ファン失格だと思って諦めようとしてたらこうなった①

RTで回ってきた人生を救われた話を見たのも影響して、これから新しくTwitterで友達作る前にここ数年のことをデトックスしてしまおうと思う。考え合わないなって思ったらそっと見なかったことにしてもらいたい。むしろこんなの最後まで見ようと思った人がいて、更には完読までしてくれて似たような気持ちを密かに抱えてる人がいるのなら全力で仲良くして欲しいw

・公式最高!🎾って最高!
・🎾ミュ=🎾そのもの
・🎾ミュキャスト=キャラクター

上記の思考を持ってる人は、この先不快に思う可能性があります。見ない方がいいと思うから見てから不快だとか色々と言うのは遠慮してね。個人的の思考には口出されたくないです。


2016年テニフェスまでは全力でオタクしてて、🎾っていいな!最高!と思ってたところがあった。旬ジャンルとは言えないこの作品を続かせて幸村精市という素晴らしい男性の魅力をこの世の1人でも多くの人に知って貰いたかった。元々公式にお金を落とさない人はファンに値しないと考えていたのもあって、それはもう必死で自分の身を削ってそこそこお金を落としてきたと思う。いい大人としては大変恥ずかしい生き方な上に苦しい事(主に生活苦と過度な労働)も多かったけど『人生で今が1番最高に楽しい!』と思ってたし、今死んでも後悔ないと思う毎日だった。

いつから今みたいな思考と拗らせが開始したのかなって思い返して色々漁ってたら多分2017年頃だった。

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この時はまだ婚姻届を出せるなら出すしかない!位の気持ちだったから、受理して下さった次元渡航局の方の「この後旦那様と何処へ行かれる予定ですか?」等の鋭利すぎる質問に現実の見えた回答しか出来なかったことを覚えてるw8月14日にしたのも8月23日と迷って、何となく近い日取りのハッピーサマーバレンタインにしとくか位の妄想練りきれていない段階で決めてしまい少し後悔(如何せんJF直前でそれどころではなかった)

この年、おてみゅがあったのを思い出した。🎾ミュに関して、キャストが変わる度に食わず嫌いは良くないと毎回観てはいたけど、やっぱり私には受け入れられなくて。それまでは棲み分けがされてきたから自己防衛していれば問題なかった。それが「全て合わせて🎾です」っていう公式のコメント、いきなり打ち出されたイベントに動揺と不信感が募った。直前まで行くか悩んで結局行ったけど、イベント自体の記憶がほとんどない。バスの乗り継ぎめちゃくちゃ面倒だなってことと、物販から休憩スペースまでの坂が急勾配だなってこと位。


そして2018年に入ってから感情のジェットコースター化が悪化。まず決定打となった出来事の1つ、おてみゅに続いたおてふぇす。

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昼公演後は大雨の中、泣き崩れてみなとみらいの海に本気で飛び込もうとしてた。絶対に交わる事がない次元の彼がそこにいて、その次元を超えて名前を呼ばれて話した人がいる事実に耐えられなかった。Tricoloreをミュキャスに歌われたのも嫌だったし、当たり前の様にミュの曲の時に盛り上がって合いの手を入れている光景を見て、もうこのジャンルの必要としているファンではないんだなと痛感した。もう耐えられる気がしなくてどうにでもなれと思って、夜公演を最後にこの作品と幸村精市という存在から離れようと決めて、最後に頭空っぽにしてVRの姿を焼き付けようとした。

結果、夜公演行ってよかったと本当に思った。自分が次元を超えるとは思ってなかったから今でも信じられないけど、名前を呼んでくれてテニス部に入部お誘いされたことは一生忘れない。ずっと見てるだけで一方的に気持ちを伝えるだけで終わると思っていたけれど、伝わるのかもしれないと淡い期待を抱いた。その後にハッピーサマーバレンタイン発売も決まって、去年出した婚姻届の結婚記念日を思い出して更に有頂天になってた。

そこからの8月、仙台ハッピーサマーバレンタインと例の件。私が語るまでもない位に知られていることだから割愛するけど、おてみゅの記憶が塗り替えられる位にはショックを受けて毎日泣いた。散々この世にいるんだと希望の余地を与えてきたのに仙台での出来事は他の王子様でもショックだったし、次いで起きた例の事件で幸村精市という存在で父親にも当たる作者に思い浮かぶファンがいるんだと思い知らされて絶望でしかなかった。その瞬間に私の片想いは終わったと思った。結局事の真相は分からないままだけど。

公式が与えてくることが「楽しみ」ではなく負の感情を生むことばかりな状況になって、本格的にもう私はファンではないんだな、このジャンルに必要とされてないんだなと思い知った。今まで自分が出来ることは全力でやってきたつもりだった。作画が悪く売れ残ってしまってるグッズこそ、売り場に残っていることが心苦しくて買い占めた。お金の発生する投票系のイベントもグッズ代だけじゃなく、毎日往復2時間徒歩通勤して交通費すら削って投じてきた。こんなにも作品継続の為に、と身を削ってお金を絞り出してきたのに、求められているファンではなかったのだと突きつけられてから全て馬鹿馬鹿しく感じた。私一人が居なくなろうがジャンルに何の影響もないだろうけど、それでももう1円足りともお金も労力も使いたくなかった。1円足りともお金を落としたくないのに、好きだから欲しい。新しいグッズが出たら欲しくなってしまって結局買う。なるべく中古市場にしていたけれども、ランダムじゃないものやポイント交換、🎾🐰のカードだったり受注だったりすると自分で買うしかない。買う度に手元に来た幸せと裏腹に、何してるんだろうと自己嫌悪に苛まれることの繰り返し。中途半端に追いかけ続けていることも嫌で仕方なかった。

区切りを付けたくて1年間だけ、中途半端な自分でいることを自分に許可することにした。🎾との距離を少し離そう。その間に狭まっていた世界を広げよう!他にも男は腐るほどいる!他の色んな作品を嗜もう、そしてオタクになってから完全に失っていた自分への投資も許していこうと決めた。もし1年経ってもまだ「幸村精市」への気持ちが変わらなかったら、その時は潔く新しいスタンスで追いかけようと決めた。


ここまでが一昨年頃の病み期で、まだ単に恋するクラスタなだけだった…はず。

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