『チェルシー・テラスへ道』
海外取材ではいろいろな楽しみがある。まず、なんといっても見知らぬところで見知らぬ人と出会い、思わぬ発見をすることだ。
私の場合、それは南米ペルーの大統領のときもあれば、ニューヨークの中国マフィアだったり、カンボジアの反政府ゲリラだったりする。ジャーナリストを生業としている人間にとってはもちろん最大の喜びだ。また、現地では取材の合間を縫って美術館や博物館を訪れたり、路地裏のお店で日本では口にできない料理を試すのもいい。
さらにもうひとつ、私にはささやかな楽しみがある。それは長旅の航空機内でペーパーバックの洋書を読むことだ。これにはふたつのメリットがある。ひとつは、ページをめくっているうちにいつの間にか物語の世界にのめり込んでいって退屈で窮屈な機内にいることを忘れてしまうことだ。
もうひとつは英語で読み進めていくたべ、目的地に着く頃には自然に頭が日本語から英語に切り替わっていることである。お陰で現地に着くやいなや多彩な英語表現が無理なく口をついて出てくる。これが思いのほか取材のときに役に立つのだ。
だから、持参する本はなるべく小難しい内容のものを避けて、ダイアログ(会話)が多く、ストーリー展開が飛びっきり面白いものにしている。作家でいえば、海洋冒険小説のクライブ・カスラー、業界内幕ドラマのアーサー・ヘイリー、医療スリラーのロビン・クック、サスペンス・ロマンスのシドニー・シェルダン、宗教ミステリーのダン・ブラウン、そして大河小説のジェフリー・アーチャーなど。
気がつけば我が家の本棚には、孤独な空の旅を共にした色とりどりの懐かしいペーパーバックがずらりと並んでいる。一回の往復でたいてい2冊か3冊は読み終えてしまうからだ。
幾度めかのロシア取材の際に退屈な時間を埋めてくれたのは、アーチャーの”As the Crow Flies"(邦題:チェルシーテラスへの道)だった。789ページと長編なのだが、豊かな歴史や人物描写と息もつかせぬストーリー展開で読む者を退屈させない。ベストセラーになったのも頷ける。
話しはロンドンの下町で極貧の野菜売りの家に生れた主人公チャーリー・トランパーが、苦難の末に高級百貨店業界の頂点に上り詰めるという出世物語である。チャーリーが世話になった祖父から譲り受けたのは、橫腹に「正直商人チャーリー・トランパー1828年創業」と書かれたボロボロの手押し車ひとつだった。
その手押し車で細々と野菜売りの商売を始めたチャーリーはじつは大きな夢を抱いていた。いつかは高級商店街チェルシー・テラスのすべてを自分のものにし、そこに世界最大の百貨店「トランパーズ」を建設することである。
しかし第一次世界大戦が勃発。チャーリーの前には生涯の敵となるガイ・トレンザム大尉とその母ミセス・トレンザムが現れる。夢の実現までには幾多の苦難と長い道のりを歩かなければならないことになるのだ。
原題の”As the Crow Flies"は直訳すれば「カラスが飛ぶように」だが、実際には慣用表現の「直線距離にすれば」という意味で、この物語の場所設定と関係がある。
主人公チャーリーが生れたロンドンのイーストエンドは第一次世界大戦前は貧しい労働者階級が住みついた犯罪と貧困の巣窟のようなところだった。それとは対象的にチェルシー・テラスがある西側のウエストエンドは瀟洒な邸宅と高級商店が建ち並ぶ裕福な地域で、直線距離にすればこのふたつの地域はわずか3キロほどしか離れていなかった。その3キロを歩むことに一生を費やした男の物語なのである。
子供の頃まともな教育を受けられなかったチャーリーは65歳のときに8年もかかって学士号を取っているのだが、物語の最後で知り合いの娘がロンドン大学で工学を専攻すると聞いた彼はこう言い放っている。
「そんなもんがなんの役に立つんだね」
フィクションの中のチャーリーが、思わず日本の起業家の草分けだった松下幸之助や本田宗一郎にダブってみえた。画一教育と学歴偏重社会の中で日本の若者がすっかり忘れてしまったのは「野望」を抱くことだなと感じながら眼下の景色に目を移すと、飛行機は小雪がちらつくモスクワのチェレメチェボ国際空港に向けて最終着陸態勢に入っていた。
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