モンティホール問題

色々なモンティホール問題の説明でなぜか暗黙にされているのが不思議なんだけど、重要な前提条件は「司会者はどの箱に当たりが入っているかを知っている」ということですよね。
「そんなの言わなくてもわかるでしょ」なのかも知れんけど。

そのうえで司会者は、チャレンジャーが箱を引いた後に「チャレンジャーの箱か残った箱のどちらかが当たり」の状態に操作する。だから交換したほうが当たりの確率は高い。

もし仮に「司会者は当たりを知らないが、ただランダムに箱を撤去してみた」だとすると、「交換したほうが確率は高い」は成立しないですよね・・・。むしろ当たりが撤去されちゃった可能性だってある。だからやはり「司会者は当たりの箱を知っていて、そのうえで操作している」という前提が必要なんですよね。

なので、問いを立てるときに条件を暗黙にするのは日本語問題というか、ひっかけ問題感ある。運転免許の筆記試験みたい。

まあ説明を聞いていく中で「司会者は、選ばれなかった箱のうちハズレを開ける」という時点で間接的に「司会者は当たりがどこに入っているか知っている」という暗黙の前提を推定するのが自然で常識的なのだろうけども。

言ってもいない前提を暗黙になんとなく把握するのは、ストローマン論法とも言えるのでは。常識的な推定かも知れないですが・・・。むしろ「常識的な推定とストローマンの境界線はどの辺にあるか?」という課題があるようにも思える。
コンピューターのプログラムは「前提」をすべて明示しないとわかってくれないですからね。インクルードし忘れるとコンパイルエラーになる。「なにそれ知らない。どこにも定義されてない」と。

「ウミガメのスープ」にも通じるものがあるかも知れない、「隠蔽された前提」みたいな。「なぞなぞ」ってその隠蔽された前提を推定するゲームですよね。推論遊び。

また、別の観点でいうと「常識的推定」というのは「偏見」とも言えるかも知れない。
常識というのは文化圏によってかなり異なるから。