Royking(Roy King)のこと。
Roy Kingというブランドを知っている人は、その理由のおおよそはライターで著名だからであろう。ライター製造というよりはむしろDunhillやCartierのライターを装飾していたブランドで、そのほかにも時計、宝石など様々な物を製造していた。
しかし、その高名なるブランドの割にはブランドの歴史について、日本語で調べてもおよそ情報を見出すことができないのである。かくいう私もその一人で、日本語でこのRoykingの歴史を書くことは、今後の某オークションサイトの説明文であったり、あるいは自己を満足させうるその材料として最適だろうとおもうので、この記事を書くことにした。およそ外国のサイトを邦訳したもので、ところどころ不自然な部分もあるが、理解の障壁になりうる物でもない(と信じたい)。長くなるがお付き合いいただければ幸いである。
〜ブランドの始まり〜
Roykingの設立者、Roy Cecil King(1913-2000)はロンドンのケンティッシュタインに生まれた。生後すぐに養母のMrs.Wellに引き取られた。彼女の夫であったMr.Wellsは道路の掃除人であったが、1919年のインフルエンザパンデミックで死去した。その後はBernard氏のもとで育てられた。Roy Kingは学校に通うかたわら、洗濯されたシャツの宅配をしていた。その顧客の中にはのちにRoy Kingが見習いとしてオファーを受けることになる、ハットンに巨大ジュエリー会社を築く人物がいたのである。
Roy Kingは14歳のとき、前述のM.J Greengrossの見習いとなった。単にHattonで学ぶのみならず、Sir John Cass Art Schoolにも通っていた。そこでダイアモンドについて学んでいた。空き時間にはジャズピアニストとして、またComedic Master of Ceremoniesとしても活動していた。
21歳のとき、Roy Kingは高級ジュエリーのトップとなった。この店の商品はBond Street Jewellersにも売られ、そのうちいくつかは王族のもとにも渡っている。
1930年には当時知名度の低かった、Garraed, Rolex, Cartier, そしてAspreyなども販売していた。このころ結婚もしている。
ここから戦争に入り、Roy Kingは戦闘機の生産エンジニアを経験するのだが、これを通じて、機械技術の重要性を認識した。これはのちのジュエリー、時計ビジネスにおいて大きく役立つこととなった。
"Royking"
終戦後、Roy KingはWatfordにワークショップを設立し、ついに自身の名を冠した時計作りを始めた。
設立当初は宝石が主要な商品であったが、1950年初頭には時計の製造を始めた。
"Jewellery that tells the time"というのがRoy Kingの考える時計であったが、そもそもとしてRoykingは時計屋ではなく、自分のムーブメントを搭載できない(製造できない)という問題があった。
不確かな情報だが、もともとのRoyking時計のムーブメントはイギリスのRobin Kingだったという説もある。しかしその後、スイスのムーブメントメーカーであるビュッケ・ジロ(Bueche-Girod)と契約を結んだ。
Roykingの躍進
1960年代より、Roy kingは"Swinging sixties" とイギリスでは位置付けられた。British Modern Jewellery Exhitionに10年出店し、2つの賞を受賞。これらはロンドンにあるGoldsmith's hallに永久保存されている。これによってRoy Kingは単に優れた時計デザイナーであることのみならず、様々な作品が60年代に作られ、人々に認知されていった。
1966年、The BeatlesのGeorge HarrisonとPatti Boydの婚約においてウェディングリングをRoykingが作った。
このほかにもRoykingの顧客としては、Tom Jones, The Beatles, サウジアラビア王家などがあげられる。
Roykingのビジネスは1960年代も拡大を続けていった。1965年にWatford近郊に工場を設立。65名のスタッフで年間25,000点もの金、銀細工を生産した。
1971年、Roy KingはNational Export Council Award 、そして、Freeman of the City of London(いわゆるロンドン名誉市民)となった。
時計事業拡大としては、1973年にスイスの時計会社であるLa Montre Royale de Geneveを買収。このブランド名で生産された時計は同ブランド内でも最も高級な商品として、中東で人気を集めた。(日本ではまだ私は見かけたことがない...)
Royking その後
1974年、Roy Kingが60歳のとき、Gold Smith's hallにてワンマンショーを開催、銀時計の新しいコレクションなどを発表した。
80年代にはいってもRoy Kingは精力的に活動した。Mayfairにショールームをオープン。ここでは主にオーダーメイドの商品を取り扱った。
Roy Kingが亡くなったのは2000年のことである。87歳だった。
死去に際して、彼の品のいくつかはロンドンオークションにかけられた。そのうちいくつかのアイテムは、亡くなる前年にGoldsmith's hallにて開催された"Treasure of the Twentieth Century"に展示されたものであった。
感想など
Royking の歴史を日本語で見つけることは極めて難しい。というかない。(あったら教えてください)これも複数の英語のページを拙訳したものである。
スターリングシルバーの時計はホールマークから製造年代がわかるが、そのほとんどが1970年代なのではないだろうか?デザインを見るとカルティエベースの物に手巻きのムーブメント(ETA,エボーシュSAの前身であるフォンテンメロン)を搭載 というのがもっぱらであるようにおもう。
「Roykingといえばライター!」という諸子もおられるとおもうが、これは現在でも価値が高い。ベースがDunhill, Cartierで、それに18kなどでカバーしているのは、今見るとちょっとケバいが、これこそRoykingでもある。オリジナルネームのライターには"GENTLEMANS BELONGINS IN LONDON"という文字が入っているが、Dunhill同様マスキュリンなアイテムとして、一時代を飾った品物である。
その一方時計の価値はあまり見出されていないようにおもう。私の時計も数千円で買ったし、某オークションサイトにも格安で売られている様をたびたび目撃する。現代のデカアツ時計から見るととても小さいが、私自身はこれことがクラシックと信じてやまない、素敵な時計である。
とにかく何が言いたいかというと、「世界で一番素敵な時計は自分の腕に巻いている時計」ということである。
もし邦人でRoykingを知ったとき、この記事が多少なりとも役になってくれれば幸いである。
追加の情報などあれば、ぜひシェアしてくだされば幸いである。
参考にしたウェブサイト(最終閲覧日:9/30 2021)