全ては過去のはなし

①「ライ麦」と「ハック」について提出された回答で、印象に残った回答をそれぞれ二つ(計四つ)挙げ、それについて(その根拠、反論や賞賛など)記せ
ライ麦後半 問3の①
読んだ時にこんなにもやばい人が身近にいるのも大変だなと思った。私もこの問いに書いた人のことをそこそこイカれてんなーと思っていたが上には上がいた。こういうことはあんまり言わない方がいいのだろうが、こんな人間になりたくないなと思ってしまった。
まあ一応日常生活をつつがなく送れているので今現在はならないとは思うが、人生は何が起こるか分からない。こんな人にはなりたくないと思っている自分がいつの間にかなってしまうこともある。堕ちていく時は自分じゃ気付かないものだろう。
ここに書かれていたMのようなどうしようもない人たちは何故こうなってしまったんだろうか。確かに彼は哀れである。自分のせいだと一蹴することもできる。だがもし自分の大事な人が堕落していったら、自分はその人を嘲ることができるだろうか?たとえ内心そう思っていても絶対に言いはしない。本心は隠したまま自分にできることを精一杯やってあげたいと思ってしまう。自分がそうなっている時は誰かに止めて欲しい。だから自分も堕落していく誰かが身近にいるなら助けてあげたいのだ。

ライ麦後半 問6の③
ざーっと読んでいった時にまず文章の書き方や言い回しがとても詩的でかっこいいなと思った。"汚らしい隠の世界にぽつりといる光のような子供から聞こえる陽気な歌"とかすごく良い。音読したくなるほど美しい文章でものすごく印象的だった。私は作文を書く時に彼らの内面や状況などをとにかく重視していて、情景描写など頭から抜けていた。というよりそうしなきゃという感情に支配されていたのだと思う。だがこの人の文を読んでからは、そうだよなあ描写の美しさだって立派な魅力だよなと思わざるを得なかった。この人は5教科の勉強ばかりは嫌だと書いていたが、私は専門科目なんてやらないで普通科に行っておけばよかったとずっと後悔していた。正反対な意見だが、なんというか共通点を感じてしまう。隣の芝は青く見えるものだ。私はもうすぐ卒業、確かにこの3年間は楽しかった。でも今でもふと思ってしまう。普通科に行ってればもっと色んな選択肢が増えたのだろうか。もっと勉強ができれば受験の役に立ったのだろうか。

くだらないことばかり考えてしまう。
僕は自分の選択に後悔したくない。

ハック前半 問1の⑥
最初の文もなるほどと思った。ハックにとって父親とは何かしらの役に立っているので一方的にかわいそうと決めつけるのは良くないという視点は自分にはなかったので、とても新鮮だった。でもやっぱり1番は後半の文である。読んでて衝撃的だった。笑ってしまう。人面心獣とか、何もかも水に流せてしまうとか言葉選びが秀逸だなと思った。何なんだこのやばい客は。想像するだけで鳥肌が立ちそうだ。思い返してみると昔そういうことが私にもあったな。あれはトイレの個室内の惨劇だったし私はバイトでもなんでもないただの利用者だったから驚いて逃げてしまったが。あれは小学3年生くらいの時で私にできることはないからと、見て見ぬふりをして逃げたが、そのあと何も知らない清掃員が入っていった時のなんとも言えない罪悪感が未だに鮮明に覚えている。

ハック前半 問4の②
これを書いたのが誰だかは分からないけどなんとなく文章の見極めるのができるようになってきた気がする。多分私はこの人の書く文が好きなんだと思う。やっぱり景色が綺麗で読んでいてわくわくする。
他の人より知識があるから他人を見下してしまうというのは自分にも身に覚えがある。そして自分より物知りな人に対して負けたと感じることもよくある。私は何が原因でそんなに自分と他人で優劣をつけたがるのかは分からない。
他の人はそんなこと微塵も考えてなさそうで、自分の汚さというか、なんで自分はこんなにクズなんだと思ってしまう。自分を責めるのはやめた方がいいのは分かっているが、もともとネガティブなのもあってよくやってしまう。思っていることを全て口に出してしまう友達がいるが、その子も自分のことをよく蔑んでしまっている。だがそれを言われた時の周りの雰囲気がちょっと気まずい感じになるのが嫌で私はあまり言わないようにはしている。でもこの文や普段のみんなの様子を見ていると、きっとこんなふうに思っているのは自分だけじゃないんだなと思えて少し安心する。自分以外の人を聖人君子に仕立て上げてしまって、そのせいで居づらいと感じてしまうのはやめたいな。

