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「化けもの」たちは何処へ行ったのか

 河童、天狗、麒麟、鵺(ヌエ)など、かつての日本人にとって「化けもの」は人々の心の中に実際に存在した生き物であり、文化でした。今では空想と伝承の中に封じ込められていますが、私たちの祖先はそんな大小のモンスターたちと共に暮らしていたと思うとちょっと羨ましいですね。

 今見ると、怖いというよりユーモラスな妖怪たちも多い。

 ずいぶん前のことですが、私が会員である生き物文化誌学会の主催でそんな伝説の「化けもの」をテーマに国立科学博物館でシンポジウムと展示を開催したことがありました。驚くほどの大好評でした。なにしろお話は面白いし、全国各地に古来から伝わる人魚のミイラなどまでありましたから。

 シンポジウムで登壇していただいたのは、国立科学博物館主任研究員(当時)の鈴木一義さん、兵庫県歴史博物館学芸員(当時)の香川雅信さん、そして化け物を語らせたら止まらない作家で妖怪評論家の荒俣宏さん。日本の伝承にはじつに多種多様な物の怪がいるものだとほんとうに関心しました。

 しかし、恥ずかしながら若き日に画家を目指したことがある私がいちばん目を奪われたのは、女性の幽霊の姿が描かれていた1枚の日本画でした。日本画の魅力は、なんといっても端正な筆使いの中に隠された深みだと思っていましたが、「化けもの」の展示だけになんともおどろおどろしい。

 後日手に入れた画集を見て、現代日本画の新世界に思わず引き込まれてしまいました。松井冬子さんの作品集です。内臓が飛び出た死体や口から胎児を吐き出している女性など題材の中には一瞬気味が悪いと感じるものもありましたが、なぜか美しい。危うい幽玄の世界が見事に描かれている。

 1974年、静岡県森町で生まれた松井さんは、女子美術短期大学卒業後、4浪までして東京芸術大学に進み、同大学院で博士号を取得している容姿端麗な画家です。(といっても私は写真を拝見しただけで、直接お会いしたことはありませんが)。

 小学3年生の時に図書館に飾られていた「モナリザ」の複製画を見て絵画の世界に目覚めたそうです。「どこの立っていても見つめられているようで。絵って生きている」と感じたと新聞社とのインタビューで語っています。

 図書館で漫画ばかり読んでいた私とは雲泥の差。もともとは油絵専攻でしたが、精密な筆遣いとデッサンに集中できる日本画に転向したとのこと。作品を見た大半の男性たちは「どうして松井さんのような美女がこんなグロテスクな絵を描くのだろう」という疑問を持ったことでしょう。

 松井さん自身は男性が観てもわかるように描いているつもりだそうですが、基本的には同調してくれる女性に向けて制作しているようにも見えました。冒頭で紹介した日本の「化けもの」と同一視するつもりは毛頭ありませんが、人間の恐れや情念から生まれ出た芸術作品という点では共通点があるように思えました。

 かつて日本の化け物たちはじつに自由に人間と共生していて、我々人間のの想像力を高めていたに違いありません。それに比べて、現代人は日々の仕事や金儲けに追われてばかりで「化けもの」を蘇らせる心の余裕すらありません。そんな今だからこそ、奔放な姿の「化けもの」たちと出会って自由な発想やクリエイティビティを再発見するのもいいかもしれません。

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