20年来の恩人が石丸伸二さんの信者だった話。

※前提条件として、私は石丸伸二さんが嫌いです。


 農家という職業はちょっと変な職業だと、私は思っている。農家のくせに。
市場出荷すれば必ず買い取ってもらえたり、スーパーの直売に出せば市場より高く売れるけど、他の農家とパイを食べあったり、それでも農家同士は天気デッキで挨拶を交わし、農家あるあるで酒を飲む。
一点突破か、薄利多売か、少量多品目か。農業収入<賃貸収入なんてザラだ。
こんな非効率の塊である職業を、セルフやりがい搾取しているのが大半の農家だと思っている。

だからだろうか、私は普通の農家に会ったことがない。

 コミュ症のくせに野菜の値付けは強気な奴、メディアを使って野菜と同時に自分も売り込む奴、農家同士をまとめ上げて〇〇して一儲けした奴。もちろん、私も自分がまともだとは思っていない。こんな益体もない文章を投稿している時点でなにをいわんや、である。
その中でも私がトップクラスに変な農家だと思う人が、私の恩人であり、石丸信者の先輩だ。
農家になってからの初めての「上司」で、一回りも年が離れているのにかかわらず気さくに接してくれる。
 先輩はいわゆるコミュ強で、農協、市役所、消防団等々で存在感を放っている。窓口職員と親しげに話す姿を、口下手な私が真似できるとは思わない。
農家のスタイルとしては少量多品目、若い農家を引き連れて新しい物事に挑戦する姿勢は、比較的保守の多い農家では奇異に見えるかもしれないが、持ち前の行動力で前に進んでいく、そんな人だ。

 そんな先輩との思い出を振り返ると、だいたい自分が迷惑をかけてしまった事ばかり思い出されてしまうのが、歯がゆくもあり悲しくもある。もっとウエットな感情や感傷があったはずなのに。感謝や感動があったはずなのに。先輩の本質を知った今となっては先輩に対する思いはなにもない。
あえて言葉にするなら、

「この人に嫌われると面倒だなぁ」

くらいのものになってしまった。

 私は石丸伸二さんの事が嫌いだが、こと先輩の本質を知る契機となって自分の思考をアップデートというか、結果的にブレない思考を与えてくれたことにはとても感謝している。彼がいなかったら何も気づかず先輩に飼い殺され続けていただろう。

 始まりは、よくある飲み会だった。
農家のおっさんたちが今年も暑いだの、例年より野菜の育成がはやいだの、え?お前まだエアコンつけて寝てないの?いやいや、さすがに昨晩はつけましたよ。なんて中身のない話をツマミに酒をかわしていた。
そんな折にたまたま都知事選の話になり、先輩は石丸押しで私はアンチ石丸といった構図が出来てしまった。俺は議会の動画を全部見た、お前はネットに毒されている。いやいや、数字を見ておかしいでしょう。小池、蓮舫の再生数の40倍って。ありえないですよ。別に?俺はおかしいとは思わないけど?なんて話はヒートアップしていき、外野からの「いや、俺らに都知事選関係なくね?」の一言でなんとか酒気と怒気が入り混じった口論は収まりを見せたのだった。

 その飲み会の終わった深夜、私は嫌で嫌で頭が沸騰しそうだった。
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ。自分の尊敬する先輩がなんであんな嘘吐きに騙されてしまったのか。どうすれば先輩に自分の言っていることを信じてもらえるのか。それからはもう調べるしかなかった。人生初の経験ではあったが、私は自分の嫌いなものに時間とお金を費やすという不毛な作業を自らに強いた。
そして、先輩の立場上絶対に許せないと思われた防災意識の低さの話をすればきっと、それを皮切りに砂上の楼閣は崩れるだろうと、この時の私は信じていたし、むしろ伝え方を考えないと先輩を無為に傷つけてしまうと慮ってさえいた。