②この作文課題で今後取り上げたいモチーフ(図書、映像、漫画、アニメなど、ゲーム以外であればなんでも可)を三つ挙げ、主に何について問いたいかを記せ

本や映画などに全く詳しくないため議論できそうなものと考えたら1つしか思い浮かばなかった。少年と犬という本である。直木賞を受賞した作品であり、去年の読書感想文の課題図書にも選ばれていた。読書を全くしない私、あらすじも読まずに表紙の犬が可愛いからなんていう理由で、読書感想文はこの本を選んだ。ところがどっこい、この本マジでつまらない。読んだことがない人もいると思うのでネタバレはしないが、読んでいるのが苦痛なくらい面白さが分からなかった。だんだんイライラしてきてこんな本にまともな感想なんて浮かばねーよ!!とキレかけた。
だがしかし直木賞に選ばれるほどの本である。司書にも言われたように読書初心者には分かりづらい面白さがあるのだろう。今現在、読書家に昇格できそうにない。みんなの意見や考えを聞いて少しでもこの本のいいところを見つけてみたいのだ。作者がこんなに犬に執心するのも、あのような話の流れにしたのも何かしら目的はあるんだろう。でも私にあの話は合わなすぎて、一度しか読んでいない。わざわざ新品を買ったのだからせめて何かの役に立ってほしい。

③以下の語句における、あなたなりの定義、あるいは考えを記せ
「完成度が高い/低いとはどういうことか」
「商品と作品のちがいはどこにあるのか」
「あなたの作品の”モチーフ”とはどんなものか(何を描きたいか)」

まず前提として完成度の高さや商品か作品かなどは作る人、見る人だけの世界ではなく時代や状況によっても大きく変わるものだと思う。これらはとても可塑性のあるものだろう。たとえその時自分がこの作品は最高傑作であると確信したとしても何年後かに見てみたらそうでもなかったことはよくある。でも完成度の高さって何で定義されるんだ?どれだけ実物に近づけるか、密度の高さ、自分の理想、色々あるけどそのどれもが当てはまらない。実物をそっくりそのまま描くのは確かに完成度が高く見える。でも絵において本物に近づけることだけが美しさ、完成度の高さには繋がらない。密度の高い絵だけでなく引き算の美しさだって存在する。それが重要視されるのは写実主義とか日本画のデッサンであり、芸術全体ではそれだけが完成度ではないだろう。最初にたどり着いた答えは自分の理想にどれだけ近いかだった。自分の作品だったら思い描く通りのものこそが完成度の高さなのではないか。だがよくよく考えてみると、自分が最初に考えていたものとは全然違うものになったとしても、あ、こういうのもいいなと思えたらそれは完成度が高いと言えるのではないだろうか。そして自分が鑑賞者だった時も、自分の理想や好みとは違ったものだとしても完成度高いなと感じることがよくある。うーんますます分からなくなってきた。完成度とは自分の好みや画風にも左右されない、別の何かに潜んでいるということか。ああ思い出した。そういえば黄金比というものがあるじゃないか。形の黄金比は1:1.618、色の黄金比は70:25:5。確かにこの定義なら、どんなに描きこんだものでも完成度が低くなることがあるし、適当に描いたものでも完成度が高くなることがある。完成度とはきっとバランスの良さだ。構図、配置、色、モチーフ、作品を構成する全てのバランスが完成度に直結していると思う。たとえこんなにきっちり計算しなくても、いいバランスって見るとなんとなくわかる。わかるというよりしっくりくるの方が正しいかもしれない。でも黄金比を取り入れようと意識せずにバランスのいい作品を作れる人は天才だろう。大抵は修正に修正を重ねてやっとこのバランスの方がまだマシだなと思えるくらいだ。天才たちが作り上げた作品がいつの時代でも評価されるのは人間が本能で好むものが揺るぎないからではないだろうか。前言撤回、この感覚は可塑性など存在しないものなのかもしれない。
これは個人的な意見だが、もし自分の絵を売る時に「この商品欲しい!」と言われるのと「この作品欲しい!」と言われるのだったら後者の方が嬉しいと感じる。確かに売り物ならばそれは商品であると言えるが、自分の作ったものに対してそう言われるのは何故だかちょっともやもやする。別に商品は悪いものじゃないのに、むしろ身の回りのものはほぼ全て商品として買ったものなのに。この違いは何なんだ。誰かに依頼されて描いたものは全て商品になってしまうのか。たとえ誰かが買った絵だとしても作者は自分の作品としてどこかに発表するかもしれない。やはり1番は自分の心持ちだろうか。作ったものには少なからずどちらの部分もあるが、代金の有無に関わらずクライアントの求めるものに沿って作りあげていくのは商品としての面が強く、欲しいと言われたら売るけど基本的に自分の描きたいものを好きに描いたら作品としての面が強いだろう。受験で描く絵は作品と見せかけて商品の割合が多いと思う。絵を売るのではなく、描いた絵を通して自分を大学側に売り込むものである。

モチーフとは動機付け、きっかけであるとよく聞く。モチーフといえばそこに実在する物のイメージが強いが、きっかけならばどんなものでもいいのだと思う。私は描きたい物というより描きたいという衝動を与えるものこそがモチーフなのだと考える。好きなアイドルの写真を見た時、綺麗な風景を見た時、ものすごく好みな絵を見つけた時とか、色んなことで自分も描きたい!という感情が湧いてくる。こうやって具体的な例を挙げてみると自分はモチーフを目に頼っているなと感じる。もちろん目から入ってくる情報はとても多いが、目をつぶった状態で物を触ってみたり、音を聞いてみたり、街中で15分ぐらい佇んでみたりすることも立派なモチーフになるのではないだろうか。目以外からかんじることでもこの音を表したいとかこの空気感を描きたいみたいな感情が湧いてくる。たまには目を使わないで描くものを決めるのも面白いと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?