No.007 稲盛哲学とは?盛和塾会報誌振り返りvol1

1.はじめに

京セラの創業者の稲盛和夫さんが8月24日に90歳でお亡くなりになりました。日本を代表する名経営者であり、人格も素晴らしい稲盛さんが無くなってしまったのは非常にショックです。
心からご冥福をお祈りいたします。

もちろん私自身直接的に稲盛さんの教えを受けたわけでも関わりがあったわけでもありません。しかしながら、私塾である盛和塾の会報誌を拝読いただける機会があり、文章から読み解ける稲盛さんの経営哲学にはいつも感銘を受けていました。

私自身のインプット、アウトプットのために盛和塾会報誌を振り返りノートに記したいと思います。

2.塾長理念

会報誌の表表紙の裏面には塾長理念が書かれています。

無私の心が人を動かす

自分の利益を考えないリーダーに人はついていくとのこと。西郷隆盛の言葉も引用されています。「金もいらない、名もいらない、命もいらないという奴ほど、始末に負えない者はない。しかし、始末に負えない者でなければ、国家の大事を任せるわけにはいかない」

3.盛和塾発足の経緯

盛和塾会報誌第1号は 1992年(平成4年)4月10日に発行されています。
発足の経緯は創刊号テーマ「志の経営を求めて」に記述されています。もともとは京都青年会議所の青年経営塾という勉強会の中で、昭和58年に稲盛さんが2回目の講師として登壇したことに端を発しているようです。講演内容に感銘を受けたメンバーが、何度も稲盛さんに勉強会を発足させてほしいと頼みこみ、昭和58年にようやく許しをうけ、58年7月に25名のメンバーで京都盛友塾として発足したそうです。その後昭和63年に大阪支部設立を契機に名称は盛和塾となり全国展開されていきました。

4.物事を始めるということ

塾長講和というインタビュー記事の中では、物事を始めるということ稲盛さんがどういうことを大事に考えているかを回答しています。
稲盛さんはインタビューの中で4つのポイントをあげています。

1. 勢い
昭和34年に京セラをつくるときに、7名の同志と集まって夜な夜な会議をおこなっていたそうです。その際に稲盛さんは、同士的結合というこで誓紙血判をしています。勢いをつける、後には引けないという暗示も含めて非常に大きなことだったと語っています。

2.動機づけ
例えば会社をくびになってうどん屋を始めるというばあいでも、敗残者がしかたなしにやるのではなく、自身をエンカレッジし励ますために、希望に燃えて、未来に向かって、奥さん、家族、友人にも、そう思わせるために拡張高い動機付け、意義付けをすべきと語っています。また、できれば自分だけの成功ではなく、一緒に働く人たちの幸せということぐらいは最低限考えるべきとのことです。

3.「見えてくる」まで考え抜く
具体的な目標を設定して、それを達成するプロセスを考え、それを頭の中でシミュレーションする。夜泣きうどんの場合、中古のバンに荷台をつけ、ボンベをおき、カモをつける、うどんの仕入れ値を考え、汁をどうするか、場所はどこか、お客は誰か、実際に現場に足を運んで、毎日毎日考え、これを1か月、2か月と続ける。そうすると一晩に何食売れて、売上、コストがいくら、雨の日もある、月商どのくらいで、利益はどのくらいがわかってきて映画のように「見えてくる」そうです。

4.既成概念にとらわれない
既成概念があると邪魔をする。見えてないけれどもしなければならない場合は空である。すると人の知恵によって助けられ、文殊の知恵によって助けられ、取捨選択をしていけばいい。ゴールがあるわけではなく、そのプロセス自身が進歩であるとのべています。

5. 総括

私利私欲にとらわれないこと、物事を始めるにあたっての4原則(勢い、動機づけ、「見えてくる」まで考え抜く、既成概念にとらわれない)については、今後意識し続けていきたいと思います。創刊号1992年当時、私は16歳、何も考えてない高校生でした。稲盛さんは当時60歳。本日時点私は46歳。14年後にどのレベルまで少しでも近づけるように日々精進です。

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