あるアカウントが消滅したときにとった彼の行動

MBTIというものがあり、詳細な説明は他をあたってほしいが、これは人間の性格や行動様式を16のパターンに類型するものである。16に分類されたパターンの一つ一つはタイプと呼ばれ、タイプは4文字のアルファベットで識別される。それらの中にINFJというタイプがあり、彼はそれを自分のタイプとして認知していた。MBTIはこの文章において主題ではないが、ハイライトで提示される概念のため、そういった背景があるという事だけ最初に述べておく。


「あのブログに書かれているコメントはあなた様が書いたものでしょうか?文体が似ているように感じ…」
といったDMがある日彼のもとに急に届いた(もっともDMは急に届くものだが)。冒頭で説明した性格類型には、それとは別に似て非なるものがまた存在し、「あのブログ」というのはそちらの性格類型について紹介しているもので、彼はその存在は知っていたもののコメントを書いた記憶はなかったので、違うと答えた。そこから何となしに相互フォローとなり、たまにやり取りする仲になった。女性の大学生のようだった。根本的なところのモラルや人生観、シリアスとカジュアルのバランスのとり方、またその振れ幅の絶対値、現実社会で身を置く階層もほぼ同等だろうと感じ、彼は彼女とは話しやすかった。

彼女はアカウントを非公開にしていた。アイコンは夕暮れの空を背景にセイタカアワダチソウみたいな草が手前に映っているもので、普段のツイートとあいまって退廃的な匂いを彼女から感じていた。また、ある人物が彼女のパーソナルな部分に質問したところそっけなく返したり、twitter上の名前自体やプロフィール欄も無機質な情報群のようで、彼は彼女から匿名でアカウント運用したいという意思を感じていた。

鋭い知性の片鱗を覗かせる時もあった。冒頭の性格類型について、彼と相互フォローのある人物が彼女にレスをしたのだが、その時の彼女の受け答えは、性格の分野故にどうとでも結論付けられる解釈ではなく、客観的かつ根拠を述べている分析で、彼はそのような見解を今までどこにも見たことがなかった。これに対してはそのレスをした人物も驚いていたようで、その人物も(彼から見て)相当頭が切れる人間であったが、後に「彼女って何者?全く把握してないんだけど」とDMをもらった。

ある日彼女から急にDMが届く(DMは急に届くものだが)。彼女はエクスクラメーションマークを付けて自己開示の許可を彼に取った。彼は素っ気なく、どうぞ、と言った。何の気負いもない体裁を取った方が彼女も言いやすいだろう、と彼は無意識的に計算してそう表現した。彼女のそれは、理知的であったが直情的でもあった。細かい内容は彼はもう覚えていないが、真に迫ったものを感じたのは覚えている。なぜ彼女が自分にそれを打ち明けたのか彼にはわからなかったが、言ってくれたことに対してはうれしく思い、感情を示してくれたことで安堵感も生まれ、彼もまた自分のこれまでの経緯を少し話した。

