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金儲けでしか無かった経営を学問にした男

 とにかく凄いお爺さんでした。

 95歳でこの世を去る直前まですこぶる元気で、まだ世界を語り、若者を教えていました。眼光は鋭くその頭脳がマッハのスピードで回転していたのです。

 老人の名はピーター・ドラッカー。日本では知らない人がいない経営学の神様、哲人、そして自己啓発祖祖です。社会学者でありながら50年代初頭にコンピュータ技術がビジネスを変えることをいち早く予測し、61年には日本の経済的台頭を予言していました。その視野は驚くほど広かった。

 金儲けでしかなかった経営をMBAと呼ばれる学問のレベルにまで高めたのもこの翁でした。民営化や知的労働者(knowledge workers)というコンセプトも生み出した。まさに同時代を生きた知的巨人でした。

 私が初めてドラッカーと会ったのは1972年、まだ世の中のこと、特に経営などまったく興味はなかった大学生の頃でした。だが「断絶の時代の経営者」という講演を聴いて、その力強い話し振りと明快な論理・分析に刺激を受けた覚えがあります。

 彼が60歳の時に出版した『断絶の時代 (The Age of Discontinuity』は国際的ベストセラーになりました。当時の英国首相マーガレット・サッチャーはこの本をもとに民営化を推し進めたといわれているくらいです。一方、へそ曲がりだった米国のニクソン大統領はドラッカー理反駁反駁して失敗したといわれています。

 晩年のドラッカーは、ほとんどの人が雇用、負債、国際化、景気後退について誤った認識を持っていると話していました。例えば、米国の失業問題や負債は景気後退によりも構造的変革の過渡期の現象であるし、米国の経済的一国支配の時代はすでに終焉を迎えたと説いていました。

 経済のグローバル化は必然で、その中でもインドの知的産業の台頭が目覚しいとも指摘。かつて私もインドのシリコンバレーと呼ばれる中部都市バンガロールを取材しましたが、まさに同感でした。

 気がつけば私の本棚にはドラッカーの著作がずらりと並んでいます。名言集は今読んでも機知に富んでいて、新鮮です。例えば、「会議をするか、仕事をするか。両方を一度にやることは出来ない (For one either works or meets. One cannot do both at the same time)」(『経営者の条件』1966年)は、まるで会議好きな日本のビジネスマンを皮肉っているようで痛快です。

 日本ではいわゆる団塊世代の大量退職は2007年から始まりましたが、90歳を超えても知的好奇心と洞察力を失わなかったドラッカーを見習えば、心配する必要はありません。彼が米国経済誌の表紙を飾ったときのタイトルは「STILL THE YOUNGEST MIND(まだ気持ちは一番若い)」でしたから。

                          (写真はdrucker.diamond.co.jp)


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