第四回 宮尾節子賞発表
第四回、宮尾節子賞が12月24日に決定いたしました。
ジュテーム北村(東京)・山口勲(東京)・悠 にこにこハウスの仲間たち(埼玉)
の三名(順不同)です。おめでとうございます。
受け取ってくださって、ありがとうござます。
宮尾節子
以下、各受賞者へ贈ることばを、お読み頂ければ幸いです。
(*目次をクリック頂ければ各項目に飛びます。)
◎受賞のことばも追加しました。(*2月9日)
ジュテーム北村殿
ジュテームさんを知ったのはいつだろう。どこかの
ポエトリーリーディングのイベント会場で、オープンマイクタイムの時だった。
確か黒い革ジャンに黒いベレー帽をちょこんとかぶって、颯爽と現われた途端に
会場が湧いた。「ジュテさんだ」「ジュテさん!」とあちこちで名が呼ばれ、声がかかる。細身でシュッとして、過激そうで、妙にエレガントで。悪そうでもあり、誠実そうでもあり、大胆で可憐で、さっぱり何者かわからない、独特の佇まい。
斜に構えて気取った語り口から、つぎつぎと風刺や皮肉のきいたフレーズが飛び出す。社会風刺ありエロありシャウトありの緩急に耳を傾けていると、とつぜん、私のなまえも出てきて、びっくりした。からかわれてるのか、そうでないのか。しかられているのか、ほめられているのか。判断つかないまま、つぎからつぎへと溢れては流れていく、ことばに惹き込まれていた。スラムもラップもろくにわからない当時のわたしには、この正体不明で一風変わったダンディな男はいったいぜんたい何者だろうと、何を言いたいのだろうと気になった。すると
「オープンマイクで会いましょう!」のひとことをさいごに
投げキッスのように放って、再びわっと会場を湧かせて――
もときた暗がりのなかに、かき消えるかのように、またしても
颯爽と立ち去った。そこには、ひとりの紛れも無い
詩人の姿がみえた。
秋になってオープンマイクイベントが増えてくると、誰かが
「ジュテさんの季節だねえ」とツイッター(新X)でつぶやくのを見かけた。
オープンマイクの名物男「ジュテーム北村」さんに、是非。今年の宮尾節子賞を
もらってもらおうと心に決めた。いや、実は前から狙っていたのだ。
ところが、困った。
あんなにあちこちで開催されるオープンマイクに出没する彼なのに連絡方法を
誰も知らない。彼は、ネットもやってないし、メールもやらないらしい。
「ジュテさんは連絡つけるの大変なんですよ」と某イベント企画者はのたまう。
彼はアナログ人間なのであった。連絡は電話のみ、それもいつの時間帯がいいのかもわからない。。なんと。めんどうなひとだなあ。。と思わずに、おもしろいひとだなあ、と思うところが、わたしのこうかふこうか、知らないが。火がついた。
なんとしても、あのダンディなオープンマイカーの風男を捕まえたい。
あのひと、このひとに、たずねたずねしているうちに、やっと電話番号をゲット。
それにしても、オープンマイクイベント開催者のかたがたの、辛抱強さや懐の深さには、みなさんお若いのに、えらいなあと改めてリスペクトです。
どんな不便や、面倒があっても、これと思う人には、労を惜しまず、声かけをちゃんとしているのだ。見習わなければならない。はい。見習いますと
しかし。なんども、なんども、電話をかけるが、つながらない。ショートメッセージにメッセージをいれるが、いっこうに読んだ気配もない。5回ぐらいかけて…
わたしも、がんばる。やっとジュテさんと繋がったときは、かんじんの用事を忘れてしまったほどだ(笑)。じつはこれこれこういう訳で、今年の宮尾節子賞をあなたにもらってほしいのです。とやっと思い出して伝えたらきょとんとされている。
ままよ。プロフィールと写真を送ってほしいのですが、どうすればいいのでせう?で。郵送でいただくことに決まった。とはいえ、あいては風なので、いつ飛び去ってしまうかわからない。すぐに、返信用封筒に切手も貼って送らせてもらったが。また、しばらく音信がとだえた。手紙を受け取ってくれたのかどうか…。風が。