心理学の分野では、自己開示は他人の自己開示を促す効果があると言われているようだが、彼は自分の経験からもそれは真であると思っている。


それから数日後だったか数週間後だったか数か月後だったか覚えていない。彼女はtwitterをやめるという宣言をした。後に判明したことではあるが、彼女は精神の病を患っており、医者か友人かは分からないが、症状の寛解のためにSNSから距離を置くように忠告を受けて、という経緯らしかった。彼はそれについて引き留めはしなかったものの、彼女の素性は気になっていたので、これを機にと、最後なのだから自分のことを話してみてはどうか、と提案した。匿名的に活動することに彼は内心賛同してはいなかったので、これで正体を暴いてやろうという魂胆もあった。結果としては結構なレスをもらえた。内容は主に自分が受けてきた虐待のことだった。虐待があったこと自体は彼女の普段のツイートからそことなく匂わせるものがあったので驚きはしなかったものの、ディテールを伝えられ、独り言としてはなく直接言われていることもあって、彼はリアリティを感じた。虐待の影響で身長が小さいことや、同居人に守ってもらったことなどを言っていた。
このやり取りの後だったか、彼女は虐待の跡がある自身の腕をtwitterにあげたのだが、結構凄惨な状態であり、彼はこれにもショックを受けた。想像以上に彼女の腕は細かった。安っぽい腕時計をつけていた。
こういった所感を抱いたのは、彼女とは特別な関係性を築いていたからだろう、と彼は今になって述懐する。ただの他人の虐待の跡に、彼は同じような感想は持たなかった。
また、冒頭で述べた性格類型の個人的な扱い方についても話してくれたのだが、各々の性格や行動パターンを把握し戦略的に人間関係の構築に活かすというスタンスで、やはりこのタイプはそうなのだなと、どことなく通じ合うところはあるものの、人と人との関りに利害性を持ち込むのは自分にはない価値観であり、別の人間なのだなと彼は思った。


twitterをやっている人なら経験的に知っていると思うが、アカウントが消滅した後でも、そのアカウントが直前にツイートしたものは自分のタイムラインに残っている、ということがある。その時にそのツイートを読み込もうとすると、「このツイートは読み込みません」というメッセージが出るだろう。ある日彼女のツイートを読み込んだ時、そのメッセージが出ることを確認し、ああ彼女は宣言通りアカウントを消したのだ、と彼は悟った。

タイムラインに残る彼女のツイート群は残留思念のようなものだった。それらは今までの独り言とはちがい信念めいたものがあって、以前彼女がした自己開示と似たような真に迫ったものを彼は感じた。情報として認知できるものの、「読み込めません」とエラー表示されるそれは幽霊のようであり、現実と仮想空間の間で起こったバグのようでもあった。こんなにも必死な叫びが「読み込めない」とか、嘘だろう。

ここで彼はよく分からない行動をとる。自分のタイムラインに残存する彼女のツイートのスクリーンショットを撮り、自分のツイートで世に発信したのである。確認するが、彼女は非公開のアカウントだった。なにかふざけたような言葉を添えて発信したように彼は記憶しているが、詳細は覚えていない。なぜそういうことをしたのか彼は自分でよく理解していなかった。ただ理性的な行動でないのは確かだった。鼓動が早くなっていた。

そこから半日も経っていない間に起こったと思う。ある人物から彼にリプライが届いた。その人物をここではRとする。Rは彼女とtwitterだけではなくLINEの方でもつながっていて、SNSでは公開していない彼女を知っているようだった。また彼自身もRとはtwitter上でやりとりがあった。ただ少し関係にもつれがあり、この時点でフォロー関係であったかどうかは覚えていない。

Rの主張は彼がした行為に対する抗議であった。一体何をやっているんですか。一言で言い表せばこうだ。非公開のツイートを勝手に公開するな。そういう事だった。またRは彼の当該ツイートを削除することを要請した。彼は拒否した。Rはそれに対して、また抗議した。彼はまた拒否した。Rはまた抗議した。そういうことを数時間の間に何回か繰り返した。

文面でのやり取りでしかなかったが、Rがかなり感情的になっていることは彼にはすぐわかった。また、彼女をいたわる動機として、打算抜きの純粋なものだともすぐわかった。違う表現をすれば感情のレイヤー数が少ないという事であり、彼はこのような、想いと行動が直結している人間をいなすことはそう苦ではなかったが、自分が糾弾されるような行為をしている自覚はあったから、どうにか言葉をつないではいたものの、正直なところ返す言葉はなかった。ただ認めるわけにはいかなかった。認めてしまうのは自分の存在自体を否定するようなものだった。それくらいに逼迫した想いで彼は動いていた。

