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卵3個が1000億ドル!

 わずか卵3個買うのになんと1000億ドル! 
 金や宝石で煌びやかに飾られたファベルジェではありません。割ると黄身がとろりと流れ出てくる普通の生卵のことです。それだけではありません。

 パン、バター、肉、紅茶などあらゆる商品が軒並み高。公務員の月給すべて費やしてもトイレットペーパーが10個しか手に入らない。買い物にはボストンバッグ一杯にお札を詰め込んで行っても足らない。なにしろインフレ率が2,000,000%を超えているのですから。いわゆるハイパー/インフレーションです。

 そんな馬鹿なことがあるはずがないと思われるかもしれません。しかし、これはアフリカ南部のジンバブエ共和国で2000年代初めに実際に起きた出来事です。

 ジンバブエはかつてローデシアと呼ばれ、白人中心の人種差別政策で国際的な批判を浴びていました。しかし、その頃は経済的にはアフリカの中で最も豊かな農業国だったのです。

 ところがローデシア紛争後、1980年にジンバブエ共和国が成立し、87年に黒人解放運動の指導者ロバート・ムガベが大統領に就任してからは状況が一変しました。白人が所有していた大農場を強制収用する政策がとられたため富裕層が一斉に海外へ脱出。それとともに白人が持っていた農業技術も失われ食糧危機が発生してしまったのです。

 さらに、ムガベ政権はダイヤモンドなどの地下資源を狙って隣国コンゴへ派兵し、毎日1億円を超えるお金を戦費に浪費したため、経済は大混乱に陥ってしまいました。その結果が、お札が紙くずのような価値しかなくなるハイパーインフレでした。

 分厚い札束を持って歩くわけにもいかないので、1000億ジンバブエドル札が発行されました。しかしその超高額紙幣で買えたのはわずか卵3個だったのです。あまりにゼロが多いので、100億Zドル札を1Zドルにデノミ(通貨単位の変更)する政策を発表しましたが、焼け石に水。国民生活は困窮し治安も悪化の一途を辿りました。

 ところが独裁者となったムガベ大統領はそんなことはどこ吹く風。ひたすら私腹を肥やし、妻も海外で不動産や高級ブランド品を買い漁っていました。身の安全を守るため警備兵だけには破格の給料を支払っていたそうです。2015年にはとうとう自国通貨を廃止し、その代わりに米ドルが使われるようになりました。

 2017年、ついに軍が蜂起して37年間続いた独裁政権は崩壊しましたが、庶民の喜びはつかの間でした。なぜなら経済の混乱が続き、今も財政難で失業率も高く、国民の暮らしは厳しくなるばかりだからです。「ムガベ時代のほうかましだった」という声さえ聞こえてきます。

 やはり、資本主義経済で最も恐ろしいのはインフレです。一度、インフレが勢いづくとコントロールが利かなくなり、もう誰にも止められないというのが経済学の常識です。日本ではデフレ、デフレと大騒ぎですが、お金の価値が暴落するハイパーインフレほど怖いものはありません。

 歴史を振り返ればそのことがよくわかります。例えば、第一次世界大戦直後に各国で起きた激しいインフレでは、1913年から7年の間に、英国で3倍、フランスで5倍、イタリアで6倍、ドイツで15倍も物価が跳ね上がりました。

 しかしそんな数字は序の口。第二次世界大戦後のハンガリーでは16年間のインフレで貨幣価値が1垓(がい)3000京分の1になったことがあります。まさに天文学的数字です。なにしろ1垓は1京の1万倍、1京は1兆の1万倍なのですから。このとき発行された10垓ペンゲー札は歴史上最高額紙幣としてギネスブックに記録されています。

 こうした苦い経験から、財政や金利政策によってインフレを抑制することが近代経済学の最大の仕事となったのです。昨今、デフレが続く日本では、調整インフレとかインフレターゲット論とか人工的にインフレを起こして景気を押し上げようという話しが続いていますが、私はとても危なっかしい考え方だと思っています。

 もうお分かりのように、ひとたびインフレ・スパイラルが起きるとコントロール出来なくなる恐れがあるからです。順調な経済成長は多くの場合物価の上昇と共に起きているますが、逆は必ずしも真ではありません。インフレ待望論者は、石油ショックのときにトイレットペーパーや洗剤を求めて走り回った庶民の姿をあらためて思い出すべきでしょう。

 ちなみに私は記念に今は通用しない100兆Zドル札(!)を持っています。


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