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感覚

人間それぞれが覚える感覚は、とても儚い。
そして同時に、人間は常にその感覚に全面的に支配されている。

そんな人間が社会的動物であることには気持ち悪さがある。

誰かを愛したり、憎悪したりする感覚は、些細な出来事から芽生え、増幅し、体を操作していく。
肌に触れようとしたり、包丁を握り、殺そうとしたり。

だけど、その感覚は殆どが表層的なものに過ぎない。
永続的に保たれたりしない。
感覚は死に、新しい感覚が芽生え、また死ぬ。似たような感覚も芽生えるが、過去に経験した感覚を全く同じく再現することはできない。

一生を添い遂げることを誓う結婚。その契約の瞬間は、目の前のパートナーへの愛の感覚に支配されていることだろう。
だがしかし、本当に些細に見えるような出来事で、その感覚は簡単に死に、別の感覚が芽生えてしまう。

そしてそれはいつしか多くの人が自覚する。
その時、人は表層的な儚い感覚に支配されていない自己を見出す。

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こんな数ヶ月前に書いた下書きを見つけてしまったので、なんとなく締めくくりたくなった。

これを書いたのは、誰かを好きなることが自分にはできないことや、自分なりの志を強く持ち続けることができないという感覚に包まれてしまった時だったと思う。

この時から別に何もかわっちゃいない。
この感覚を抱き始めてから大体1年くらいになる。

だけどこんな感覚に支配されたままだと、どこか寂しいと感じることが多くなった。

何かを好きになりたい、誰かを好きになりたい。

そう思うことが増えて、余計にしんどくなる。
シンプルなことだけど、今の僕にとっては至極困難なものだ。
しんどい。

もうすぐ20歳になるけど、この淀んだ世界から抜け出すことができるんだろうか。


締め括りにもならなかったけど、この辺で。
20になったらまたその時の感覚を書こう。

ゆるりゆるり、ゆるり。