彼はこの時複雑な感情を抱えていたが、その中に怒りがあることは確かだった。何に対してか。大げさに言えばこの世界に対してであった。彼及びRの周辺の人物で、彼を理解しようとする者はいなかった。彼は非公開のアカウントのツイートを晒す真似は御法度であるということは当然わきまえていて、むしろそれを行っている人物に義憤を燃やすくらいのマナー意識があったのだが、その規範を破ってでもやる意味があると考えていた。ただ彼は小心者でもあったから禁忌を犯したことについて批判されることを恐れてはいた。それでも彼は退くことはできなかった。自分以外のすべてを敵にまわしてもここは折れたくなかった。俺は、こんなにも、必死になっているのに、なぜ誰も理解しない。

出所不明の動機の中に、ある種の使命感があったことはかろうじて自覚していた。それは彼女の存在を世に知らしめるということで、であれば今回の行為の外見上の説明はつく。ではその内実、なぜ世に知らしめようと思ったかといえば、今回スクリーンショットを撮った発言にしてもそうだったが、彼は彼女の知性に感銘を受けていたのだ。あの知性は彼女の才能であり、公開するだけの価値があると勝手に思っていた。そして、直前に彼女の虐待の痕を見たことも影響していた。何の因果があって彼女があんな目にあっているんだ?罰に値する人間なんて、他にもっといるだろうよ!

彼はRとの穏やかではない会話の中で、彼女のことを死人として扱っていることに気付く。そうか、彼女は死んだのか。だから自分は勝手に公開しても問題ないと思ったのだ。死人に口なしなのだから、禁忌を犯したところで死人が何を思うわけでもないのだから(後にこれはある人物から死体蹴りと表現される)。彼は彼女が最後に残したあのツイートを、今際の際に言い放った言葉だと認知していた。

Rはどうだったかわからないが、この時点で彼はかなり疲弊していた。空調が効いた室内にいるはずなのに蒸し暑く、嫌な汗をかいていた。うめき声も少し出ていたかもしれない。彼は紛れもなく本音で返信していたが、剥き出しのコミュニケーションというのはこんなにもしんどい思いをするのだ。彼は折れるつもりはなかったし、Rの方が折れろと思っていた。ただRも似たようなことを考えていたのだろうと思う。どっちも正しいと思っている戦争なんてそんなもんだよ。悟ったようなことを言えるのはお前が部外者だからだと彼はそんなことを思う。

双方譲らず話は平行線…人の一生においてそんな機会はどれほどあるんだろう。他人の揉め事は見ていて楽しいものだが、自分に責任がない範囲においてでの話でしかない。彼はもうこの一件については終わらせたかったが、退くに退けない所まで主張してしまっていた。こういった場合どうしたらいいのだろう。彼はもうどうしたらいいか分からなかった。可能性があるとしたら、それは第三者の介入による第三の道の提示ではないのか。twitterというメディアの性質上、その可能性は充分に考えられたが、期待はできなかった。実際に二人の会話について独り言としてツイートする人間は何人か見受けられたが、所詮はそれで終わっていたからだ。二人の間には普通ではない空気が流れていたから、介入すれば飛び火を食らう琴は明らかだった。対岸の火事として好き勝手に感想を言うのが賢い態度なんだろう…

「彼がINFJであることを鑑みるに、彼の哀悼だったのではないでしょうか」おそらく今まで静観していたのだろう、急に二人の会話に参加してきたその人は、意訳ではあるがこんなことを言った。

彼はその人とはフォローしあっている関係で、いくらかtwitter上で会話をしたことがあった。少し、いや、大分普通の人とは違った感性を持っていると認識していたが、その人の素性は今はどうでもよく、その人が言った言葉について考えた。その言葉が表す何らかの振る舞いは、字面から何となく察することができたが、日常的に使うものではないからその場で調べた。あいとう。哀しんで悼む。二つの字の意味するところは重複する部分があって、同じ系統の色の透明なフィルムが重なって、さらに濃い色を作り出しているようなイメージが浮かんだ。哀しい?自分が?自覚している限りにおいて、彼は半ば自暴自棄な使命感で動いていて、自分のことはずた袋みたいに扱っていた。だから、彼はここで初めてその杜撰に扱ってきたものと向き合ったらしかった。それは影のような黒い塊で、人間の頭部、手足のようなものが見られたが、あまり人間の動きをしていなかった。どちらからともなく前進し、彼とそれの距離が詰まってゆく。彼は自分の息が吹きかかる位までそれの顔の部分に近づいた。口や目のようなものは発見できたが、不思議なことにそれらは曖昧になっていて、どの方向から見ても表情を読み取ることができなかった。笑っているのか泣いているのか、怯えているのか怒っているのかもわからなかった。彼は沈黙した。無音の世界が広がった。それも彼も、何も口にしなかった。やがて視界いっぱいにそれが覆いつくして、真っ暗になった。音と色彩が失われた世界で、その言葉だけが宙に浮かんでいた。

