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「パレスチナ人などと呼ばれる人々は存在していなかった」に象徴されるパレスチナ人の悪夢

 ブラッド・ピット主演の『セブン』という映画を見たかたならキリスト教の聖書に由来する「七つの大罪seven deadly sins」という言葉をごぞんじだろう。
 人が犯す罪の中で最も重いとされるもので、「高慢 Pride」「物欲 Covetousness」「色欲 Lust」「憤怒 Anger」「貪欲 Gluttony」「嫉妬 
Envy」「怠惰 Sloth」の7つを指す。
しかしこれらだけでは説明がつかないほど罪深い殺戮が、今中東で繰り広げられている。
 パレスチナ紛争だ。
 10月7日のイスラム武装抵抗運動ハマスのイスラエルに対する大規模な奇襲攻撃をきっかけに報復と攻撃の連鎖が燃え上がった。双方の死者は日本時間18日の時点で4000人を超えている。
 なぜ彼らは殺しあわねばならないのか。パレスチナ問題と呼ばれるアラブとイスラエルの対立は根深い。
 ユダヤ王国滅亡(紀元前586年)後、長い歴史の中で世界に離散し迫害を受けてきたユダヤ人は、アメリカの後ろ盾て1948年に聖書にあるところの「約束の地 Promised Land」(現在のパレスチナ地方)にイスラエルを建国した。
 世界に離散したユダヤ人の民族国家建設を目指したシオン運動のスローガンは「国のない民へ、民のいない国を」だった。しかしそこは民のいない土地ではなかった。パレスチナ人と呼ばれるアラブ人の居住地であり、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が長年にわたって共存してきた地域だった。
 そこにユダヤ人だけの国を建国するなど無理筋だ。しかし第一次世界大戦中、英国は欧州のユダヤ資本の援助を得るためにユダヤ人の「ナショナルホーム」(国家の一歩手前の政治的存在)樹立を約束。その一方で、敵対するオスマン帝国からの独立を狙っていたアラブ民族を蜂起させるためにアラブの独立国家建設をも約束した。つまりイギリスは同じ土地をアラブとシオニストの両方に約束したのだ。
 ナショナルホームの約束を盾にユダヤ人がパレスチナに流れ込みパレスチナ人の反発が激しくなると英国は責任を放棄。じつは20世紀初めに英国は英国領だった東アフリカ(現在のケニアおよびウガンダ)の一部にユダヤ国家を作ろうとしたことがあったがユダヤ人の間で意見が分かれ実現しなかった。
 やがて主流派となった強硬路線を唱えるユダヤ民族主義者たちは、アメリカの後ろ盾で、1948年にパレスチナにイスラエルを建国する。これによってパレスチナに住んでいたアラブ住民の多くが故郷を追われ、難民として周辺アラブ諸国に離散してしまう。
 さまよえるユダヤ人の建国が、70万人のさまよえるパレスチナ人を生んだという歴史的悲劇である。
 国連は1947年にパレスチナと土地を分割する決議を採択したが、全人口の31%しか占めていないユダヤ人に全土の57%を割り当てるという露骨なイスラエル寄りだったため、反対する周辺のアラブ諸国を巻き込んで4度も中東戦争が勃発。未だに解決に至っていない。
 無理筋だったユダヤ人国家建設というシオニストの夢が実現した裏には、大統領選を前にしたトルーマン米大統領が国内のユダヤ人に支持を得るためにイスラエル建国を強く後押ししたことがあった。
 それにしてもなぜ今、パレスチナ難民220万人が住むガザ地区を支配するハマスが同胞の犠牲者が多数でることを知りながら地域の最強国家イスラエルに対して奇襲攻撃を仕掛けたのか。イスラエルの宿敵イランの支援があったことは想像に難くない。イランの最高指導者ハメネイ師は「攻撃を計画した者たちの手に接吻する」と発言したくらいだ。
 しかし、ハマスの政治指導者ムサ・アブ・マルズークが米『ザ・ニューヨーカー』誌に語った答えは「絶望感」だった。近年、イランの台頭に危機感を深めたアラブ諸国がイスラエルとの関係改善を模索する流れの中で、パレスチナ人は孤独感に苛まれているのだ。国際社会はパレスチナ人を見捨てるのか。
 「我々は世界中の国々にイスラエルの非情な占領政策を止め、パレスチナ人の独立を認めるよう呼び掛けてきた。しかし状況は悪くなるばかりだ。・・・我々はいまだに(イスラエルの)占領下にある」と、アブ・マルズークは怒りを隠さない。
 その言葉通り、地中海に面した淡路島ほどの面積しかないガザ地区はイスラエルの強硬な封じ込めで「天井なき巨大な監獄」と化している。
 一方、強硬派で知られるイスラエルのネタニアフ首相はこの時とばかりに「ハマスを皆殺しにする」と宣言。大規模な報復攻撃を開始した。じつはネタニアフは裏でハマスを利用して敵視するパレスチナ自治政府を潰すそうとしたこともある狡猾な「政治の手品師」だ。
 今回のハマスの攻撃を察知できなかったのは大失態だが、強硬策をとれば彼自身が汚職まみれで起訴されていることを国民の目から逸らし、権力を掌握するチャンスだと考えていても不思議はない。
 国際政治学者で中東情勢に詳しい高橋和夫「シオニズムを裏返すとナチズムになる」と著書で指摘している。「ユダヤ人をドイツ社会から排除するというナチスの発想は、ユダヤ人を集めてユダヤ人だけの国を打ち立てようというシオニズムの目標と相通ずるものがあった」という。
 イスラエルの女性初の首相で強硬派だった故ゴルダ・メイヤが1969年に発した「パレスチナなどと呼ばれる人々は存在していなかった」という言葉は象徴的だ。
 今回は世界各地ではパレスチナを支持するデモも広がっている。ハマスが存在感を強めるのか、それとも殲滅されてしまうのか。その答えが出るのは数か月先になるだろう。
 中東は地政学上の要衝で、石油というエネルギー資源が偏在しているがゆえに常に大国の思惑に翻弄されてきた。地域での宗教対立とその裏にある経済利権や覇権争いに加えて、米国、ロシア、中国の動きが絡みあっている。
今回のハマスの攻撃とイスラエルの反撃で、バイデン米政権が画策していたイスラエルとアラブの関係を改善させイラン包囲網を構築するという水面下の作戦は頓挫した。
 一方、ロシアはイランとの関係を維持しつつ中東地域でも軍事的プレゼンスを高めている。世界のメディアの関心がウクライナ戦争からパレスチナ紛争に移ったのはプーチン大統領にとって悪いニュースではあるまい。
 中国も今回の出来事をテコに中東地域での影響力を拡大させようとしている。その証拠に奇襲攻撃後、中国政府は声明でパレスチナの独立を支持し、暴力は否定したがハマスを名指しで批判しなかった。中国の中東問題担当特使翟隽(ザイ・ジュン)はエジプトと共にイスラエルとパレスチナの和平合意を仲介したいとまで発言している。
 すでに3月に習近平国家主席はサウジアラビアとイランの外交正常化を仲介して世界を驚かせ、6月にはパレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長を北京に招待してパレスチナ和平に積極的に関与する姿勢を示していた。
近年、イスラエルに対してもインフラ投資を進めているところがなかなか中国のしたたかなところだ。対立する米国を牽制していることは明らかだ。
中東は世界の火薬庫であると同時に地政学的綱引きの現場でもある。
                        (写真は毎日新聞)
 
 

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