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road trip

(この記事は、Kumano dorm. Advent Calendar 2022の25日目の記事です。)

着席してシートベルトを締めると、退屈な車内アナウンスが流れ出す。なんでも面白がれるタチなのだが、これだけは難しい。

今年はやけに夜行バスに乗った。京都と東京がメインの往復で、あとは青森や名古屋の展覧会に行ったりもした。余裕を持っていけば1泊くらいしてゆっくり楽しめるはずなのだけれど、元来の性格が災いして、大抵は最終日に日帰りで滑り込むことになる。

夜行バスというのは基本的に不快な乗り物だ。飛行機のクラスみたいに、夜行バス界にもランクがあって、3列シート、4列ゆったり、4列標準に分けられている。1度だけ3列シートに乗ったことがあるがあれは王者の乗り物だ。とはいえ、金を払って夜行バスに快適さを求めるのは本末転倒なので、普段は勿論4列標準に乗る。

僕はギャンブルはやらないが、夜行バスを除いての話だ。割り振られた座席がその晩の生死を左右する。バスは基本的に暑いので最後列のエンジンの上を当てた日には死を覚悟しなければならない。そういう夜に限って目が覚醒して眠れない。それから、やこばビギナーは窓側の席を喜びがちなのだが、絶対に通路側の方がいい。窓側は意外と狭いし暑いし、何よりトイレに行く時がストレスだ。
あとは隣の人も大事。というかこれでほぼ決まる。いくら寛容さには定評のある僕でも、えげつないガニ股のおじさんには腹がたった。そういうわけで最近は指定席を使うようにしている。知らない人も多いのだが、夜行バスは200円で席を指定できる。新幹線は死んでも自由席派の僕でも、この200円はけちらない。

今日の隣人は優しそうなお兄さんでほっとする。声のトーンが柔らかい。
高速に入るまでは明るいのでスマホをいじったり、軽い読書をする。30分くらいすると車内が真っ暗になる。

イヤホンを耳につける。僕はこの時間が好きだ。なかなか寝付けないし、スマホをいじることもできないのでアルバムを集中して聴ける。大抵は寝落ちするけれど。フィッシュマンズは打率10割。

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spotifyの年末ランキングによると今年1番聴いたのはカネコアヤノらしい。

納得というよりはむしろ意外だ。

彼女の音楽をひとことで言うなら「祈り」だと思う。でも僕は祈りたくない。
祈るくらいなら闘いたい、そう思っていた。だから、カネコはのんでものまれるな!くらいの意地を張っていたつもりだった。

しかし、ランキングは残酷にも事実を示している。今年の僕は祈りを必要としていて、どうしようもなく彼女の音楽に助けられた。

人工衛星は暗闇の中 孤独を泳ぐ
絵画よりも広い この世の爆発は祈り   

カネコアヤノ「孤独と祈り」

最近、ハンナアーレントの『人間の条件』を読み始めた。その序章は宇宙に浮かぶ人工衛星の描写から始まる。
なんとか地球から離れようとする人類に対する皮肉。
幸せの青い鳥はいつだって近くにいるのに。
少し耳が痛い。

小学生の頃は毎週地元のプラネタリウムに通うくらいには、好きな漫画ベスト3に「宇宙兄弟」が入るくらいには宇宙好きだった僕にとっては、宇宙=ロマンだったけれど、2022年の僕が宙を見て抱く感情は、孤独だったかもしれない。

なんの根拠もないけれど、来年はカネコアヤノをそんなに聴かない気がする。
(年明けすぐの武道館はとってしまったけれど!)

