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Soranjiの先で出逢うあなたへ

※このブログは2022年12月に公開しようと思って書きましたがずっと下書き保存状態でした。
その時点での私の作品に対する感想という形で捉えていただけると幸いです。

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どうも、1年1ヶ月ぶりにどうしても書きたい衝動に襲われてnoteを開きました。これから彼らを知り、出逢い、救われ、生活の一部になるであろう大勢のファンの人に、今、今こそ、伝えたいんです、

この曲の尊さを。

もし少しでも興味を持ったら今からでも遅くないから血眼になってSoranjiリリース時期の音楽情報誌などを探して、大森さんから発せられる言葉、一言一句を噛み締めて欲しい。
それか、周囲にいる優しすぎるJAM'Sのみんなに、Soranjiにかける想いがどれほど深いかを教えてもらって欲しい。

「現時点の僕の最終地点。Soranjiで僕の人生は一つ幕を閉じたんだ」

上記は、2022/11/2 Soranjiのミュージックビデオの解禁3分前に、大森元貴さんがTwitterで呟いた言葉です。(お借りさせていただきます)。
この言葉の持つ意味を理解できているなんて到底思えません。でも、幕が閉じたと思えるほど、精魂詰めてやり切ったのだと、そういったこととして私は受け取りました。そして、終わりがあれば始まるがあると歌っている大森さん、それはまた次のステージへの掛け橋にもなるのかなって。

宙を浮かぶ大森さんは何を思うか

ミュージックビデオを見てからこのツイートを拝見して、「あれは生身の大森元貴が宙に浮かんで行ったんだ」と妙にしっくりきました。終始何か物悲しく切なく寂しくずっと物憂げで………あんなに力強い歌なのに彼の口は少ししか動いてなくて…でもそれが着飾らない、綺麗事にしない、大森元貴さんなのだと。内から出る悲痛の中の叫びや祈りが伝わってくる。どこまでも屈託のなく真っ直ぐな大森元貴さんがそこにいる。

この曲を今聴くには重すぎる、聴くにもパワーがいるSoranji

語弊があるように聞こえたら申し訳ないが、この曲は1日に何回も聞けない。
テーマが「生きる」ことで、ダイレクトなメッセージだ。生きることに弱ってる時には重すぎる。それは「最愛の人が死ぬ」「戦争にまつわる」などの映画を1日に何度も見れない感覚と似てるかもしれない。ファッション感覚で消費できるような曲でもないし、何度聞いても考えされられるから。でも、必ず1日に1回は聞きたいし、縋りたい、そう思えるほどこの曲は日々のど真ん中で大きな支えになること間違いないと、最初聞いた時から感じた。「すごく大切な恋人を毎晩寝る前に思ってしまう」そんな感覚と似ているかもしれない。

「我らは尊い」という言葉から放たれるエネルギー

我らは尊いと書ききった大森元貴さんに、そうきたか、とかなり驚かされた。誰しもが思ってて、でも誰しもが口にするには躊躇するような言葉にもおもう。でもそこを描き切る強さは、正真正銘の強さだとおもう。弱いからこそ歌うのであれば、その弱さこそ強さである、という風に感じた。

フェーズ2の華やかさとのコントラスト

今回の素朴な大森さんを見て、ああ、この曲に巡り合うために、この曲がより多くの人に正しく伝わるように、フェーズ2のビジュアルファーストにさえ思うほどの華やかな装いで登場したんじゃないかなと、その通り道すらも、まるで運命だったのかと愛おしく見えるほど。圧倒的なコントラストで描かれた今回の作品は、世の中のまだ見ぬ人たちを混乱させ、魅了させること間違いなしだと。もしかしたらあなたもその一人なのかもしれないが。ファンとしては、Mrs.GREEN APPLEの真髄がより際立って放たれた瞬間が見れて、この道筋に納得できたとでも言おうか。

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ここまで書いて終わっていました。
続きを書くことも可能ですが、当時の思いということでここで筆を止めます。
感じ方はひとそれぞれで、何が正しいとか何が正しくないとか、そんな不毛な争いは求めていません。今の私と過去の私が同じように感じるかというとまた変わってくると思います。大森さんも言ってるように成長過程で人は考え方も少しずつ変わっていくものだなと。それでも、自分の中にある芯みたいなものはきっとよっぽどのことがない限り揺るがず、芯の周りに色々な経験や刺激を経て得た新しい発想が装飾されたり、反省や教訓をもとに戒めのために自分を律する対策を立てたりしながら進んでいくんだと思います。

ひとつの感想として捉えていただけますと幸いです。

また作品に対する感想などをあげていけたらなと思います。読んでいただきありがとうございました!





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