美術館で会った人だろ

ある講演会の参加後に昼飯を誘われたが断った。我が国の防衛戦略について一人考えたかったので。というのはだいたい嘘でもあり真実だったような気もする。まあ、本当のところはどうなんだろう。

ただ、自分と一緒に居てみたかったので。

最近の自分は誘われるまま食事を人と共にし、その度にうまくやれなかったことばかりを悔いるなど、まるで馬鹿みたいな日々を送っていたので。

人と食事をするという緊張を解くために無駄な酒を呑み、必要でない食品を一番不得意とするシェアなどして食べつつ、埒もあかない御託を並べて。人の噂や批評などまたこれが楽しかったりしたので本当に参ってしまう。嫌悪。自分が憎い。友達になりたくない。

なので一人でその場をさようならし、駅へ向かいとりあえず電車に乗って。
降りたことのない駅の喫茶店に入ったのだ。

美術館の監視をした経験が私にはあるのだがその時に感じた、一人で絵などを静かに鑑賞する人々を見て「素敵」

観たものを自分の心に豊かに留めて誰にも語らず。軽くお茶などを飲んで帰宅、翌日よりまた粛々と己のやるべきことをきちんきちんとこなし。そんな静かな人生を羨望していたのて。

入った喫茶店は、その時、その時の店主の思念や友人、常連客との関係性に依って縁したであろうあらゆる装飾が施されていた。幾重にも構築された濃密な空間に、隙だらけの家庭料理のようなハンバーグセット980円が、まるで唯一の空気孔のような安心した美味しさだった。

案内された一人席は、目の前には何かを隠すように布の壁があってそこに小さな鏡が下げてあった。どうしたって己の姿が目に入る。ハンバーグを虚ろに口に運ぶ自分を思う存分観察出来た。自分と一緒に居たいという希望がなんというんでしょう、視覚的に?叶ってしまったので?何となく驚いてみせたみたいな?誰に?自分に。

さあ、一人だ、自分一人だ、そうだ、やっと二人きりにならぬ自分一人きりになれたね、と囁いてみたものの(心の中で)唯一の恋人である自分は、さあ、困惑して。スマホを触媒にしてみたり食後のミルクティーに救いを求めたり。段々と店内の人に「一人の休日を楽しむ初老のおばさん」を演じているような気さえ。

何かに掴まらないと自分はどこにも居なくなってしまうような。
気づいてしまった、あれ?どうしたって自分一人には純粋にはなり得ないって感じ?ということを。私は私の中の自分を何かを機会に永遠に合わせ鏡のように観察する装置でしかないのではと。

ええええ、ヤダー!(相手の右肩をパンっと叩いて)寝てる時だけモノホンの自分てこと?あらあらあら。

なんだか面倒くさくて眠くなってきたのでまた隣駅に移動して別の喫茶店に入ってみたものの。もう茶など飲む気にもならず、ジョッキのビールをオーダー。ビールを触媒に店内の老若男女善男善女を眺めながら「やっぱりお休みの日曜日って素敵ですよね、もうね、楽しんじゃいましょうね〜」とヤケクソ気味に(心のなかで)

BGMはベルボトムのジーンズに垂れ目が魅力の下駄履きのあの俳優が歌う、人はみんなひとりでは生きていけないよねみたいな歌(もちろん私の頭の中で)







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