見出し画像

「呪われた五輪」と言葉の重さ

 とうとう「呪われた五輪(cursed olymics)」とまで海外メディアに呼ばれるようになってしまいました。明日開幕する史上初「無観客」東京オリンピックのことです。

 東京都の新型コロナ感染が急拡大しているうえに、2月の森組織委員会会長の女性蔑視発言から始まった五輪関係者のスキャンダルによる辞任・解任ドミノに歯止めがかからないからです。

 すでに9人が辞任または解任されていますが、とりわけ私が気になったのは22日解任された開会式・閉会式演出担当の元お笑い芸人小林賢太郎氏のケースです。彼は芸人時代にナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)をコントのネタにしていました。しかも「ユダヤ人大虐殺ごっこ」とまるで遊びのような表現を使って。

 現在までに確認されただけでも110万人がナチスに殺害されたホロコーストは紛れもない人類の悲劇です。たとえ芸人時代のコントの中であってもそれをお笑いのネタにしたのは非常識の極みです。暗いナチスの歴史を知る方やエルサレム市内にあるホロコースト記念館を見学した方ならお分かりでしょう。

 オリ・パラ開会式の楽曲担当だった小山田圭吾氏の障害者に対する極めて卑劣な暴行告白なども発覚しています。いったい組織委員会はどんな基準でこうした不適切な人選を行なったのか。丸川担当大臣はもちろんのこと組織委員会トップは詳らかにする責任があります。

 「はじめに言葉ありき」というのは聖書(新訳・ヨハネにより福音書)の書き出しですが、私たちは言葉によって傷つけられ、騙され、励まされ、鍛えられます。テレビやインターネットなどを通じた情報が洪水のようにあふれ出ている今、その言葉の重みや真贋を見分けることがとても難しくなっているのです。

 油断していると陰の力によってマスコミも操作されてしまいます。情報操作を悪魔の芸術レベルまで体系化したのはご存じのようにアドルフ・ヒトラー総統が率いたナチス・ドイツでした。

 ヒトラーとナチスの宣伝相だったゲッペルスは大衆をバカと決めつけ、分かりやすい言葉で同じメッセージを繰り返せば世論を操作できると確信し、実行したのです。著書『我が闘争』でヒトラー自身が世論操作の手法を以下のように説明しています。

 宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は・・・最低級の者が分かる程度に調整すべきである。・・・大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいがその代わりに忘却力は大きい。この事実からすべて効果的な宣伝は、重点をうんと制限し、そしてこれをスローガンのように利用し、継続的に行なわれなければならない」

 管総理の「安心、安全」「先手、先手」という言葉もそのたぐいでしょう。

 テレビのない時代に、ヒトラーはラジオをつかって聴取者がナチズムに共感を覚えるように効果的に作りあげられた番組を放送し、ワグナーの音楽とともに反ユダヤ主義や反共産主義を浸透させました。

 これによってヒトラーに一元的に支配された集団は敵愾心に満ちあふれ、やがて人類の悲劇が現実となったのです。この手法はさらに洗練されて現代の広告表現として生き続けているのです。

 言葉は目的を間違えると悲惨な結末を迎えます。

           (写真はnews.yahoo.co.jp)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?