気付いた時には、彼は自分が投稿した彼女のスクリーンショットのツイートを消していた。つまりあれほど拒んでいたRからの要請を飲んだのだ。例の言葉が彼の内心に何某かの変化をもたらしたことは確かだったが、あまり合理的に説明ができるものではなかった。ただ、思ってもみなかったところから思ってもみなかったことを言われて、彼はなんだかよく分からなくなってしまった。よく分からないまま半ば衝動的にツイートを削除してしまったのだ。もう、いい。思考と感情とも形容できないなにかが生まれていた。そんな感覚があったようだと彼は述懐する。何がもういいのか。これまでの彼は自分の行為に尊い意味付けをしており、それが自らの規範を破るだけの正当性を与えていた。それは決して嘘とは言いきれなかったものの、技巧が優れた芸術作品に添えられたキャプションみたいに格好つけたものだった。ただ、実際のところは、本当の本当のところでは、子供でも理解できるずっと単純な動機でやっていたんだと、分かってしまった。使命とか理念とか、そんな上澄みの何かで、一番純粋な所を覆い隠していたのだと分かってしまった。分かる、即ち理解という脳の働きだが、このとき彼が体験したのは決して理性的な理解ではなく、ずっと原始的な理解だった。矛盾する表現だが、合理的でない理解だった。この瞬間の彼の内心にはそういった心理作用が働いていたのだが、実際彼は自分自身に何が起こっているのかまるで理解できないでいた。内心はおろか外の世界の何の事象も認識できず、ただノートパソコンの前でうずくまっていた。

該当ツイートを削除したことを契機に、Rとのやり取りは収束した。彼は泣いていた。


後日、Rからの言伝を頼まれたと、ある人物からDMが送られてきた。Rはその後彼女に今回の騒動のことを話したらしい。それによれば、どうやら彼女は今回のことについては怒っているらしく、彼は苦笑いした。結果的に彼は彼女が特に望んでもいないことを勝手にやったことになる。実は今回の一部始終、これは彼女のためを想ってやっているんだと、動機付けとして利他的なものがあるという意識はあったのだが、結果としてこれである。仮にあれが哀悼だったとしても望まれない哀悼だなんてそんな話がどこにあるんだ。怒るくらいの元気があるのはいいことなんじゃないですかね、などと返したが、無理矢理だった。自己本位的な行動をしたことを内心恥じていた。自分は傲慢だった。公開するだけの価値があると言ったが、実際は自分の感動体験を伝えたいがために彼女を利用しただけかもしれなかった。Rのように純粋な感情でやったかと言えば違うだろう。いずれにせよ彼女の意思を無視していたことは確かだ。今際の際に言い放ったものだと思っていた最後の言葉も、躁が暴走した結果のものであり、彼女の本意ではなかったようだった。

また、この言伝によれば、彼女はアカウントのプライバシー設定に2重3重にもロックをかけており、過剰なセキュリティ意識だと彼は思った。

しばらくメンタルが安定しなかったが、後日違うフォロワーからDMで冷静な意見をもらえたこともあって、気を持ち直した。話を聞いてもらうことは、よかった。



これは2018年の夏くらいに起こった出来事だと記憶しているが、時期や季節はどうでもいいと彼は思う。

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