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小学生の今だから伝えたい性教育!あなたと、あなたの大切な人を守るための命の教育を考える


こんにちは!みほです。
小学生の低学年の女の子ふたりの母をしています。

性教育、と耳にすると、緞帳のようなカーテンが閉められた教室だったり、多くのクラスメイトと息をひそめながら体育座りをした体育館だったり、ほんのり薄暗くて、埃っぽくて、なんとなくいけないことを聞いているような居心地の悪さを自然とイメージしてしまう、そんな方も多いのでは?

アラフォーのわたしもそのひとり。
何度塗り替えようとしても、なんとなく性教育に後ろ暗さかんじてしまう事実は否めません。

一方、昨今話題の「性教育」。
その語り手が「ママ」たちであることも助けてか、なんだかちょっとイメージが・・ちがう・・?

そうなんです、いまのこどもたちに伝えるべき「性教育」は、ちっとも暗さもなくて、むしろ命の讃歌に近い、そんな風に思っていただいてもいいのかもしれません。

そして性教育の主役はこどもたち。
幼児、未就園児、小学生、中学生・・

この記事では、その中でも最も多様性に富む「小学生の性教育」について、考えていきたいと思います。

小学生の性教育の柱は3つ!

我が子がランドセルを背負い、初めてひとりで「いってきます!」をするようになった小学校低学年のころ、わたしたち親の頭の中をもっとも占めるのは、我が子の安全に関すること、つまり「防犯」なのではないでしょうか。

同時に、幼児期から連綿とつながっている「からだについて教えること」も依然として重要トピックといえると思います。ここでは幼児期に学んだ 「わたしのからだ」を超えて、「周囲のひとのからだ」についても知り、お互いのこころもからだも尊重しあう基本的な姿勢を身に着ける時期といえるでしょう。

一方、中学年、そして高学年になると訪れるのが第二次性徴、すなわち、自分自身や周囲のひとの「からだに明確な変化」が訪れるとき。その変化について学び、考えるべき時期となります。少し思い出してみるだけで、多感な時期のはじまりに、だれかに体の変化を揶揄され傷ついた経験、揶揄されている姿を見た経験、あるいは早熟な友人を憧れと不安のいりまじった目で見つめた経験、ありませんか。
本来健やかな成長のあかしであるうれしい変化が心の傷になってしまうのはまりに悲しい。我が子には、被害者はもちろん、傷つける側(言ってしまえば加害者)になってほしくない、その思いは親であればみなさん抱くのではないでしょうか。

小学生、とひとくくりにしても、必要となる性教育は移り変わっていきます。その時々に必要な、我が子を「守り、育む」性教育。これからの育児には欠かせないものです。ぜひみなさんで考えていきましょう。

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