はらはらしているうちに、彼の情報が入った。晴居彗星さん主催「JET POET」というオープンマイク・イベントに、彼がゲスト出演するとのこと。え。ゲスト!オープンマイカーでなくて、その日はゲスト。さっそく駆けつけたのが、上の写真だ。直談判も兼ねて行ったのだが、これがまたよかった。
主催の晴居さんは紹介した「黒柳徹子の『徹子の部屋』では年末の最後の回には必ず、ゲストにタモリを呼ぶように。この『JET POET』ではジュテーム北村さんをゲストに呼ぶことが、先代より決まっているのです。」と。おお。そんな決まりがあったのか。素晴らしい。やはり、彼はオープンマイク界ではレジェンドなんだ。
30分の長尺でジュテーム北村のマイクパフォーマンスを、はじめてたっぷり堪能した。花束のような紙の束をもって、短い詩をつぎつぎに読み上げていく。
ことばに、寄り添うドラムやキーボードの即興演奏もすてきだった。
アナログな彼のポエトリーのネタが、ネット情報ではなく。しっかり新聞を読んで仕入れていることの、現場を本番前にしかと目撃。
「トーキョーポエトリーシーンを担って来たカリスマオープンマイカー」
とどこかで紹介されていた彼だが――
今回は、わたしなどのポエトリースラム界での新参者よりと。さらなるこの世界の
カリスマ達にお願いして、ジュテーム北村を語ってもらった。大島健夫・さいとういんこ・猫道(猫道一家)のビッグスリーのみなさんです。彼らは、語った。
彼らの、ことばで。彼らの、ジュテーム北村を。このように――
コメントを寄せてくださった、みなさんありがとうございました。
ジュテーム北村。風のようにあらわれて、風のように去っていく彼が
しかし。みんなのこころをしっかり掴んでいたことだけは、いや。
みんなにしっかり愛されていることだけはよくわかりました。そんな彼に
宮尾節子賞を贈らせてもらえて、わたしはとてもうれしい。
ジュテさん、受け取ってくださってありがとう!
ジュテーム北村プロフィール
◎プロフィール
1954年(昭和29年)12月生まれ
父・武夫 母・婦美子の長男として東京に生まれる。
大学中退後、転職を重ね最終的にCMなど撮影の照明部にフリーランスとして職を得る。現在、照明職は辞して訪問介護(ホームヘルパー)をしながら妻子・犬と共に東京・世田谷で暮らす。40才ごろアルコール依存症発症。現在は発症を抑えることができている(断酒30年)。
◎活動歴
1990年。高田馬場にあったベンズカフェのオープンマイクに初めて参加する。そのイージーなシステム(無資格・無審査)に味をしめ、以後さまざまなオープンマイク・イベントに参加する。そうしてるうちに「上野ポエトリカンジャム」など大小さまざまな詩の朗読イベントに声が掛かるようになる。
現在も、いちオープンマイカーとして気ままにオープンマイクに参加している。
追記1
現在のオープンマイカージュテーム北村を支えているのは以下のような言葉・声たちです。
・「やめなさいあなたのエゴのたれ流しは。あなたのために全部だいなしよ」
・「あんまりうまく詠まれると、詩は詩じゃなくなるんだよね」
・「あんたっていわゆるロックぽい系、カッコイイ系の人だよね」
・「やかましい!」
追記2
写真に写っている犬は、娘が山口県の保護施設からもらい受けてきた雑種
「モネ」(1才メス)です。
◎受賞のことば
このたびは宮尾節子賞の授与
たいへんまことにありがとう
ございます これを励みに
たった3分の世界のかたすみで
無責任なマイクの列に並ぶ
味覚をなくしたひとりの日本人
として。
そして
おもてを歩けば戦争や裏金や活断層や
確定申告にまじって梅の香りがただよって
きます
オレはよい人生だ
強くそう想います。
また逢いましょう どこかのオープンマイクで
ジュテーム北村拝
***
ジュテーム北村関連サイト
ジュテーム北村・朗読動画(YouTube)
山口勲殿
2017年5月。ひとりの体育会系詩人が、東京から前橋文学館までの100キロを詩を持って走った。『て、わたし』という自ら主催する詩誌を、まさに直接「て、わたし」するために。そして、自らも朗読するために。前橋芽部主催・前橋ポエトリーフェスティバル開催中のことだった。赤いジャージの上下で息もあらああらしく、壇上にあがったときはみんなの、大きな拍手で迎えられた。
