見出し画像

その時、僕は市街戦の中にいた(2)

「あれは何だ。黒い煙りが上がっているぞ!」その日の夕方、修道院から最高会議ビルへ向かう途中で緊張が走った。大掛かりな反政府デモに遭遇したのだ。
 
 モスクワ市内を走る幹線道路のひとつサドーヴォエ環状道路を数千人のデモ隊が鉄板や財もうで築いたバリケードで数百メートルに渡って占拠し、武装した警官隊と睨み合っていた。燃え上がる古タイヤや材木から黒煙が立ち上る現場でデモに参加している市民に話しを聞くと、その場所では当日ロックコンサートが開かれる予定だったのだが反政府集会になり、警官隊と衝突したということだった。

 「エリツィンは無能で大酒飲みだ!」ヒステリックにそう叫ぶ老人の声に事態は決して良い方向に進んでいない事を直感した。睨み合いは結局同夜の9時頃にデモ隊が解散するまで続いた。

 この騒ぎのため、最高会議ビル周辺の警備はさらに厳重になった。それでもなんとかビルに近づこうとしたのだが、警備主任と思われる制服の男からは取り付くシマのない「ニエット(だめだ)」の返事が酒臭い息で返ってくるだけだった。

 午前中なら比較的入りやすいという情報を信じ、翌朝、つまり10月3日日曜日、再び最高会議ビル潜入に挑戦。ロシアの記者証を持たない我々だったが入国ビザとパスポートを店ながら3重のチェックポイントを通り抜け、目指す最高会議ビルの敷地に入ることが出来た。ネズミ一匹通さない前日の警備から比べるとかなりズサンなのがロシア的といえばロシア的なのだろう。

 まず目についたのは、議会はを支援する市民たちがビルの周りにテントを張って自炊している姿だった。「私たちは議会を守るためどこまでも闘うはよ」恰幅のいいおばさんがスープを温めながらまくしたてた。

 話しを聞いているとどうも一般市民というよりは旧ソ連を懐かしむ共産主義者の響きだ。そして彼らの周りを遠巻きに政府の治安部隊や警察が封鎖していた。立て籠もっているひとりが拡声器を使って演説を始めると、内務省の装甲車が鼓膜が破れるような大きな音で軍歌を鳴らして妨害するいう悲劇を通り越して喜劇的な場面もあった。

 ビルの中は薄暗く、床のあちらこちらに毛布やベッドがわりの担架が老いてあった。なによりも驚かされたのはかなりの数の女性そして子供の姿があったことだ。ビル内の雰囲気はおもったほど緊張しておらず、3階では調停にあたっていたロシア正教によってミサまでが整然と行なわれていた。

 しばらくして私の目の前に現れたルツコイ副大統領はきちんとネクタイを締め、とても10日も籠城しているとは思えなかった。さらに驚かされたのはルツコイの口から吐き出されたエリツィンに対する剥き出しの敵意。「大統領はただちに撤回せよ。エリツィンは辞任せよ」

 何かに取り憑かれたようにロシア語でまくしたてるルツコイを見ていると、修道院で行なわれていた交渉が全く無意味に思われ、ロシア政府が最高会議ビルを奪還するためには強硬策しかないのではと不安に感じた。

 その午後、誰も予期していなかった事が起きた。エリツィン大統領による議会解散令に反発する保守系市民1万人以上が警察と内務省軍の阻止線を突破して封鎖されていた最高会議ビルの構内になだれ込んだのだ。私が午前中にみた厳重に封鎖されたビルは午後には一変し、構内は歓喜の人波で溢れ、まるでお祭り騒ぎになった。

 旧ソ連の旗を振るヒト、アコーディオンを奏でる市民。その場に駆けつけた私はいったい何が起きたのかすぐには理解できなかった。あんなに沢山いた警備陣はどこへ消えてしまったのか。

 「立ち上がれ! 市庁舎を攻撃せよ!テレビ局を占拠せよ!」最高会議ビル前に集まった群衆にルツコイは拡声器で呼びかけた。興奮した群衆にもみくちゃにされながら周りを見回した私の目に留まったのは武装した軍服姿の一団。内務省軍の一部が議会側に寝返ったように見えた。

 そして彼らを先頭にして群衆は政府側のトラックや装甲車を奪い、隣のモスクワ庁舎ビルへとなだれ込んだ。すぐに銃声が鳴り響いたが、群衆の勢いは止まらなかった。目の前を血だらけの負傷者が1人、2人と担ぎ出された。

  私は同行したロシア人カメラマンに何があってもカメラを止めるなと指示して銃声のする方向へと走った。ジャーナリストとは因果な商売でこんな時には半ば本能的に危険な場所へと進んでしまう。

 市庁舎の前に出た私たちの周りで突然パパパパというおびただしい銃声が鳴り響いた。銃声は周りのビルに反響してどこから発砲しているのか見当がつかない。適当な隠れ場所もなく、とにかく道路に伏せた私の頭に一瞬浮かんだのは東京に残した家族の姿だった。ここで流れ弾に一発当たればおしまいだ、と思った。

 そういう瞬間は不思議なことに自分の周りで起きていることが全てスローモーションで動いているように感じた。もう少しオーバーにいうと「時が止まったような」感じだ。気を取り直してカメラの前で腹這いになりながら現場の状況をリポートした。市庁舎から慌てて逃げる警備の機動隊の姿が見えた。

 結果としてこれが「迫真のリポート」として評価されたのだが、私としてはなによりも「助かってよかった」というのが正直な感想だった。冷静になって思いだしてみると、私が地面に這いつくばっているときに遠巻きにしていた沢山のモスクワ市民はまるで銃撃戦をまるで劇をみる観客のように眺めていたのだ。

 いったい誰が集まった群衆を先導あるいは扇動して最高会議ビルに突入させたのか。(続く)

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?