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フィリピン大統選選は悪夢の再来

 歴史は繰り返すとはよく言ったものだ。

 9日に投開票されたフィリピンの大統領選挙で悪名高い独裁者だった故マルコス大統領の長男、フェルディナンド・マルコスJr.上院議員(64)が他候補に大差をつけて次期大統領に選ばれた。

 36年前におびただしい政治腐敗と残虐行為の果てに権力の座から国外追放されたマルコス一家が再び権力の頂点に蘇った瞬間だった。

 マルコス政権末期にアテネオ・デ・マニラ大学に留学していた私は、血塗られたマルコス「王朝」時代を覚えているだけに暗澹とした気持ちでそのニュースを聞いた。

 フィリピンでは民主主義による妥協の政治よりもカリスマ性のある強権的なリーダーが好まれる傾向がある。アクション映画俳優のジョセフ・エストラーダが大統領に選ばれたことや、麻薬撲滅のためなら法律無視で容疑者も殺す過激なロドリゴ・ドゥテルテ現大統領をみれば明らかだ。

 だが、マルコス一家の横暴ぶりは別格だった。

 1965年に48歳の若さで大統領に就任したマルコスSr.は、任期が終わる72年に権力を失うことを恐れて共産主義の脅威を名目に戒厳令を発令。独裁政権への道を開いた。議会を廃止し、国民の生命、自由、財産を保護する憲法も停止された。刃向かう者は軍や警察によって容赦なく拷問され殺害される暗黒時代の到来だった。後の政府調査では、2500人以上が死亡したという。

 人権は踏みにじられ多くの国民が貧困に喘いでいたが、マルコス一家だけは贅沢三昧を続けていた。イメルダ夫人が3000足以上の高級ブランド靴を所有していたのは有名だ。

 だが、事件は83年夏に起きた。国民に人気のあった野党リーダーのベニグノ・アキノが亡命先の米国から帰国したマニラ空港で兵士に射殺されたのだ。

 国民の怒りが燃え上がり、100万人を超える民衆が「ピープルパワー」を叫んで大統領官邸を包囲。慌てたマルコス一家は米軍機でハワイに逃亡し、20年にわたるマルコス「王朝」は崩壊した。その際に巨額の貴金属と現金を持ち出したことが分かっている。悪党は何処までも欲深い。マルコス夫妻は1億ドル以上をフィリピン政府から横領したとして米国で起訴されたが、なぜか請求は棄却された。

 そんな罪深いマルコスファミリーがなぜ復権できたのか。

 その背景には政治家を甘やかす土壌があった。89年にマルコスSr.が亡命先のハワイでイメルダ夫人に看取られながら死去すると、91年にフィリピン政府から家族の帰国が許されたのだ。通称「ボンボン」と呼ばれるマルコスJr.はさっそく海外口座に蓄財した資産とコネを使って政界に返り咲いた。地方議員から上院議員、そしてついに父親と同じ大統領へと階段を上り詰めたのである。

 姉のアイミーは上院議員に当選。母の「女帝」イメルダは帰国直後に脱税と贈収賄容疑で逮捕されたが無罪となり、92年の大統領選に出馬。敗れたのちに下院議員になった。今も92歳で健在だ。恐るべきファミリーである。

 マルコスJr.はオックスフォード大学に留学したが卒業出来ず、父親の日記には「のんきで、怠け者」と記されたほどで政治信条などのあやふやだ。そんな人物が大統領戦で勝てたには理由があった。

 ひとつは,マルコスJr.がソーシャルネットワークを利用して偽情報をばらまき、過去の父親の残虐行為や自身の悪行を巧みに覆い隠したことだ。フィリピンではSNS情報が信じられやすく、暗黒のマルコス政権時代が「黄金時代」にすり替えられてしまった。

 ふたつ目は、強権的だが民衆に人気のロドリゴ・ドゥテルテ現大統領の後ろ盾があったこと。マルコスJr.が副大統領に選んだのはドゥテルテの娘サラだ。さらには、反マルコス候補が9人も立候補して票が割れたことも彼に有利に働いた。

 ではこの選挙結果はフィリピン国民に何をもたらすのか。一言でいえば、民主主義の衰退と腐敗した「マルコス王朝」の復活だろう。2019年に公開されたドキュメンタリー「The Kingmaker」の中で帰国に関して“ボンボン”マルコスJr.は次のように語っていた、

「僕はエコノミークラスで帰らない。だっていつもファーストクラスでしか飛んでなかったから」

 先行きが思いやられる。
                        (写真はmainichi.jp)

 
 

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