その男こそ。通称・ぐっさん。山口勲である。
そして、その証拠写真がこちら。(*芽部のお写真お借りしました。🙇♀️)
日本の詩×世界の詩
詩誌「て、わたし」の 手の描かれた表紙
こちらが、発行人:山口勲、すなわち彼の巻頭言である。
当時、とてもいいなあと彼らしいなあと感心したけれど。あらためて、読んで驚いている。まったく失念していた(あるいは気に留めなかった)「震える弱いアンテナ」の部分に、はっとしたのだ。ちょうど先日トーク・イベントでちっとも思い通り話せずに、まったくよい歳して、いったい幾つになったら慣れて、何回やったらまともに演れるんだいと、じぶんを情けなく思っていたので。このフレーズには思いがけずにも、慰められた。そして、あっと、わたしが彼に妙に惹かれる理由も、解けた。引用されている茨木のり子の『汲む』の全文を掲げてみよう(彼女の熱心な読み手ではない私には初見だった)。
まさに、彼のいい仕事の核には震えるアンテナがあったから……
というより、彼はいつも「震えるアンテナ」が見えるひとだった。いや、震えるアンテナを隠す術を知らないかのようなひとだった。ひょろりと背の高い彼の存在自体が、震えるアンテナそのものだった。この詩の「どぎまぎして」「ぎこちなくて」「頼りない生牡蠣のような」「咲きたての薔薇」の花びらのように「柔らかく」震えつつ「外にむかってひらかれ」ている。痛々しい存在、それがかれのすがただった。そして、そのアンテナはキャッチすべきものをキャッチしているのだ。
「今まで食べたカレーは何だったんだろう」とびきり美味しいカレーを食べた時、くちから出てくることばは、こんな感じだが。
「て、わたし」で紹介される海外の詩を、彼が訳したのをはじめて読んだ衝撃も同じものだった。「今までの翻訳詩、って何だったんだろう」と驚いた。めちゃくちゃいいのだ。とびきりよい。くやしいけれど、どこがいいのか、うまくいえない。
セレクトのセンスかもしれないが、詩ってヒリヒリしたものだと思うけれど、
そのヒリヒリを壊してない。ダイレクトに、じかに詩が届く。翻訳という距離の遠さを感じない。産地直送便のような感じ。アサリや牡蠣の中身の詩肉がとびきり新鮮なままの感じで届くのだ。翻訳を超えて――そう。翻訳を超えて、なぜか山口勲の裸の詩心がとどく。彼の詩よりも、彼だと思うような詩の不思議と魅力。
たとえばひとつを、引いてみよう(これは、「て、わたし」準備号に載っていたもの。まず、この号の彼の翻訳にこころを持っていかれた。3編ともすばらしい)。
市場(いちば)で、まだ呼吸している、なまの詩を見つけた気がした。
「今までの詩って、なんだったんだろう」翻訳だけれど
出会いたかった詩と、出会えた気がした。
けっして、わたしのものにはならないけれど、出会えてよかった。
その感じは、星の王子様を見つけたときの感じと、似ているかもしれない。
そして彼の翻訳する詩との出会いは、彼との出会いそのものと重なる。
なにかしらの、はじめてと、であいつづける、ふしぎを彼はくれる。
知らないものを知らないといえるおとなと。
それを受け入れてくれるこども。おろかなおとなを「おうたをかけて」
助けてくれるのもこどもだと。この詩は詩のことばで、つたえる。
詩は、美しいものだとかれは、つたえてくれる。
もうひとつ。翻訳ではない、かれの詩を、はじめて読んだ。
ああ、これだ。この詩だ、と思った。
その詩も、美しかった。
それがこちら「内省」。『無人Ⅱ号』に掲載された。
五連が白眉だ。
山口勲にしか書けない詩だとおもう。
きっと・・・
「震える弱いアンテナが隠されている」
彼の、いい詩事だとおもう。
なんど、よんでも、はじめてよむ、初々しさを詩が失わない。
そして、こちらが彼のツイッター(新X)にあげた
最新作(翻訳)「What is home?/おうちってなに?」です。
ガザに住み、先日エジプトに逃れることができた詩人Mosab Abu Tohaさん @MosabAbuToha の翻訳作品。
