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性的トラウマを克服する旅  4

わたしが初潮をむかえた頃は、

生理を話題にすることは
恥ずかしいことで、ありえない。という空気がいまよりもっと
色濃く浸透していたように感じる。

宿泊学習がはじまる前、
初潮教育の授業では、
先生たちの微妙な空気感を
多くの子どもたちは何かしら感じとっていた
ようにおもう。
少なくともわたしはそう感じていた。

この微妙な空気感こそが、

生理とは。
女性にとっても、男性にとっても
あまり都合の良くないことである。
という印象を与えるのかもしれない。

生理は誰しものイノチのはじまりであるのに。

幼い頃に大人に性的対象として扱われた体験は
イノチへの根源的な否定となっていった。

そしてその体験は繰り返しおこる。
(性的被害は繰り返しおきることが多い。ひとりだけではなく
違う相手で何度も同じような体験をする。痴漢にあいやすい。)

その体験を積み重ねることがさらに
自分いじめを増幅させる。

(こんなことがしょっちゅうおきるのはわたし自身に問題があると
おもいこんでしまう。)

生理になったということは、体がさらに女性らしくなる。
いまよりもっと、
ねらわれやすく、なるんじゃないのかと。
しかも妊娠する可能性まである。

そんな、複雑なおもいがわたしのPMSやPMDDという症状を
つくっていった。

親に
助けてほしい、わかってほしいとどこかではおもってはいたけど、
ただでさえ、争いごとがおおい家庭で、またあらたな問題をひき起こすことは
考えられなかった。

そして忙しいが口ぐせの母に、そんなことは口がさけてもいいだすことはできない。

そうやって、内側に
秘めたものを持ちながら、初潮をむかえ、思春期をむかえた。

特に女性ホルモンが大きく動く、
思春期、妊娠期、産後、そして毎月の生理前にはどうしようもなく、イノチの存在を
否定するモードにはいりやすい。

それは自分を痛めつけたくなる癖。性への否定は
イノチの存在への罪悪感となる。

被害に遭うことを恐れていることが、また被害を引き寄せる。

結婚してからは、夫婦間で体を明け渡し続けた。

そして何度も中絶をくり返し、離婚し
やっと自分を守るすべとして低容量ピルという
自分を守る方法にであう。ピルを飲んでいる間、
しばらくは、ホルモンの動きに翻弄されず、
好きな仕事に没頭しながら、それなりに楽しくくらしていた。

でも、結局それらも対象療法でしかなかった。

何度も性的虐待や被害を繰り返すのは、
自分のなかにイノチへの罪悪感という
ウイルスみたいなものを保持していて、女性ホルモンの動きが大きくがあるときにそれらは
暴れだす傾向がある。

性的なことはいやらしいことで恥ずかしいこと
であり、みだらなことであると、連想させるような
情報がどこにいても、簡単に
嫌でも目にはいる。

幼い頃、
テレビでは、性的なことを連想させるシーンになると大人が咳払いをしながら
チャンネルをかえる。

その割には、電車に乗ったら、おっさんが誌面1面がエロで
埋め尽くされている
スポーツ新聞を堂々と広げて読んでいる。

電車のなかの吊り下げ広告には、政治のこととならんで、水着やヌード写真が
掲載され、不倫、援助交際などという文字が並んでいる。

そんな情報をたびたび目にすることが、 
わたしのなかのイノチへの罪悪感というウイルスみたいなものを刺激していく。

そんな、描写とはまったくかけ離れた存在である、幼いわたしがどうして
性への欲求の対象になっていることが理解できなかった。
わたしの内側は分離されてゆく。

このような分離をうみだすことの
確たる

原因は

性への歪んだ、集合意識。

加害者をつくるのも、被害者をつくるのも
同じ意識。 

それは時代が創りだした幻想。

この幻想こそが、わたしを被害者にしたてあげたのだろう。
被害者は加害者にもなりえる。

誰にも理解してもらえない、寂しさ、孤独感、怒り、あきらめ、他人とくらべる癖。
それらは知らない間に
内側での闘いとなり、
それは時折、外側の世界にもあらわれる。

いつも何か足りない。自分を信頼できない。
だから、人を信頼することもできない。

全てを外側の責任とし被害者と生きることには
もう、飽き飽きしている。

この戦いを終わらせるために
いまのわたしにできることは何?

それは、更年期という体の変わり目が教えてくれた。
内側の戦いを終わらせるということ。

この肉体を選び、性的に搾取されていた
体験をも、わたしの魂が求め創りだしたもの。

その闇をうけいれる。
置いてきぼりにしてきた肉体を愛する行動をつみかさねる。
自分を満たしてよりそい、抱きしめる。

そして、ここ数年、満たして、満たして、よりそい続け
わたしのなかのから、
湧きいでたビジョンは。

「性」への歪んだ、集合意識を解き放つために行動するということ。

それは、誰かのせいで、社会のせいで、時代のせいであるとなげいて
訴えることではない。

いまのわたしにできることからはじめよう。

誰しものイノチのはじまりである、「生理」を社会全体で大切にできる仕組みをつくる。

やっと本題にはいる。長い前置き。

続きを書きます。

to be continue

#性的トラウマ #生理#女性性#いまわたしにできること


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