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性的トラウマを克服する旅 3 PMSとPMDD

前回までの続き。
性的トラウマを克服する旅 1

https://note.com/seico1005/n/n1f7b21aae14c

性的トラウマを克服する旅 2

https://note.com/seico1005/n/nd94cc86f6251

生理はわたしにとって
“わずらわしい”という存在でしかなかった。

体もそれほど大きくもないのに生理がはやくきたのは
幼い頃に性的ないたずらをされていたからだと
と自分では思い込んでいた。

母親にも生理がきたことを告げたとき、
「あんたませてるわ。」とひとこといわれたことを
覚えている。

このひとことがけっこう
突き刺さっていた。

きっと、   
うちの親だけではなく、この時代に生きている多くの人が
潜在意識のなかに

「性」に対する

罪の意識がある。

「性」とは、

いやらしいことで、恥ずかしいことで、隠すべきものであるという
認識が無意識に多くの人に
すりこまれている。

それらの意識は時代のながれで、つくられてきた幻想であるのに。

わたしの場合、
イノチの根っことの、いいようのない
断絶感は
おおくはここから、派生しているような気がしている。

体と心が(女性ホルモンの動きがおおきくある時)
成長する思春期には、性への興味や衝動が内側から湧きあがるのを感じながらも、
その反面で

ダメなこと、いけないこと、恥ずかしいことだと
自分のいちぶを
否定しながら
生きづらさを感じていた。

わたしの中にはいつもこのような葛藤があったようにおもう。

生理用品を処理する、トイレに置いてある箱のことを
「汚物入れ」という。

体のなかからでる
生理の血を
「汚物」として扱うことが

生理は汚らわしいものという
洗脳をつくる

行為そのものかもしれない。

最近では
サニタリーボックスとかいうようになったのかな。

月経がある女性のうちの90%という高い割合で
PMSとい症状を感じているらしい。

母親が生理痛がひどい場合も、
娘は
PMSがひどくなる確率も高くなるという話しもどこかで聞いたことがある。

PMS、PMDDとは?
https://www.seirino-mikata.jp/disorder_mens/pms/

わたしの場合、
PMS、PMDDが酷くなっていったのは
ひとり目を出産した後、すぐに望まぬ妊娠をし、
中絶した後から、さらに症状は際立ちはじめたようにおもう。

2人目の出産は阪神淡路大震災のすぐ後だったこともあり
被災し、産後うつにもなった。

母乳があまりでなくて
生理もすぐにきた。

子育て中は
生理前になると、子供に感情をぶつけてしまう。
そして、また自分を責める。

夫婦関係はうまくいってなかった。

はじめての子育で体力も精神的にもいっぱいいっぱいだったのと、
わたしは
深く人と関わることをどこかあきらめていた懸念がある。

それは夫婦ゲンカをして
子どもの心をを傷つけることを恐れていたということや(わたし自身が夫婦ゲンカがたえない家庭で育った)

多くは
自分の弱さを守るためでもあった。

体をあけ渡すことで、夫婦関係をなんとか保とうとしていた。
避妊してほしいと何度か夫にはなしたけど、いうことは聞いてはもらえなかった。
 

育児雑誌を頼りに、年子の男の子2人
をワンオペ育児。

体力は
若いから、なんとかいけたけど、
精神は健全な状態ではなかったようにおもう。

当時の育児雑誌には産後のsexことや、ホルモンと心の関連性や、
母体のセルフケアについての情報なんて
ほとんど載っていなかった。
いや。載っていたけど
目に入らなかったのかもしれない。

産後すぐはホルモンの影響で
性欲がなくなることなど知るはずもないし、

毎日の育児で
体力も気力も、すっからかんの状態なのに
惰性でsexをしていた。

何度か妊娠し、中絶を繰り返し、罪悪感に苛まれ
生きながら死んでいたような時期もあった。

子育てという
没頭できる役割が
あったからこそ
生きていられた。

2人の子ども達にはほんとうに感謝している。

その後、夫と離婚した後につき合った男性にもコンドーム をつけてほしいといえず、
また中絶をした。

避妊をしてほしいとちゃんと話せないのは
自分の性器はあまり具合がよくないという思い込みが
あったから。(幼い頃から性器を触られたり、なにかをいれられたりしていたから自分の性器が人よりも劣っていると思い込んでいた。この思い込みは
更年期セルフケアしたときに
体が教えてくれたこと)

その中絶をきっかけにピルを飲みはじめた。

やっと、自分で自分を守るすべを知ったというところ。

当時、日本ではまだ定量用ピルが認可されておらず、産婦人科に足を運ぶこと自体に拒絶反応があったため、産婦人科で処方してもらうのではなく

インターネットでタイから個人輸入し、副作用が少ないといわれる
低容量ピルを飲み続けていた。

それから
何年かたって生理がこなくなった。

女という性をありありとみせられる
「生理」をなかったことにして、生きることが
唯一、目の前にあるわたしの生きる道だった。

そんなわたしが、
月経血コントロールという体の知恵にであい、ピルをやめて布ナプキン
を使いながら、生理という体のいとなみに意識をむけはじめたことで

驚くように人生が変わっていく。
この2020 年も相当
凄い変革な年だとは日々、感じてはいるが

この時もまさに
運命の輪がまわりはじめた。
それはほんとうのわたしにであう旅のはじまりでもあった。

to be continue

#性的トラウマ #女性性#生理#更年期

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