***
じつは、10月に「千葉詩亭」の大島健夫さんから共同開催者の山口さんが今回(第八十一回!)を持って運営を卒業するとの知らせがありました。千葉詩亭は、2009年12月のイベント発足以来、大島健夫さんと山口勲さんが偶数月の第三土曜に開催する、現在、千葉で唯一の朗読オープンマイクイベント。もう14年の年月を経ている伝統ある老舗ポエトリーイベントです。
そして卒業する最終回の彼への短いコメントを、わたしも書かせてもらうことになりました。そのコメントが以下です(当日大島さんに読み上げてもらいました)。
文字数制限があったため、省略した「以下略」をここに縷々(るる)述べて、
すでに千葉亭最終日にお約束した宮尾節子賞をここに贈らせていただきます。
受け取っていただければ幸いです。
山口勲プロフィール
7歳から詩を書き始める。高校3年の冬にポエトリースラムに初めて参加したが怖くて逃げ出し、以後2年間イベントに行けなかった。2009〜2023 大島健夫と千葉詩亭を共催。2016〜2019年 日本と世界の詩を紹介する雑誌『で、わた し』を刊行。自分の詩より人の詩を伝えるほうが好き。
◎受賞のことば
宮尾節子さんがいる時代にいて、宮尾さんとお話できていることが嬉しいです。
私にとって、宮尾節子さんは日本語を用いて「ふつうのこと」の可能性を広げてきた詩人です。これは、谷川俊太郎さんがことばあそびうたなどで日本語のリズムの可能性を広げてきたことに対応する言葉です。そして、宮尾さんから賞をいただける、ということは、少しはふつうのことができているのかな、も嬉しく思いました。
さて、宮尾節子賞をいただくにあたり、宮尾さんから自作や翻訳に対する過分な褒め言葉をいただきました。千葉詩亭を卒業したあとも、詩に関わり続けるようにという叱咤激励でもあるのかなと思いました。
さて、「て、わた し」第2号のイベントでB&Bに集まったとき、宮尾さんは私が考えごとをしているときに両手を前に組み、ちょうどエヴァンゲリオンの碇ゲンドウのポーズをしていることを指摘してくださいました。
顔が見えない、という宮尾さんの言葉のなかに、私も人のことを人として見ていない時間があることに思い当たり、これまでの人生で出会ってきた方に申し訳なくなりました。
私はあのときよりも世の中を斜に構えて見ていないでしょうか。受賞したことに思いを馳せるとき、いまはそればかり考えてしまいます。
山口勲関連サイト
ツイッター(新X)
https://twitter.com/tewatashibooks
***
悠 にこにこハウスの仲間たち殿
出会いは一本のクリスマスツリーでした。2020年のこと。ときどきお野菜たっぷりランチを食べたくてお邪魔するレストラン「にこにこハウス」は、日差しがいっぱい差し込んで明るく、いつもわいわいみなさんが楽しそうに立ち働いている。このにこにこからやって来たのが絵手紙カレンダーでした。最後のページにあったクリスマスツリーにすっかり魅せられてしまい、年が明けてもこのカレンダーを外すことができなっていました。この一本の緑の木といつのまにか、友達になっていたからです。そしてこのカレンダーをもっと多くのひとに知ってほしくなりました。
にこにこハウスの絵手紙カレンダーはいたってシンプル素っ気ないほど簡潔です。さっぱりした絵につぶやきのようなひとことが添えてあるだけ。これがなんともいいのだ。毎月毎月、つぎはどんな絵やひとことが書かれているのか、たのしみで(トイレに貼ってあったのですが)トイレにかけこみます。早く見たくても、もったいなくて、月がかわるまで、めくるのを我慢するからです。
出会いの年(2020)の月づきの絵手紙を(絵詩とわたしは呼びたいぐらいですが)まずはごらんください。ことばも添えてあったりなかったり。あ。今月はことばなしだな。ひとにはしゃべりたいときもあるけれど、しゃべりたくないときもある。ひとの姿そのままのようで、そこも気に入ってます。11月はくりの絵に「くり」ということば。そのまんまにほっとして、「はい」とうなづきたくなる。9月の「に」ひと文字もシュールだ。もしかしたら銘の刻印が「か」さんなので「かに」かな。なにか言ってるような、なにも言ってないような。この思ったまま、描きたいままの、気負いのない、自由な感じがたまらなく好きで。あたまより、からだがよろこびます。4月はただそこにある「さくら山」に、2月の茶色に黒い格子は「チョコレイトおたべ」。いただくわ、みたいな。なんですか、この勝手気ままさは――。