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隣人が右肩にもたれかかる。優しい人だったから、しばらくそのままにしておこう。
あたりは真っ暗で、かろうじてわかるのは隣車線を通り過ぎるトラックの音だけだ。どの辺りを走っているのかさっぱり見当もつかない。

夜行バスに揺られていると内省的になる。ともすれば失ったものを数えてしまう。そんなことをしているとジンベエに怒られてしまいそうだが。

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今年はゴダールが死んだ年だ。
彼の死はしみじみと悼むようなものでもないし、実際悲しみとも違うのだが、やっぱりどこか穴が空いたような感じがする。世界のどこかでゴダールが生きていたというのはある種奇跡のようなことだった。

好きな監督を聞かれてゴダールと答えると、スノッブな、いけすかない奴だと思われる気がするので嫌だ。
それでもゴダールなのだ。
映画ベストテンを決めることなんてほとんど不可能に近いけれど、
1位だけは不動で「気狂いピエロ」のままだ。

ドライブシーン。車は一切動かずに、極めて規則的な照明が回転して、一応道路の体をなしている。観客にはセット(しかも極めて杜撰な)であることは一目瞭然だ。

こんなに嘘っぱちでいいのか!
回路を因果でつなぐのが難しいけれど、この嘘こそが僕に世界とつながっている感覚を与えてくれたといってもいいくらいだ。

僕は結局何も信じられていないのだと思う。そんなニヒル野郎をよく似た刀で断ち切ってくれたのがゴダールだった。

彼のおかげで、今の僕は曲がりなりにも世界を信じることができている。

言葉が大きすぎる気もする。

それからラストシーン。生きようともがくピエロはあえなく爆死する。
ゴダールがスタイリッシュに死んだなら、僕はピエロのもがきを見習いたい。
たとえそれが爆死に終わるとしても。

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バスがとまり、ドアが開く。サービスエリアのひんやりとした空気が頬をなでる。気づけばもう4時だ。あたりはほんのりと明るい。

トイレに行った帰り、バスの場所が分からなくなってかなり焦った。僕は自他ともに認める方向音痴だ。
なんとか見つけ出して、若干息を切らしながら席に着く。
隣人は窓にもたれかかってすやすやと眠っている。

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今年の映画体験を振り返ると、1番感銘を受けたのは濱口竜介の『親密さ』だと思う。前々から見たいとは思っていたが、なかなか機会がないなか、秋に早稲田松竹でかかったので、すかさず足を運んだ。親密さは2部構成の映画で、1部では演劇を作る準備段階が描かれ、2部ではその演劇そのものが映しとられる。演劇をカメラに収めるという、とますれば凡庸な挑戦を、濱口は完全に成功させている。親密さと、それと不可分な暴力とが、カメラによって、視線によって、声によって見事に描き出されている。
素直に感動した。
東京にはこういう感動を共有できる友人があまりいなくて寂しい。

『親密さ』を見てから改めて濱口の映画を振り返った。今年になって『ドライブマイカー』をとてもいい映画だと思うようになった。このことは濱口の問題であるより、村上春樹の問題かもしれない。

初見の時はその苦しさを言葉にできなかったけれど、今なら少しだけわかる。

『ドライブマイカー』は春樹/家福(主人公)が本当に人と向き合い、傷つくための映画だ。
隙あらばスパゲッティを茹でていた「ぼく」と、奥さんの浮気現場を目撃してなお平気な顔してzoomをする家福が重なる。
そういう「スマートな」男たちが大切なことに気づくのは決まって遅い。

スタンダールでも、フロムでもなくて、アウグスティヌスのことばが脳にこだまする。

あなたを愛するのがあまりにも遅すぎました。なんと古くて、なんと新しい美よ、あなたを愛するのがあまりにも遅すぎました。ああ、あなたは内にいたのに、何と、わたしは外にいました。

アウグスティヌス『告白録』

2023年はこんなに愚かしい僕の側にいてくれる人を大切にしようと思う。


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眩しい。
バスの蛍光灯はあまりにも明るいので少し疲れてしまう。
まだ眠っている隣人に軽い会釈をして、バスの外に出た。

光を放つなか卯と、息をひそめた駿台が横に並んでいる。
冬の京都は凍てつくような寒さだ。
とはいえ、少し心が躍っている。
いつかそんな街にも飽きてしまう日が来るのだろうか。

そこそこ稼ぐようになったら夜行バスなんて乗らないと思う。
それはそれで少し寂しいような気もする。
どこかで狸が笑った。


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