11/20
3連休でした。少し外出して、あとはずっと読書と韓国語の勉強をしていました。
読書と韓国語の勉強なんて言うと、とても充実した趣味の時間を過ごしたように聞こえますが、実際はベッドの上でスマホをいじっていただけです。ベッドの上で読書と言語学習をガチれるようになった時代さん側がすごい。
読書はhontoという電子書籍アプリ、言語学習はduolingoというアプリでやっとります。
特にhontoは自分の中で革命でした。あんなに大嫌いだった読書が本の出費が嵩んで困るほど楽しくなりました。
↑hontoについての話は前のアカウントのこの記事で書いてるので読んで〜おねが〜い!
私は自分の言葉で自分を表現することにかなり人生に重きを置いていて、逆にいうとインターネットに無数に蔓延るミームだったり手垢でベタベタのもう誰の心にも刺さらないただの音になってる表現が苦手です。言葉にする意味を感じられないので。非難しているわけではなくて、単純に自分はあまり好きじゃないというだけです。言葉なんて好きな人が好きなように扱うべきだし。
ただ、自分の言葉も元を辿れば他人から得た表現を集めて煮詰めて脳から捻り出すものなので、インプットしていかないと表現なんてできたもんじゃないと思います。だからこそ、他人の言葉に触れることも大事にしています。
っていう理由ともう一つ、とにかく鬱がだりーからなんかちょっとでも楽になりたくて縋りついてるのが読書です。哲学や心理学の本を読むと自分の病気を柔らかくほぐしてくれる救われるような感覚があって、気持ちよくて依存しています!体感強いです!規制しましょう!本メールの開封を以って読書の規制に賛成とさせていただきます!
人生にはただ丸裸の事象だけ存在していて、それを自分の脳が勝手に肉付けしていい味にも悪い味にも変えているのかなと、アランの幸福論を読んでて思えるようになってきました。物事はすげーシンプルな構造なのに、捉え方や考え方で自分を苦しめているのが鬱やその傾向のある方なんじゃないでしょうか。
鬱ってただ苦し〜だけじゃどうにもならないので、多少能動的に自分に合った治し方を学んでいかないといけないんですよね。鬱だからその能動的な動きができなくてみんな詰んでるんですけど。ただ、死ぬ目処を決めたまま生きているので、無敵の人に近いというか、自分がどうなろうとお構いなしなので、仕事もできてるし休みの日も多少能動的に動けています。死ぬまでの短い間少しでも楽に過ごしたいので、読書でなんとかしようと思っています。その途中で生きようと思えたらいいんですけど、やっぱまだ生きる気にはなれてないですね。死ぬつもりだから今生きられてるだけだし。
なんかこの辺まで書いて終わってました。今11/30です。特にこの後の続き思いつかないので終わります。
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