絵手紙はいろんな場所で結構見かけることがあるのですが。にこにこハウスの絵手紙カレンダーはひとあじ、よそとは違います。なぜだろう。にこにこハウスの代表の佐藤智恵美さんにお聞きしたら「ファンが多いんですよ」とのこと、やっぱり。
facebookでも「今月のさんま、いい」「緑の王様ピーマン」とかファンの声も聞こえる。月初めには、にこにこカレンダーの絵の写真をあげてるひともいる。それぞれのお家の、台所や、トイレや居間の、ようすとともに。わたしもそのひとり。つい、みんなにも、見せたくなってしまう。わたしの、推しを。
さてさてその「悠 にこにこハウス」とはどんなところでしょうか。
正式な名前は「合同会社 悠 にこにこハウス」です。飯能にあります。
悠 にこにこハウス
当初はなかなかスローガンどおりならず、さまざまな問題、課題にぶつかり、いろいろ迷いや悩みを抱えながら代表はじめ職員のみなさんは、日々を過ごしてこられたようです。そんな、にこにこばかりじゃないときも。やっぱり、にこにこをめざして。共に働く職員さんや支えてくれるボランティアの方がた、訪れるお客さんやランチの食材を届けてくれる商店街の方がた、ご近所、関係機関の方たちの、温かい眼差しや協力を得て、もう、来年は11年目を迎える「にこにこハウス」です。佐藤さんは続けます。
にこにこハウスはランチメインのレストランです。佐藤さんにお話を伺っていると電話がかかってきて、「はい、おいくつですか」「はい、シャケ定食です」と受け答えをしています。お弁当の予約でした。お弁当の予約と配達もしているのです。
今日のランチのメニュー看板です。じつはわたしも時どきランチにお伺いするのですが、たのしいのは、ランチと共にちいさなメモのお手紙もそっと添えてくれるのです。看板には本日の日替わりランチの絵が載っています。食材も近隣の農家さん、食器も商店街から、と地域とのつながりも大切にされています。またランチは飯能市の「野菜3倍レストラン」としても認証されています。
にこにこハウスはレストランだけではなく「ニコニコーボー」という
ハンドメイドクラフトの工房もあり、きれいな裂き織や可愛い木工品など、
みなさんが心をこめて作った、手作り作品もお手頃価格で販売しています。
ちょっと、お土産に連れて帰りたくなるものばかり。また、近隣の農家さんが作った新鮮なお野菜まで、これまたお手頃価格で売っています。あっという間に
売り切れるようです。わたしもキャベツの大玉を掴んで、ランチのお供をさせたりしてます。
ときどき利用者さんとお客さんがともに楽しめるような催し物も
開催されて、みんなで輪になって盛り上がり、お店が賑わいます。
さてさて。ざっと「にこにこハウス」のことをお知らせしたので、カレンダーにもどりましょう。
佐藤さんにたずねて見ました。絵手紙はどなたか先生がきて指導されているのですか。はい。絵手紙では有名な先生が、来てくださっていたのですが。ある日、「みなさんには、もう教えなくていい。教えることがない。このままで、いいから」と、それこそにこにこ笑っておっしゃって、それから、来られなくなったとのこと。いいお話だなあと思いました。ああ、やっぱり。えらい先生も、わかっておられるんだ。このまま、ありのままでいい。ありのままが、いいんだと。
にこにこの絵手紙カレンダーの由来を、うれしそうに話す佐藤さんの笑顔が
わたしにも移って、ふたりでにこにこしながら、つぎつぎ出して見せてくれる
絵にながめいりました。絵や、音楽や、工芸や、さまざまな作品にかかわること、作品をつくることが、なにか、かれらの生きづらさの、休憩場所になったり、緩和したりする場所になっていること――すなわち、表現がケアにつながることを、佐藤さんも感じておられるようでした。
さてさてさて、にこにこカレンダー、みなさんはどれがすき?
わたしはね、よくばりだから、ぜんぶすき!
