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ここにたどり着くまでの指針について

8年前、私はひとつの小さな決心をして仕事を辞めた。
当時27歳の私は社会人歴も6年とかそんなものだったのに関わらず「もう十分がんばった」と思ったのだ。「もう十分がんばったし、これ以上はがんばれない」と。
こう書くとネガティブな風に思われるかもしれないけれど、不思議と気持ちは新しい方向に向かってぐんぐん進んでいた。

「もっと自由に生きてみてもいいんじゃない?」と私をよく理解している友に言われていた。
学生の頃から目指していた服のデザイナーの仕事が出来て、じゅうぶん自由にできているように思っていたのだけれど、「本来したいこと」ってどれくらい出来ているのだろう。そう自分に問うこともあった。
本当はもっともっとしてみたいことがある。出来ないことを仕事や忙しさのせいにしているのかも。
朝5時に起きて会社に行き夜の11時に帰宅するルーティーンも、休日出勤も、体力的にも長くは続かない。それならいったんリセットして、してみたいことを十分してみたらいいんじゃない?失敗した自分は許せても、やらなくて後悔する自分は許せない。とどんどんいろんな自分が背中をぐいぐい押してくる。
あとは、私はデザイナーとして服を大量生産することに、少し疲れていたのだと思う。
当時は大量生産、ファストファッションが一世風靡しはじめた時代。そんな時代のスピードに、ちょっとついていけない、とも思っていた。
ベテランデザイナーの師匠はそんなスピードでも毎回感動するかっこいい服を生み出していた。

ばさっと羽織れる、リネンのカシュクールワンピース。手がすっと入れられるように微妙に角度をつけたポケット。
第1ボタンだけポイントで止め糸の色を変える。
見た目はシンプルの無地だけど、見返しや内布、見えない背中の当て布にリバティプリントをちょこっとだけ使う。自分だけが知っている、洋服の遊びごころ。
そんなデザインを、毎シーズン100着でも200着でも提案できて、バイヤーの心をつかむ師匠は文句なしにかっこよかった。
ファストファッションだとか量産することの罪悪感とかはもはや逃げる口実でしかない、と思った。

わたしには師匠みたいに人の心をつかむ服は今作れない。
それは、認めなければいけない事実だった。

そうして自分のちっちゃなプライドであった「デザイナー」と言う肩書きから手を引いた。

かといって悲しかったかと言われればその逆で、できないことはできないって素直になれて、やりたいことのためにたくさん時間をかけられる自由を手に入れて、こころは解放されていた。
今はそのスピードでは出来ないけれど、いつか自分のペースでいいから師匠みたいな服を作るという指針ができたこと。
そう思える人に出会えたことに感謝していた。

そうして8年が経ったいま、新しく始めた仕事は、偶然なのか必然か、師匠と一緒に仕事をしてた頃連れて行ってもらったお店。
上質なリネンを扱っていて、いつもインスピレーションを受ける場所。と太鼓判を押すリネンの専門店。
今私はそこで働くためのワークウエアを自分のために、月に一度を目標に作っている。
今回作ったカシュクールワンピースは、その師匠のことを考えながら作った。

8年前できなかったことを、少しずつだけどわかったような気がした。着る人がちょっとご機嫌になれて、周りからほめてもらえることが楽しくて、着てて気持ちの良い服をもっと作りたい、と思った。
ちゃんと考えて作ったものには、人は拍手をくれるのだな。とも思った。
きっとデザイナー時代は考えたつもりでいた部分が多くあったんだなと実感もした。

8年前師匠との出会いは、今の自分のためだったのかもしれない、と思っている。
カシュクールワンピースを作りながら、師匠の思うかっこいい女性に少しでも近づけてたらいいなと思う。