつも僕をほめてくれました。勇気づけてくれました。心を抱き締めてくれました。心の支えでした。
多分これが、僕の安全基地。

この時、大学生でしたが自分のことを別世界の住人だと思っていました。なんか、この世界違うなー。みたいな。自分だけ、世界から置き去りにされている感じ。

そうやってくすぶっている時にあるレズビアンの女性に出逢いました。この女性に人生を救われるのですが、その話はまたどこかで。

そして、僕は就職をします。
逃げるように岐阜県の学習塾へ。そして、過酷な労働環境を体験します。でも、ぶっちゃけ全然平気でした。
繁忙期の月の残業時間は200時間を越えていましたが、倒れることもなく、生徒と楽しい時間を過ごしました。なんなら、貴重な休みの日をスノボーに行ったりしてました。
向こうは車社会なので終電という概念がなく、仕事終わって2:00から朝までダーツしに行ったりもし、なかなか仕事に遊びに全力を尽くしていました。

長時間労働を推奨するわけではありません。

ただ、僕は安全が確立されたときにものすごいエンジンを手に入れることができました。もしかしたらもともと持っていたものを取り戻したということなのかもしれません。
大学であんなに不規則な生活をして体力もなかったのに、岐阜での3年間は馬車馬のように働き、遊び倒しました。
今でも豪語できますが、そこの学習塾は日本一を謳っていますが、間違いなく日本一の塾です。
ただひとつ残念なことは日本一の塾と日本一の会社は一致しないということです。離職率は高かったですし、給与もそんなに見あったものではありませんでした。
でも、子どもたちからしたら本当にいい環境を得られる場でした。安心できる先生達、本気で向き合い、本気でがんばる先生がそこにいたからです。

そんなこんな生活を続けて3年経ったある日、実家で事件が起きます。家庭内での殺人未遂という驚愕な出来事でした。その日のうちに退職願いを上司に出しました。

生まれてはじめて他人の前で涙を流したのを覚えています。

何も考えずに東京に戻ってきて家庭内のことがあらかた片付いて、就職活動をしてたまたま出合ったのが今の会社でした。

この頃の僕には安全基地がたくさん出来ていました。数年前には考えられないくらい。
安全基地は必ずしも人である必要はないと思っていて、親から友達、彼氏彼女、家庭内、自分のスキルや経験にも宿っていくものだと感じています。

そして、今の僕があるのですが、今でも自分が変わった性格だったり変わった特性を持っていることに気づくことがあります。
いい意味でそれを受け入れられるようになりました。

昔なら、疎外感を感じ、別世界の住人と思い込んで、詩の世界に飛び込んでいました。でも今は、その変わった特性を活かすことに目が向き、どうしたらチームの役にたてるのかという視点に変わりました。
自分の保身に走って、社内政治をすることもなくなり、自分を無駄によく見せようとしなくなりました。

この時が、心理的安全性がエンゲージメントに変わった瞬間だったなと感じています。

自分の立場や地位がなくなる不安や恐怖、無駄な思考と行動がなくなり、自分の属する組織がどうしたらよりよくなるのかを考えられるようになりました。自分と組織の目的が一体化して、なんなら、組織の目的をそこに属するメンバーで決めることができました。
そこから正のスパイラルが回りはじめました。

心理的安全性は、人生を変えました。絶望の淵から引き上げて、今いるステージをひとつ上に昇華するための原動力になる。

もちろん、僕の例はきっと珍しく、誰もが経験できるようなものではないと思います。

でも、もしこれを読んだあなたが、不安を感じる、恐怖に震えている、絶望の淵に立たされているのだとしたら、もっと言うなら、些細な言葉の端に敵意を感じてしまうくらい心に余裕がないとしたら、安全基地がほんのちょっと機能していないのかもしれません。

人それぞれ、何が安全になるのか違う。
その人でも、場所によって違う。
だからこそ、押し付けたくないし偽善にならないようにしたい。
ただ、安全だと思えることが本当に重要だと言うことを少しでも多くの人が知っていただけたら幸いです。


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