毎年 すてきな絵手紙カレンダーを描いて、作ってくださる
悠 にこにこハウスの仲間たちに
まいねん楽しませてもらってる、わたしからおおきな感謝をこめて
ことしの宮尾節子賞を贈らせてください。
みなさんが受け取ってくださると、とてもうれしいです。
にこにこハウスの仲間たちプロフィール
◎受賞のことば
この度は、にこにこハウスの私達に、このような栄誉ある賞を授与して下さり、ありがとうございました。そして、何よりこの賞を頂いたことにより、開設10年を振り返るとともに、「にこにこハウスの今、そしてこれからのにこにこハウス」について、私自身考える機会にもなり、あらためて、宮尾さんに心から感謝申し上げます。今回の受賞を通して、私が感じてきたこと、感じていること、宮尾さんにお伝えしたいことを、表現させていただきます。
2024年1月11日(木) にこにこハウスに宮尾節子さんが、「宮尾節子賞の表彰状と楯、詩」を持って来てくださいました。開設して10年の節目を迎えるにこにこハウス、当初5年位は、「スローライフ」どころか、「すっ飛ばしライフ」のごとく、街なかの福祉レストランとして猪突猛進していました。毎日の営業だけでなく、福祉と音楽のコンサート「とまり木コンサート」に5年連続出演(主催者側に立って)したり、「日本の精神科病院長期入院と人権」をテーマにあちこちで、にこにこスタッフさんと研修会で発表させてもらったりと、その時々、目の前に現れるテーマや問題に向き合い、みんなで悩みながら、私自身も「その時できうることに邁進」してきた感じでした。今思い返しても、立ち上げ当初のエネルギーとは、すごいものだったと、自分ながら感じます。
そして五周年を迎え、五周年記念誌をまとめ、記念行事(にこにこスタッフさんの体験発表、調布クッキングハウス 松浦幸子さんとクッキングハウスメンバーさんの講演会)も開催し終えた頃、ちょうど「新型コロナウイルスウイルス感染症」が世界に猛威をふるい始め、私達の生活、活動は一変しました。 地域の中でにこにこハウスという福祉レストランの扉を開けて、生きづらさや心の病、様々な障がいを持つ人たちの存在を知ってほしい、理解してほしい、そして彼らは社会の中で大切な価値ある存在であることを、証明したいがごとく、私はなにか、取り憑かれたように行動していたように記憶します。時には、迷い猫のように、うろうろと彷徨っているかのごとく。
この数年のコロナ禍の中で、お店の営業を、長い間お休みせざるを得ない状況におかれました。それまでのお店とは違った地域に開いた状況から、閉じてしまうような閉塞感もありました。 しかし、私達にこにこハウスには、「ピンチがチャンス」という最終技のような理念が脈々と流れているのです。数年に渡るコロナ禍。私達は、にこにこハウスの中で思う存分、絵手紙や自由な表現活動を(世の中的には止まってしまったかのような時間の中で)味わってきました。今まで外に外に向いていた心を、にこにこハウスという内に向けて、お互いの仲間と共にじっくりと向き合う時間を過ごしてきました。にこにこハウスオリジナル「にこにこカレンダー」を休むことなく、毎年発行してきました。
(2018年より2024年7冊の発行)
「表現活動を、あきらめない、止めない!」、その時々の気持ちや心を様々な表現を通して、互いに交わしてきたように感じます。そして、昨年暮に、宮尾節子さんから、「にこにこハウスさんに宮尾節子賞を授与したい」というご連絡を頂き、それに伴い私が10年の月日の中で感じてきたことや悩んできたこと、心のつぶやきみたいな話を宮尾さんにたくさん聴いていただくチャンスを頂きました。(インタビューを通して)宮尾さんとの対話のあと、私は不思議な感じを受けたのです。迷いながらにこにこハウスの仲間たちと過ごしてきた時間の尊さや、みんなで表現してきたことを、「心から私は楽しいと思え、また、私自身がずっと幼少期から抱いていた虚無感のような心の隙間を、にこにこハウスのみんなといることで、埋めてもらってきたのかもしれない。にこにこハウスは、私の大切な心の居場所なんだと」そんな気持ちに素直になれた瞬間でした。まるで、対話(ダイアローグ)のリフレクティングのような時間でした。(その時の感じは、上手に表現できないですが。)