 数日が経ち冷静になった私は、「別に石丸のせいで俺らが喧嘩する意味なくね?」くらいの気持ちになっていたし、先輩から話題に出さないならもうどうでもよくなっていた。同時に、先輩もネットの情報で石丸氏の情報得てるクセに「おまえはネットに毒されてる、はなくね?」という思いも抱えていた。
そんなこんなで暑い夏、飲み会の機会なんていつでもやってくるもので、また農家での飲みの席が開かれた。当然人の礼儀として、「先日はご馳走様でした。」と先輩に声をかける。そうすると先輩はニヤッと、「ああ石丸さんのアレで盛り上がったね?」嫌らしく答えた。少しカチンときたので、「やめてくださいよー。俺嫌いなのに真面目に調べちゃいましたよー。」といって「虚像 石丸伸二研究」を手渡した。(正直、この行動は我ながらキモい)「ああ、アンチの書いた本ねー。まあ、そういった人たちがどういう思考するのか興味深いけどね。」といった感じで取り合ってくれない。大丈夫だ、きっと先輩ならトライアスロンの事を…

「ああ、あれ?前もって指令だしてたからセーフでしょ。それに18日には終わって帰ってきてたって話だよ。問題ないない。」

私には信じられなかった。初めての上司として消防団のいろはを一から叩き込んでくれた先輩との防災意識の齟齬が埋められないほどある事に。
帰ってきたらOKなのか?ならば帰ってこれなかったらOUTだったのか?前もって指令さえだしていればなんでもOKなのか?なにがOUTなのか?思考は駆け巡り、私は理解した。

 この人にとって、消防団は、農協職員は、市役所は、若い農家は、そして私は、都合のいいツールでしかなかったのだ。

 そう、気づけば先輩の行動にすべて理由付けが出来る。
先輩はマウントがとりたいのだ。だからこそ、マウントをとられるのが死ぬほど嫌いなのだ。
だから、農協職員や市役所と頻繁に話す。彼らは立場上「絶対に」マウントをとって来るはずがないから。
だから、消防団であり続ける。長く続ければ続けるほど階級社会はマウントをとるのには最適だから。
だから、若い農家をまとめ上げる。逆らう奴が出てきても押さえつけることが容易いから。
だから、私を否定する。どんなに私の言い分があっていたとしても、「私ごとき」にマウントをとられるのは我慢ならないから。

だからこそ、先輩は石丸信者なのだ。論破というのは究極のマウントであり、その体現者は先輩にとって英雄なのだ。

 簡単な事だった。たった一つの気づきで先輩のすべてが知れてしまった。先輩の事が嫌いになった瞬間、先輩の器の底の底まで見えてしまったのだ。当時、先輩と仲の良かった人がなぜあっという間に不仲になったのか。今ならわかる。なぜ、一回は断った昇進を不自然に受けたのか。今ならわかる。

すべてマウントをとる、とられる。それしかなかったのだ。

 そんな先輩のすべてを理解した私は、物事には「愛」が必要なのだと悟った。20年間親しくしていたと思っていた私が、画面の前のYoutuberに負けて得たものだ。これは「思いやり」「優しさ」「誠実さ」「体温を感じる」「血の通った」とかそういったものと同類なのだが、私には「愛」が一番ピッタリだと感じた。

市民の命と財産よりもトライアスロンを優先する市長に、私は愛を感じない。
ふるさとに恩返しができる。その言葉に私は愛を感じた。
恥を知れ、恥を!その言葉に、私は愛を感じない。
選んだ市民の責任です。その言葉に私は愛を感じない。

 きっと先輩の根底にはどうしようもない怒りがあるのだろう。それを感じとったからこそ、私の中に相反する「愛」という針金が出来たのだと思う。
そういう意味では、お二人には感謝しなければならないのだが、一人は画面の向こうなので何を伝えるでもなく、もう一人にはバレないように心から「愛」を消して付き合っていくつもりである。

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