見出し画像

ルビコン川を渡ったプーチンが考えていることとは

「(ロシアの)プーチンがついにルビコン川を渡った」
米国のニュースウェブサイトAXIOSのマイク・アレン記者はそう書いた。

現地時間21日夜(日本時間22日未明)、ロシアのプーチン大統領は1時間に及んだテレビ演説で、親ロシア派武装勢力が実効支配するウクライナ東部(ドンバス地方)の2地域の独立を一方的に承認し、ロシア軍を「平和維持」のために派遣するよう国防省に指示したからだ。

しかし、「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」を自称して2014年に勝手に独立を宣言した分離主義勢力がそれらの地域を完全支配しているわけではない。国際社会も承認していない。だから今回のロシアの一方的な承認はさらなる軍事侵攻への前触れとなる宣戦布告に等しい。

 まさに古代ローマのカエサル将軍が禁を破って軍を率いてルビコン川を渡りローマ内戦の火蓋が切って落とされたように、一線を越えたのだ。

 24日、ロシア軍は首都キエフや東部地域などにミサイルで容赦ない攻撃を開始、全面戦争に突入した。邪魔をすると核兵器も使うぞと脅した。兵士だけでなく民間人の死傷者も出ているがプーチンはそんなことは気にも留めていないようだ。

 慌てたウクライナ政府は戒厳令を敷いた。世界経済にも衝撃が広がり株価が急落、欧州通貨もロシアルーブルも下落した。逆にエネルギー危機が予測された原油価格は2014年以来初めて1バレル100ドルを超え,穀物価格も高騰した。

 日本のメディアでは詳細に報道されなかったが、じつはテレビ演説中のプーチンは鬼気迫るものがあった。

 「(米国は)我々を敵にする必要はなかった」と米欧の対決姿勢を厳しく批判するとともに、「歴史、文化、そして精神的空間(宗教)からもロシアの不可分な一部」であるウクライナを手放してしまったとして過去のソ連の指導者たちまでも糾弾した。彼自身が信じる国家観と歴史観で過去を操作するのもプーチンの得意技だ。

 ウクライナ人に対する恫喝も凄かった。
「お前たちは非共産化を求めているのか? いいだろう。ではなぜ中途半端で止めているのだ? ウクライナの非共産化が本当はどういうものか我々がみせてやる用意はできている」

 隠蔽と情報操作の天才というこれまでのクールなペルソナをかなぐり捨て、不敵な本性を垣間見せた瞬間だった。

 冷徹な戦略家で99%のロシア人より理性的といわれるプーチンも「偉大なるロシア復活」という幻想の中で冷静さを失ったのか。それとも計算し尽くされた瀬戸際戦術で西側を手玉に取って最後は勝利を収めようとしているのか。

 それに対して、バイデン米大統領はロシア大統領のとった行動は「侵攻のはじまりだ」として、同盟・友好国と準備している厳しい経済措置に加えて、金融制裁を科すことを表明。欧州連合(EU)も「国際法と(ウクライナ東部の紛争解決を目指す)ミンスク合意へのあからさまな違反だ」とプーチンを非難した。

 天然ガスの6割近くをロシアに依存するドイツは厳しい制裁には慎重だったが、ついに独ロ間の新しい天然ガスパイプライン(ノルドストリーム2)の認可手続きを停止する意向を明らかにした。

 だが、プーチンはそんな米欧の反発を当然予想しているはずだ。彼の狙いはどこにあるのか。おそらく、ロシアのパスポ-トを持つ住民が60万人以上というウクライナ西部を制圧するとともに、出来れば内乱に乗じて再び同国に親ロシア政権をつくることではないか。そうすれば、ウクライナを西側とロシアの数少ない緩衝地帯として引き続き維持できる。ロシア国内でも大統領としての威信も保てる。それにも拘わらず全面戦争を仕掛けたのはプーチンの被害妄想ともいえる歪められた歴史観によるものだろう。

 ウクライナにとっての不幸は、1991年のソ連邦崩壊後にNATOに加盟できなかたことだ。親ロシア派の巧みな世論操作で国民の6割が反対に回ったことやロシアの反発を恐れた欧州諸国がウクライナの加盟に消極的だったことが主な理由だった。核保有国を含む欧米の集団安全保障の枠組みの中に入っていれば、軍事大国ロシアといえどもそう簡単には手を出せなかった。

 旧ソ連の一部だったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)は厳しい条件をクリアしてNATOとEUの両方に加盟し、小国ながらロシアの影に怯えることなく西側の経済的恩恵を受けている。

 それとは対象的に、ウクライナは独立後ずっと続いている親欧米派と親ロシア派の対立、甚だしい政治腐敗、そして経済不振といった三重苦で、未だにNATOにもEUにも加盟できていない。

 あまりの悪政に業を煮やした国民は、2019年の大統領選で現職ポロシェンコを退陣させ、まったく政治経験のないコメディアンのウォロディミル・ゼレンスキーを選んだ。だが事態は好転せず、新政権が米国に急接近して経済支援と引き換えに軍事拠点を提供しようとしたためプーチンの怒りを買う結果となった。

 昨年夏の国民投票で8割近くが賛成した憲法改正によって2026年まで現職に留まることが可能になった”帝王“プーチンにとって、ウクライナのそんな親米政権は安全保障上の脅威に違いない。今が攻めどきと判断したのだろう。

 「プーチンはロシア語を喋る人はすべて彼を支持していると思っている。しかしそれは大きな過ちだ」 米国の駐ウクライナ大使だったウィリアム・テーラーはそう指摘している。

「偉大なるロシア復活」の幻想を抱くプーチンはウクライナ国民の心情など理解していない。彼の歴史観や国家観は冷戦時代のままだ。昨年7月にロシア大統領府の公式ウェブサイトに掲載された論文で彼は、ロシア、ウクライナ、ベラルーシは歴史的に共通の文化や言語、宗教をもつ「大ロシア、小ロシア、白ロシア」という不可分の兄弟国だと明言している。

 しかし現実には2014年のロシア軍によるクリミア半島併合を目の当たりにした大半のウクライナの人々は使用言語に関係なくプーチン大統領を嫌っている。

 1991年のソ連邦崩壊後、ウクライナ、ベラルーシをはじめ14カ国が独立し、2000年代にはかつてロシアの一部だったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)などが次々とEU(欧州連合)に加盟したのも、東欧諸国がそう望んだからだ。弱体化したロシアにはそれを食い止めることが出来なかった。

 カエサルはルビコン川を渡ってイタリア本土に侵攻し、紀元前44年の初頭に首都ローマと帝国全土を支配する事実上の王となった。しかし、いまや韓国程度の経済規模しかないロシアにはウクライナ全土を支配して面倒をみる経済的な余力はない。親米政権を転覆して親ロ政権を再び樹立し、隣国のベラルーシのようにするのだろう。

 ちなみに、KGBで訓練中にプーチンがロシア語訳された米ピッツバーグ大学教授ウィリアム・キングのテクストから学んだことがあるという。それは「不確実性に備えることは戦略の最も重要な要素」だということだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?