更に今年1月11日、遂に実現した「宮尾節子さんとの詩のワークショップ」をにこにこハウスの中で開くことができました。ワークショップでの、にこにこハウスの仲間たちの生き生きした姿、心から大笑いする姿、誰をも愛おしく感じながら見つめ合う姿、自由であり、お互いの表現、存在を尊重しあう姿を感じました。皆さんの感想(別紙)にそのような気持ちが沢山書かれています。宮尾さんが表してくださった「こころの居場所はことばの居場所、わかりあえなさをわかりあえる場所として、このにこにこハウスがある。それも街なかにあることの大切さを感じる日でもありました。ことばの場所はこころの場所、改めて皆さんのノリノリの良さにそのような詩を書くものとしての発見と交歓を感じ味わうひとときでした。ワークショップのあとでいただいた、ほっこりお家カレーも美味しく温かかった。」
(宮尾節子さんフェースブック1月12日より)
宮尾さんの詩のワークショップを期に、にこにこスタッフさんのことば、表現に対する気持ちが大きく変わったように感じます。「表現することは楽しい!表現していいんだ!ことばを伝え合うってすごく大切なんだ!」それまで、頑なにことばがけは必要なときだけでいい!と無言だった人が、気持ちを表現し、言葉をかわし合うことに躊躇しなくなられたり。「詩のワークショップをしてほしい!」と多くのスタッフさん、職員からも要望を頂きました。
潜在的に隠れている、仕舞い込んでいることが、ぽっと生活の中に出てくる瞬間がある、と私は常々感じています。まさに、今回の受賞とワークショップを経験させていただいた私たち、にこにこハウスの仲間たちにとっては、そんな瞬間だったのでは?と思います。
これからも、私たちにこにこハウスの仲間たちは、地域のなかで、堂々と、そして、暫く閉じてしまっていた扉を地域の皆様に大きく開けていきます。五周年記念誌に綴ったように、共に働く私たちは、「幸せとは、日常の中にあり、寄り添い合って、助け合いながら、心の中で育まれるものであり、それが、にこにこハウスの小さな幸せなのではないか」この原点を大切にしていきたいと願います。
あらためまして、宮尾節子さんへの感謝と共に、
絵手紙を教えて下さった、佐々木 芳美先生、にこにこカレンダーの編集をしてくださっている 相馬 光さんに感謝申し上げます。
2024年1月23日
にこにこハウス 佐藤 智恵美
***
代表の佐藤さんのお話にあるように、1月11日
詩のワークショップを「にこにこハウスの仲間たち」と楽しみました。
切り貼りで作るコラージュ詩も、一行ずつみんなで一編の詩を仕上げる合同詩も
みなさんとても積極的で、たのしい時間でした。ワークショップのご感想もたくさんいただき、「たのしかった」「またやりたい」の声も多く届いて、またの機会を、わたしもたのしみにしています。いっぱい詩を書いて、思いをことばに
しましょう!
*ワークショップの様子はこちらに。
それと、宮尾節子賞のはじめての授賞式です。緊張しました。
照れくさかったけど、うれしかったです。みなさん、
受け取ってくださって、ありがとうございました!
****
にこにこハウス関連サイト
にこにこハウスのfacebookのページ↓
ことし最後のカレンダーもこんなに
あったかい絵です。いいでしょう? 毎日ながめがら、にこにこです。
2023.12月のカレンダー来年(2024)のカレンダーもできました。
最後に2024年版の表紙の作者をご紹介しましょう。
「み」こと藤岡美穂奈さん。彼女のことば。
「私の中の「たつ」のイメージがむずかしかったので
私なりに「ゆるかわいく、少しかっこよく」描きたいと
思いました」(藤岡美穂奈)とのこと。なるほど。
「ゆるかわいい」たつとともに、みなさん、どうぞよいお年を!
***
以上を持ちまして2023年第四回宮尾節子賞のご報告をおわります。
すばらしい方々を今年も
ご紹介できてうれしいです。
受け取ってくださったみなさん
読んでくださったみなさん
ありがとうございました!
さいごに、みなさんに、わたしからのクリスマスカードをおくります。
宮尾節子拝
*宮尾節子賞についてはこちらをごらんくださいませ。
毎年宮尾節子賞につたないことばをつらねて
受賞者の素晴らしいみなさんをご紹介しながら
わたしにも何か、贈るものがあることの幸せを噛みしめています。
その幸せをいただく、受賞者のかたがたに、ちいさな賞を
待ったり、見たりして、くださるみなさんに
感謝です。
今年もありがとうございました!