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ウクライナ大統領に迫る刺客とその黒幕

 まさに一瞬の出来事だった。覆面をした武装集団がビルの狭間から現れたと思ったら次の瞬間にその姿が闇に消えていたのだ。1993年モスクワ政変を取材していた際に偶然にそんな姿を間近で目撃したのだが、ロシアの特殊部隊スペスナズと聞かされ背筋に冷たいものが走った。

 ロシアのウクライナ侵攻を見ていて、ふとそんな記憶が蘇った。

 同国のゼレンスキー大統領を狙った暗殺未遂事件が今月に入って少なくとも3回あったと、英紙タイムズがウクライナ当局者や関係筋の話しとして伝えたからだ。

 暗殺を仕掛けたのはロシア軍の退役軍人で組織されている「ワグネル」の傭兵チームのほか、ロシア南部チェチェン共和国の独裁者でプーチンとも近いカディロフ首長配下の「特殊部隊」だったという。計画はいずれも阻止されたが、両グループに死者がでたようだ。

 先月末にはプーチン大統領が親交の深いエージェントを通してゼレンスキー大統領やウクライナ政府の要人23人を暗殺するためアフリカから精鋭傭兵部隊400人を雇い入れて首都キエフに送り込んだ、と同紙は伝えていた。どうもロシア情報機関に内通者がいるようだ。

 ロシアの暗殺の歴史は怪僧ラスプーチンが暗躍した帝政ロシア時代まで溯るが、現プーチン政権でも頻繁に起きている。ロシア当局はもちろん関与を否定している。だが、殺害されたのは野党指導者、反体制ジャーナリスト、政府を裏切った元スパイなどプーチンが敵視する人物ばかりだ。

 例えば2004年、チェチェン紛争を巡ってプーチン大統領を批判していたノーバヤ・ガゼータ紙のアンナ・ポリトコフスカヤ記者は、機内で提供された紅茶を飲んだあと意識不明になった。奇跡的に命を取り留めたが2年後の2006年10月7日、自宅アパートのエレベータ内で射殺体で発見された。奇しくもその日はプーチンの誕生日である。

 事件後、検察当局に証言をすることになっていたチェチェン特殊部隊元幹部も殺害され、金を渡したとされる黒幕は誰だったのか結局わからずじまいだ。

 おなじ2006年、ロシアの元スパイでその後反体制派活動家と転じたアレクサンドル・リトビネンコが亡命先のロンドンで殺害された。ロンドン市内のホテルのバーで飲んだ緑茶に猛毒の放射性物質ポロニウム210が混入されていたのだ。

 リトビネンコはロシアFSBの元職員だったが、上司から政商ベレゾフスキーの暗殺を指示されたことを記者会見で暴露。さらに自著で約300人が死亡したモスクワ高層アパート爆破事件はチェチェン武装勢力によるテロではなくチェチェン攻撃の口実をつくるための「プーチンとFSBの自作自演」だったとプーチン政権を厳しく批判していた。

 英国政府の調査報告書は、プーチン大統領の承認のもとロシア情報機関「連邦保安局」(FSB)が行なった可能性が高いとしている。

 2015年には、野党指導者ボリス・ネムツォフが、モスクワのクレムリン(大統領府)近くの橋の上で銃撃され殺害された。テレビに映し出された監視カメラの映像には私も釘付けになった。モスクワ橋の上を歩く人影(ネムツォフ)に除雪車がすぐ後ろから近づいていく様子が映されていた。除雪車の陰になって暗殺の瞬間は見えなかったが、その数秒後に何者かが除雪車から走り出し、後ろから来た車に飛び乗って逃げ去っている。実行犯は軍部とされたが背後関係は結局不明なままだ。

 さらには、2018年に英国の商業施設のベンチで元ロシア軍情報機関(GRU)大佐セルゲイ・スクリパリと娘ユリアが意識不明で発見されるという事件があった。英当局は、旧ソ連で開発された猛毒の神経剤「ノビチョク」が使われたと断定。スクリパリとその娘は命を取り留めたが、現場近くに放置されていたノビチョクが入った香水瓶に触れた英女性が死亡している。

 実行犯としてロシア軍参謀本部情報局(GRE)の将校ふたりが英当局によって特定された。犯行前日にスクリパリの自宅玄関ドアーに神経剤を仕込んだという。その後、3人目の犯人も特定されたが、いずれも出国済みでロシアは引き渡しに応じていない。

 この他にも2020年8月にロシアの弁護士で野党指導者のアレクセイ・ナワリヌイがモスクワに向かう機中で昏睡状態に陥った事件は記憶に新しい。離陸前の空港のカフェで飲んだお茶に毒を盛られていたのだ。

 治療に当ったロシアの医師団は彼の移送に難色を示していたが、国際的の批判の声が高まったため急転直下ドイツの病院への移送が許可された。その後、ドイツ政府はナワリヌイに対して神経剤ノビチョクによる毒殺が図られた「明確な証拠」があると発表している。

 しかしどうしてこうもバレバレの手口を何度も使うのか。しかも失敗しているし、背後関係も透けて見える。じつはその答えは暗殺の目的が殺害だけでなく「プーチン政権に刃向かう者や裏切り者はこうなるぞ」というみせしめの意味もあるからなのだ。

 事件からおよそ半年後、「何も恐れていない。自分に対する罪はでっち上げだ」と言ってロシア当局から詐欺罪で指名手配されていたナワリヌイはモスクワに戻った。空港に着いた彼を当局はすぐさま拘束。未だに釈放されていない。国際的な非難を覚悟のうえでプーチンは政敵の活動を封じたかったのだろう。

 ところが収監中にもかかわらず、ロシアのウクライナ侵攻に抗議する反戦デモを毎日、各都市の中心部で実施するよう呼びかけるメッセージを、協力者の力を借りて、インスタグラムに投稿している。プーチンを「狂った皇帝」と呼び、「我々は必ず彼を倒す。何も恐れることはない」と言う。

 だが、プーチン大統領はそうは思っていないようだ。

 「ナワリヌイの場合、彼がシベリアで死ぬことをプーチンが望んでいることは明らかだ」と匿名のEU(欧州連合)情報当局者はニュース専門ウェブサイト・ビジネス・インサイダーに語っている。プーチンは欧米の経済制裁に耐えられると確信しており、「それが変るまで、恐ろしいことに、彼は彼が死を望むすべてのロシア人を殺すことが出来る」というのだ。

 歴史を振り返れば、他国でも為政者による暗殺が幾度も繰り返されてきた。しかし、核とエネルギーの超大国ロシアの頂点に立つ人物が武力行使や暗殺に躊躇がないというのはあまりにも危うい。2020年末、プーチンは自らを含む大統領経験者とその家族が生涯にわたり刑事訴追から免責する法案にまで署名している。 

          (写真はUkrainian Presidential Press Service, ロイター)



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