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史上最大の選挙の年に何が起きているのか

 世界史上最大の選挙の年に何が起きているのか
 
 史上最大の選挙の年と言われる今年、反エリート感情を煽って大衆を扇動する右翼ポピュリズムと国家主義の波が世界を混乱に陥れようとしている。
 
 2020年、虚言、暴言、妄言で世界を混乱に陥れた前大統領ドナルド・トランプがバイデン大統領に敗れた時は、世界中の多くの人々が安堵のため息をついた。傍若無人なトランプ大統領の出現や英国のEU離脱に象徴されたような危険なポピュリズム政治の勢いが衰えたかに見えたからだ。
 
 しかし、現実は違った。ポピュリズムの勢いは止まらない。米国ではトランピズムの影が全米に色濃く残ったままで、11月の大統領選ではトランプ再選という悪夢の可能性が高まっている。
 
 南米アルゼンチンでは政治経験の乏しい極右の経済学者ハビエル・ミレイが物価高に対する国民の怒りを煽って昨年11月末大統領に選ばれた。4月から5月にかけて行われる人口世界一のインドの総選挙では、より民族主義になり独裁色を強めるモデイ首相が3期目を目指している。
 
 欧州に目を向けると、6月の欧州議会を含め9つの議会選挙が行われる。すでに昨年11月末のオランダの総選挙で反移民、反イスラムを訴えるヘルト・ウィルダース党首の極右政党が予想外の大勝をおさめ、第一党に躍進し、欧州を震撼させた。

 批判記者暗殺関与疑惑で辞任した極右のポピュリスト(大衆迎合主義者)ロベルト・フィツォはスロバキア首相に返り咲いている。フィンランドやスウェーデンでも極右政党が連立政権を支えており、戦後「反ナチス」を国是としていたオーストリアでも極右勢力の躍進が目立つ。
 
 フランスやドイツでも右翼政党が勢いづいている。イタリア初の女性首相ジョルジャ・メローニに至っては同国の独裁者だったデニート・ムッソリーニを称賛して物議をかもしているくらいだ。
 
 彼らの主張に差異はあるが総じて、EU懐疑主義、自国第一主義、反移民・難民、反イスラム、反気候変動政策、親ロシア、ウクライナ支援反対である。
 
「世界は野蛮(バーバリズム)化している」フランスの国際政治学者テレーズデルペシュがそう警鐘を鳴らしたのは2005年のことだった。あれから20年近くが過ぎた。人々は彼の言葉に耳を貸さず、冷戦終結後から不ぞろいの積み木を30年近くかけて積み上げてきた国際協調体制とグローバリズムを崩壊させてしまったのだ。
 
 今や世界は民主主義国家vs専制主義国家の二極化の様相を呈し、グローバリズムによって著しく拡大した貧富の差に対する民衆の怒りが世界各地でナショナリズムと独裁的リーダーたちの台頭を許している。
 
 3月の大統領選で再選確実のロシアのプーチン大統領、中国の習近平主席、北朝鮮の金正恩最高指導者、トルコのエルドアン大統領、イランのハメネイ最高指導者などはその代表的な存在だろう。国際政治で失敗を繰り返して自信を喪失してしまった超大国アメリカでもデマゴーグのトランプ前大統領がカネと脅しで共和党を乗っ取り、なりふり構わず大統領再選を目指している。
 
 それにしても世界にはどのくらい独裁国家があるのだろうか。英エコノミスト誌の2024年版「民主主義指数」によると、イラン、ウガンダ、スーダン、キューバ、サウジアラビア、シリア、中国、ロシアを含むなんと59カ国もが地球上に存在しているという。人口でみると、世界の3分の1以上の人々が独裁政権下で暮らしているのだ。しかも物騒なことに核武装している独裁国もある。
 
 現在の核兵器保有国は、ストックホルム研究所によると、アメリカ(核兵器数5,428)、ロシア(5977)、イギリス(225)、フランス(290)、中国(350)の5大国に加えて核拡散防止条約を批准していないインド(160)、パキスタン(165)、イスラエル(90)、北朝鮮(20)だ。
 
 幸いなことにこれまで核戦争は一度も起きていない。第2次世界大戦末期に米軍が広島と長崎に核爆弾を落とした以外、核兵器は使用されていないのだ。核の破壊力と放射能の恐怖に世界が慄き、独裁者といえども各ボタンを押せないからである。
 
 1962年のキューバ危機では、キューバに配備されたソ連の核ミサイルを巡ってアメリカとソ連の間で核戦争前夜というまで緊張が高まったが、結局双方が妥協するかたちで危機は回避されている。人類消滅に繋がりかねない核兵器は「使えない兵器」、つまり抑止力と考えられるようになったからだ。
 
 ところが恐ろしいことに、今では技術進歩で小型化・高性能化が進み限定的に使える核兵器が存在している。ウクライナ戦争でロシアのプーチン大統領が窮地に追い込まれれば使用に踏み込むのではないかと恐れられているいわゆる戦術核兵器だ。500キロ以下と射距離が短く、戦場単位で通常兵器の延長線上での使用を想定した核兵器で威力も限定されている。米国の約150発に対してロシアは1800発前後保有している。
 
 冷徹な謀略家であるプーチンと米韓軍事演習の度にミサイルを打上げて威嚇している金正恩のどちらが誤った判断を下す可能性が高いのだろうか。威嚇の応酬が人類の滅亡を暗示するスタンリー・キューブリック監督の核戦争映画『博士の異常な愛情』(1964年)を彷彿とさせる。
 
 そういえば、グレゴリー・ペックが主演した映画に『渚にて(On The Beach)』(1959年)というのがあった。ロマンチックなタイトルとは裏腹に第3世界大戦すなわち核戦争が勃発し、世界中に放射能汚染が広がり人類が滅亡してしまう物語だ。
 
 当時の時代背景を反映して、戦争のきっかけは中国の台湾封鎖だった。英小説家ネビル・シュートの原作ではアルバニアによるナポリ爆撃をきっかけにエジプト軍のソ連製爆撃機によるワシントンとロンドンへの爆撃から世界戦争が始まっている。
 
 第一次、第二次世界大戦を振り返ればわかるように、世界戦争は地域紛争と国家指導者の支配欲が相まって連鎖的に拡大して起きる。ウクライナ戦争やイスラエル・ハマス戦争がそんな切っ掛けにならないことを願うばかりだ。そして米国民がトランプを再び大統領に選ぶような愚かな選択をしないことを祈る。
 
 果たして世界は国際協調の時代に再び戻れるのだろうか。それとも地政学重鎮ヘンリー・キッシンジャーが言っていたように「人間は悲劇の不可避性とともに生きていかなければならないのだろうか。今年の世界での選挙結果からその答えが見えてくるかもしれない。

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