夜明けのすべてをみました

おやすみのうちに会っておかなきゃ!と友人に連絡を入れて、大阪のカフェで待ち合わせた。昨日は身体がおもくて動きだすのが遅かったから、1時間ほど近況を報告しあったところで閉店の時間がやってくる。2人は傘をさして冷え込んだ道を駅まで歩いた。「最近いつ泣いた?」と聞かれて、すぐに返事ができなかったけれど、友人と別れたあとの僕は、出町座に寄って『夜明けのすべて』を観て、涙を流し続けることになったのだった。

映画は、PMSで自分をコントロールできないことに悩む藤沢というヒロインの職場に、パニック障害を抱える山添が転職してきたところから物語が展開する。彼らとそれをとりまく関係は、異なる背景や違いを理解しようと努め、ともに助け合い、人生を取り戻していく。

お菓子の差し入れ、自転車、お守り、インタビュー、テープ音声。16mmフィルムの世界では、さまざまなレイヤーで、(ときに双方向に)贈り物が継承された。おたがいさまの関係で、いきいきと生きていくこと。贈られたバトンを次のひとに渡すこと。僕がやっていきたいことだと思った。プロジェクトを通して、関わるひとと一緒に、そんなふうに生きていたいと思った。

何度も胸がグッとなって、エンドロールに呆然とする。ようやくふりかえったとき、シアターには誰の姿もない。館内の本棚をなんとなく眺めてから劇場を出て23時、いつもは乗らない201のバスに乗車して帰路について、僕はやっていきたいことがやれているだろうか、ぼくみんでなにができているのだろうかと、ぼんやりと考えていた。
周りを気にして自己表現に躊躇するし、人付き合いが面倒になって塞ぎ込んでしまいたくなったりする。意図しないところで雑になっていることもあれば、へこたれてしまうこともある。眼前にあって受け入れなければならないものと理想、身体と願いは、未だ相変わらず矛盾しているのだ。

でもきっと、やる理由はそこにある。
矛盾していても、諦めたくないのは、僕だけじゃないだろう?

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